当事江利チエミは父、母、また3人の兄、の生活を背負っていました。
長兄は陸軍士官学校出身で、英語も堪能なエリートでしたが、戦後の価値観の変化で順調な生活とは行かず、父がマネージャー、長兄が付き人という形で芸能活動が、江利チエミが12歳のころからスタートすることになりました。1949年(昭和24年)のことでした。
長兄は陸軍士官学校出身で、英語も堪能なエリートでしたが、戦後の価値観の変化で順調な生活とは行かず、父がマネージャー、長兄が付き人という形で芸能活動が、江利チエミが12歳のころからスタートすることになりました。1949年(昭和24年)のことでした。
江利チエミ/テネシーワルツ(英語版)初期のもの
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進駐軍のキャンプまわりの仕事をこなしていくうちに智惠美はドリス・ディの「アゲイン」などを習得し、ジャズ歌手への志向を高めていく。進駐軍のアイドルとなり、愛称は「エリー」となる。芸名の江利チエミはこの「エリー」から母が名づけた(以下、「チエミ」と記述)。特にチエミをかわいがってくれた進駐軍兵士ケネス・ボイドからその後の「運命の曲」となる「テネシーワルツ」のレコードをプレゼントされる。
江利チエミのテネシーワルツ(日本語版)
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1952年(昭和27年)1月23日に「テネシーワルツ/家へおいでよ」でレコードデビュー。そのときチエミは15歳でした。母はチエミのデビューを待たず1951年6月に他界しています。
同年、初主演映画の『猛獣使いの少女』に出演、チエミは「美空ひばり以来の天才少女」と呼ばれるようになります。
同年、初主演映画の『猛獣使いの少女』に出演、チエミは「美空ひばり以来の天才少女」と呼ばれるようになります。
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江利チエミ アメリカへ
メジャーデビューの翌年、1953年(昭和28年)には、アメリカのキャピトル・レコードから招かれ、「ゴメンナサイ / プリティ・アイド・ベイビー」を歌います。その曲はヒットチャートにランキングされ、ロサンゼルスなどでステージにも立ち絶賛を浴びます。それらは、日本人初の快挙でした。
ハワイでも公演を成功させ、そこでジャズ・ボーカル・グループ「デルタ・リズム・ボーイズ」と合流し、彼らと一緒にに凱旋帰国します。その後ジョイント・コンサートを日本各地で開き、ジャズ・ボーカリスト・ナンバー1の地位を獲得します。
「三人娘」と呼ばれ、一世を風靡する
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三人娘(さんにんむすめ)は、女性歌手、美空ひばり・江利チエミ・雪村いづみ(歌手デビュー順)の3人(3人とも1937年生まれ)を指す総称である。当初から単に「三人娘」と呼ばれており、現在でも単に「三人娘」と呼ばれることが多いが、その後いくつもこの3人にあやかって、「三人娘」が登場したため「初代三人娘」「元祖三人娘」などの通称が生まれた。また、3人が初めて共演した映画の表題から「ジャンケン娘」とも呼ばれた。
美空ひばり・江利チエミ・雪村いずみ ジャンケン娘
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江利チエミが1982年に45歳で、美空ひばりが1989年に52歳で、それぞれ若くして病気により亡くなっており、現在も存命中なのは雪村いづみのみです。現在、テレビなどでは自身の持ち歌より二人のヒット曲を歌う機会の方が多く、いづみがテレビ出演した際には、必ずと言っていいほど「三人娘」のエピソードが語られています。
テネシーワルツ 美空ひばり&雪村いずみ 1985' UPA‐0031
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この人より歌うまい人いるの?【美空ひばり】 - Middle Edge(ミドルエッジ)
永遠の歌姫、美空ひばり。その類稀なる歌唱力、表現力で歌謡界の女王であり続けた真の歌手です。今一度、その歌声にふれてみましょう。
悲しき口笛/雪村いづみ
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