1971年『第13回日本レコード大賞』
制作:TBSテレビ
放送期間:1971年12月31日
放送時間:金曜19:00 - 20:56
視聴率:36.3%。
司会は、3度目をつとめるアナウンサーの高橋圭三と、女優の山本陽子。同じく女優の沢田雅美がアシスタントしていた。
放送期間:1971年12月31日
放送時間:金曜19:00 - 20:56
視聴率:36.3%。
司会は、3度目をつとめるアナウンサーの高橋圭三と、女優の山本陽子。同じく女優の沢田雅美がアシスタントしていた。
日本レコード大賞 「また逢う日まで」 尾崎紀世彦
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「また逢う日まで」
歌手:尾崎紀世彦
作詞:阿久悠
作曲:筒美京平
編曲:筒美京平
この曲は、まず1969年に三洋電機(現・パナソニック)のエアコンのCMソングの候補曲としてやなせたかしが歌詞を付け、槇みちるが歌い、生まれた。しかし、スポンサー側の方針変更により採用されなかったため、ズー・ニー・ヴーの新曲として阿久悠が作詞しなおしたがヒットせず。そこからさらに「別れ」をテーマにリメイクし、1971年にリリースされたものである。オリコンシングルチャートでは1位を獲得し、同チャート集計では100万枚近いセールスを記録。累計では100万枚を突破した。
この第13回日本レコード大賞・大賞と、第2回日本歌謡大賞・大賞をダブル受賞することとなった。
歌手:尾崎紀世彦
作詞:阿久悠
作曲:筒美京平
編曲:筒美京平
この曲は、まず1969年に三洋電機(現・パナソニック)のエアコンのCMソングの候補曲としてやなせたかしが歌詞を付け、槇みちるが歌い、生まれた。しかし、スポンサー側の方針変更により採用されなかったため、ズー・ニー・ヴーの新曲として阿久悠が作詞しなおしたがヒットせず。そこからさらに「別れ」をテーマにリメイクし、1971年にリリースされたものである。オリコンシングルチャートでは1位を獲得し、同チャート集計では100万枚近いセールスを記録。累計では100万枚を突破した。
この第13回日本レコード大賞・大賞と、第2回日本歌謡大賞・大賞をダブル受賞することとなった。
最優秀新人賞 小柳ルミ子(曲:「わたしの城下町」)
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「わたしの城下町」
歌手:小柳ルミ子
作詞:安井かずみ/作曲:平尾昌晃/編曲:森岡賢一郎
小柳ルミ子は、この曲「わたしの城下町」がデビュー曲であった。デビュー時のキャッチフレーズは、「みんなの恋人」。国鉄キャンペーン「ディスカバー・ジャパン」の流行もあって、オリコンチャートでは通算12週にわたって週間1位を獲得。1971年の年間シングルチャートでは首位となった。
この曲で紅白歌合戦にも初出場し、同じく初出場である南沙織と天地真理とともに、翌1972年ごろからは1970年代の "三人娘" と称されるようになった。
歌手:小柳ルミ子
作詞:安井かずみ/作曲:平尾昌晃/編曲:森岡賢一郎
小柳ルミ子は、この曲「わたしの城下町」がデビュー曲であった。デビュー時のキャッチフレーズは、「みんなの恋人」。国鉄キャンペーン「ディスカバー・ジャパン」の流行もあって、オリコンチャートでは通算12週にわたって週間1位を獲得。1971年の年間シングルチャートでは首位となった。
この曲で紅白歌合戦にも初出場し、同じく初出場である南沙織と天地真理とともに、翌1972年ごろからは1970年代の "三人娘" と称されるようになった。
最優秀歌唱賞 「おふくろさん」森進一
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「おふくろさん」
作詞:川内康範
作曲・編曲:猪俣公章
この曲はもともと、アルバムの中の一曲であった。しかしアメリカ公演で、この曲を聴いた現地の日本人客が涙するのに関係者が注目。のちにシングルカットされた結果、大ヒットした。
だがコンサートなどで披露していた、保富康午補作の改変版に作詞家の川内が激怒。森進一の対応にも問題があり、両者の関係が断たれて、2007年に「おふくろさん騒動」として報じられた。その後、川内が死去してしまい、この曲の歌唱は封印を余儀なくされた。しかしのちに川内の長男である飯沼春樹に許可を得られたため、(改変版でないオリジナル版の)歌唱ができることになった。
作詞:川内康範
作曲・編曲:猪俣公章
この曲はもともと、アルバムの中の一曲であった。しかしアメリカ公演で、この曲を聴いた現地の日本人客が涙するのに関係者が注目。のちにシングルカットされた結果、大ヒットした。
だがコンサートなどで披露していた、保富康午補作の改変版に作詞家の川内が激怒。森進一の対応にも問題があり、両者の関係が断たれて、2007年に「おふくろさん騒動」として報じられた。その後、川内が死去してしまい、この曲の歌唱は封印を余儀なくされた。しかしのちに川内の長男である飯沼春樹に許可を得られたため、(改変版でないオリジナル版の)歌唱ができることになった。
歌唱賞
「よこはま・たそがれ」五木ひろし
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「よこはま・たそがれ」
作詞:山口洋子
作曲・編曲:平尾昌晃
オリコンチャートでは発売から3ヶ月目にトップ10に初登場し、7週間後には1位を獲得。五木ひろしは松山まさる、一条英一、三谷謙と芸名を変えたがヒットせず、4つ目の芸名「五木ひろし」となり本曲で再デビューした。そのため、この曲については「自分の原点であり、全てのスタートを切った曲」と強い思い入れがあるという。
作詞:山口洋子
作曲・編曲:平尾昌晃
オリコンチャートでは発売から3ヶ月目にトップ10に初登場し、7週間後には1位を獲得。五木ひろしは松山まさる、一条英一、三谷謙と芸名を変えたがヒットせず、4つ目の芸名「五木ひろし」となり本曲で再デビューした。そのため、この曲については「自分の原点であり、全てのスタートを切った曲」と強い思い入れがあるという。
「知床旅情」加藤登紀子
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「知床旅情」
作詞・作曲:森繁久彌
編曲:竹村次郎
この曲を制作したのは、俳優兼歌手の森繁久彌。1962年の第13回NHK紅白歌合戦では、森繁自身によって披露しており、1965年にはシングルレコードとして発売。加藤登紀子は1970年にアルバム『日本哀歌集』で取り上げ、同年にシングルカットしたところ、徐々に人気が出た。翌1971年にオリコンチャートで7週連続で1位を獲得、年間チャートで2位となる。また、この曲で第22回NHK紅白歌合戦に初出場した。
作詞・作曲:森繁久彌
編曲:竹村次郎
この曲を制作したのは、俳優兼歌手の森繁久彌。1962年の第13回NHK紅白歌合戦では、森繁自身によって披露しており、1965年にはシングルレコードとして発売。加藤登紀子は1970年にアルバム『日本哀歌集』で取り上げ、同年にシングルカットしたところ、徐々に人気が出た。翌1971年にオリコンチャートで7週連続で1位を獲得、年間チャートで2位となる。また、この曲で第22回NHK紅白歌合戦に初出場した。
「さいはて慕情」渚ゆう子
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