長嶋家のお家騒動・長嶋茂雄と絶縁状態の一茂
2022年2月9日 更新

長嶋家のお家騒動・長嶋茂雄と絶縁状態の一茂

2021年8月、東京オリンピック聖火リレーに王貞治、松井秀喜とともに登場した「ミスタージャイアンツ」85歳の長嶋茂雄だった。文化勲章を授与された11月に長男の長嶋一茂との絶縁関係が明らかになった。長嶋家のお家騒動に関わった家族とは?長嶋茂雄と妻、4人の子供。絶縁理由や一茂と三奈との確執を考察。

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長嶋家の長嶋は、亜希子夫人の死去後の2007年に「オフィスエヌ」を長島三奈が引き継いだこと。
結果的に長嶋茂雄の商標権は三奈が一人で引き継いだことになる。2015年1月3日放送の『独占! 長嶋茂雄の真実~父と娘の40年物語~』(TBS系)では、長嶋茂雄と三奈が出演し話題となったが、同月13日発売の「FLASH」(光文社)では、長嶋茂雄の商標権を持つ「オフィスエヌ」の代表をつとめる三奈と一茂の確執を報じられた。

長嶋茂雄カレンダー

長嶋茂雄カレンダー

2022年 報知新聞社 長嶋茂雄(読売ジャイアンツ) カレンダー 壁掛け CL-571
ブランド: 報知新聞社(Hochi Shimbun)
2021年12月、「父とは、もう13年会っていない」長嶋一茂とミスターとの絶縁が報道される。父・長嶋茂雄と「生きているうちに父と会うことは、もう二度とないだろう」とエッセイに綴っている。実家に電話もした手紙も出したが、茂雄からの返信はなかった。妹・三奈とも連絡がつかないという。

13年前の出来事とは…。2009年に一茂が長嶋家関連商品を売却したことから始まった「長嶋茂雄商標登録問題」に関する意見の対立によって生じた確執のようだ。三奈が代表を努める「オフィスエヌ」の「長嶋茂雄」の商標期限が切れたタイミングで、一茂夫人の仁子さんが代表を務めていた「ナガシマ企画」が「長嶋茂雄」の商標を「オフィスエヌ」に承諾なしに登録した。弁護士同士協議した結果「長嶋茂雄商標登録問題」の商標は「オフィスエヌ」に戻された。

このことから、長嶋一茂とミスターは、今も絶縁状態になっている。

長嶋茂雄・現在の状況

2004年アテネ五輪の野球日本代表監督として就任するも、脳梗塞に倒れた。懸命にリハビリを重ねていた2018年に胆石が見つかり再入院。一時は寝たきり状態だった。東京オリンピック聖火ランナーを務めるために歩く訓練をしていたという。
2021年7月23日、東京・国立競技場で行われた東京オリンピック開会式に登場した。
2021年11月3日、巨人軍の長嶋茂雄終身名誉監督(85)が文化勲章を親授された。車椅子に乗る長嶋に、スポーツキャスターの次女・三奈(53)が付き添っていた。
2004年に、アテネ五輪野球の日本代表監督の長嶋茂雄が倒れた時に中畑コーチも、「実は一度も長嶋に会わせてもらえなかった」と明かしている。その時、長嶋には右半身の麻痺と言語への障害があった。

2007年に夫人が亡くなってから、一茂から三奈に何らかの潮目が変わったのか。
長嶋個人の意思を確認すべく面会を果たした人はいるのだろうか。
長嶋家のお家騒動「ミスタージャイアンツ」長嶋茂雄の本心やいかに…。

長嶋 茂雄の野球は人生そのものだ

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