東京パフォーマンスドール時代
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篠原涼子さんは1989年に事務所のオーディションに合格。その後ドラマ出演などを経て、1990年に東京パフォーマンスドールとしてデビューします。
今では大人数で踊るアイドルユニットが主流になっていますが、当時女性グループで大人数(7人)でスタイリッシュに踊るグループというスタイルは珍しかったんですよ。
また「フロントメンバー」「研究生」などに分かれているのも現在のアイドルに通じるものがありますね。
篠原涼子さんのほかに、フロントメンバーには市井由理さんや穴井夕子さん。研究生には徳永愛さんや仲間由紀恵さんも一時在籍していました。
1990年には前身グループであるゴルビーズとしてCDデビュー。1991年に東京パフォーマンスドールで「WAKE ME UP!!」をリリースするもののオリコン順位は圏外。その後、9枚のシングルをリリースしていますがオリコン最高位は34位でした。
当時は今のようにアイドルの楽曲がヒットチャートをにぎわせるということは少なかったですがそれにしてもあまりヒットしたとは言えないグループでしたね。
今では大人数で踊るアイドルユニットが主流になっていますが、当時女性グループで大人数(7人)でスタイリッシュに踊るグループというスタイルは珍しかったんですよ。
また「フロントメンバー」「研究生」などに分かれているのも現在のアイドルに通じるものがありますね。
篠原涼子さんのほかに、フロントメンバーには市井由理さんや穴井夕子さん。研究生には徳永愛さんや仲間由紀恵さんも一時在籍していました。
1990年には前身グループであるゴルビーズとしてCDデビュー。1991年に東京パフォーマンスドールで「WAKE ME UP!!」をリリースするもののオリコン順位は圏外。その後、9枚のシングルをリリースしていますがオリコン最高位は34位でした。
当時は今のようにアイドルの楽曲がヒットチャートをにぎわせるということは少なかったですがそれにしてもあまりヒットしたとは言えないグループでしたね。
在籍時にソロデビューも!
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篠原さんがソロでCDデビューしたのは東京パフォーマンスドール在籍時。1991年なのでグループとしてCDデビューするよりも前に「恋はシャンソン」でデビューしています。この時の名義は篠原涼子 from 東京パフォーマンスドールでした。
この名義で「スコール」、「Sincerely」と3枚のシングルをリリースされています。
この名義で「スコール」、「Sincerely」と3枚のシングルをリリースされています。
小室哲哉プロデュースで大ブレイク!
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そして、1994年2月に小室哲哉さんプロデュースで「恋しさとせつなさと心強さと」をリリース。映画「ストリートファイターII MOVIE」の主題歌でもありました。
オリコン初登場時は20位でしたが徐々に人気が出て1994年9月26日付と、翌々週10月10日付のオリコンチャートでは1位を獲得!リリースしてから半年以上たってこれだけ売り上げが伸びるなんてすごいですよね。日本の女性ソロシンガーとして初めて200万枚突破。年間オリコンチャートも3位という売上でした。映画、アニメのタイアップ曲として2021年現在史上一番の売上です。
この曲が第36回日本レコード大賞 優秀賞、第27回日本有線大賞 有線音楽優秀賞、第32回ゴールデン・アロー賞 最優秀新人賞、音楽新人賞を獲得し一気にブレイクしたのです。
東京パフォーマンスドールを脱退したのは1994年の9月だったので、この時はまだ在籍していたんですよ。
ちなみに、当時カラオケの映像は「本人が映るのはNG」という規定がありました。小室哲哉さんがそれに対し「演歌はOKなのになぜポップスはだめなのか」と主張し、ソニー系列のアーティストで初めてカラオケで本人映像が流れることになりました。小室さんの主張がなければカラオケで本人映像は普及していなかったのかもしれないですね。
続くシングル「もっと、もっと・・・」も小室哲哉さんプロデュース。この2曲は「篠原涼子 with t.komuro」名義でした。この曲もヒットしましたね。
その次の6枚目のシングル「Lady Generation」も小室さんプロデュースでしたが、名義は「篠原涼子」単独になっています。
