1996年の日本シリーズで、期待に応えた大森剛!
シーズン終盤には一軍に昇格。怪我で離脱した落合博満に変わり一塁のレギュラーとして出場し、セ・リーグ優勝を決めた対中日ドラゴンズ戦では門倉健から本塁打を放つ。
オリックス・ブルーウェーブとの日本シリーズで巨人は1勝4敗で敗れたものの、大森はシリーズ第一戦では9回の裏に代打同点本塁打を放つなどシリーズ通算でも打率.333本塁打2打点3と活躍する。
日本シリーズ1996年 オリックスブルーウェーブ 巨人④ - YouTube
4:12~ 大森の活躍を特集。ホームランシーン。
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1998年近鉄に移籍し、1999年に引退
1998年5月、南真一郎・背尾伊洋との交換トレードで近鉄へ移籍(9月、娘・美優が誕生)。
近鉄移籍後も一塁手のレギュラー争いで吉岡雄二に敗れ首脳陣から屈辱的な言葉を受けたため、二軍にいても居場所が無かった。
ここで右肩の痛みが再発し、1999年は出場機会がなくシーズン終了後に戦力外通告を受け、現役を引退。
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引退後は巨人のスカウトとして坂本を発掘!
坂本勇人を高校2年生のころからチェックし2006年の高校生ドラフト1位候補として徹底的にマーク、積極的に球団に推薦していた。
しかし編成のトップである清武英利球団代表、現場のトップである原辰徳監督らは堂上直倫を指名する結論を固めていた。
それでも「進退をかけて(本人談)」大森は坂本を猛プッシュし、「ハズレ1位なら坂本を指名」という条件が固まった(のち巨人は堂上の交渉権を外し、坂本をハズレ1位で獲得)。その後、坂本は球界を代表する選手となった。
2012年より育成部ディレクターへ異動となった。
大森剛がドラフト1位を受けた1989年は、史上空前の当たりドラフトとも言われ、野茂英雄(近鉄)、与田剛(中日)、佐々木主浩(大洋)、潮崎哲也(西武)等が1位指名された。
2位以下でも前田智徳(広島4位)、古田敦也(ヤクルト2位)、新庄剛志(阪神5位)、石井浩郎(近鉄3位)等、後に球界を代表する選手に育っていく選手ばかりだった。
その中で、大森剛が不本意な成績で終わってしまった事で、巨人のスカウト力を揶揄するコメントもあった。しかし、その大森剛自身が巨人のスカウトとして坂本勇人を発掘した事で、本人の現役時代とは違った形で、一流の野球人として認められている。
2位以下でも前田智徳(広島4位)、古田敦也(ヤクルト2位)、新庄剛志(阪神5位)、石井浩郎(近鉄3位)等、後に球界を代表する選手に育っていく選手ばかりだった。
その中で、大森剛が不本意な成績で終わってしまった事で、巨人のスカウト力を揶揄するコメントもあった。しかし、その大森剛自身が巨人のスカウトとして坂本勇人を発掘した事で、本人の現役時代とは違った形で、一流の野球人として認められている。