小室さんとタッグを組んだシングルはこの3枚ですが、2018年に篠原さんが主演した映画「SUNNY 強い気持ち・強い愛」の音楽担当が小室哲哉さん。当時、引退を発表していたので最後の映画音楽になっていました(その後2020年に復帰していますが)
1995年 - 1997年に高校生で仲良しグループだった6人が大人になった姿を描いた映画で懐かしくぴったりのコンビでしたね。
オリコン初登場時は20位でしたが徐々に人気が出て1994年9月26日付と、翌々週10月10日付のオリコンチャートでは1位を獲得!リリースしてから半年以上たってこれだけ売り上げが伸びるなんてすごいですよね。日本の女性ソロシンガーとして初めて200万枚突破。年間オリコンチャートも3位という売上でした。映画、アニメのタイアップ曲として2021年現在史上一番の売上です。
この曲が第36回日本レコード大賞 優秀賞、第27回日本有線大賞 有線音楽優秀賞、第32回ゴールデン・アロー賞 最優秀新人賞、音楽新人賞を獲得し一気にブレイクしたのです。
東京パフォーマンスドールを脱退したのは1994年の9月だったので、この時はまだ在籍していたんですよ。
ちなみに、当時カラオケの映像は「本人が映るのはNG」という規定がありました。小室哲哉さんがそれに対し「演歌はOKなのになぜポップスはだめなのか」と主張し、ソニー系列のアーティストで初めてカラオケで本人映像が流れることになりました。小室さんの主張がなければカラオケで本人映像は普及していなかったのかもしれないですね。
続くシングル「もっと、もっと・・・」も小室哲哉さんプロデュース。この2曲は「篠原涼子 with t.komuro」名義でした。この曲もヒットしましたね。
その次の6枚目のシングル「Lady Generation」も小室さんプロデュースでしたが、名義は「篠原涼子」単独になっています。
小室さんとタッグを組んだシングルはこの3枚ですが、2018年に篠原さんが主演した映画「SUNNY 強い気持ち・強い愛」の音楽担当が小室哲哉さん。当時、引退を発表していたので最後の映画音楽になっていました(その後2020年に復帰していますが)
1995年 - 1997年に高校生で仲良しグループだった6人が大人になった姿を描いた映画で懐かしくぴったりのコンビでしたね。
その後も数々の大物とタッグ!
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小室さんプロデュースの「Lady Generation」を発売した3か月後に、井上陽水さん作詞作曲の「ダメ!」をリリースしています。次も大物の楽曲提供ということで話題になりましたよね。
翌年の1996年には広瀬香美さん作詞作曲の「平凡なハッピーじゃ物足りない」と、秋元康さん作詞の「しあわせはそばにある」をリリース。
さらに忌野清志郎と篠原涼子名義で「パーティーをぬけだそう!」という楽曲をリリース。個性的な大物プロデュース曲が続きますがどれも篠原さんにマッチしている感じがしました。個人的には特にこの忌野清志郎さんとのデュエットがぴったりだなと思いましたよ。
その後、5枚のシングルをリリース。自ら作詞にも挑戦するようになりました。
そして2003年に椎名林檎さんの兄である椎名順平さんのシングルで「Time of GOLD」を椎名純平 with 篠原涼子名の名前でリリースしています。
作詞はおちまさとさん、作曲は椎名順平さんでした。
この楽曲のリリースを最後に、篠原さんは音楽活動をされていません。女優業に専念されるようになりました。可能性は低いと思いますが、またどこかで歌声が聞ける日が来るといいですよね。
翌年の1996年には広瀬香美さん作詞作曲の「平凡なハッピーじゃ物足りない」と、秋元康さん作詞の「しあわせはそばにある」をリリース。
さらに忌野清志郎と篠原涼子名義で「パーティーをぬけだそう!」という楽曲をリリース。個性的な大物プロデュース曲が続きますがどれも篠原さんにマッチしている感じがしました。個人的には特にこの忌野清志郎さんとのデュエットがぴったりだなと思いましたよ。
その後、5枚のシングルをリリース。自ら作詞にも挑戦するようになりました。
そして2003年に椎名林檎さんの兄である椎名順平さんのシングルで「Time of GOLD」を椎名純平 with 篠原涼子名の名前でリリースしています。
作詞はおちまさとさん、作曲は椎名順平さんでした。
この楽曲のリリースを最後に、篠原さんは音楽活動をされていません。女優業に専念されるようになりました。可能性は低いと思いますが、またどこかで歌声が聞ける日が来るといいですよね。
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