ヘルマンことHermann H.&The Pacemakersが紆余曲折を経て復活していた!
2020年8月30日 更新

ヘルマンことHermann H.&The Pacemakersが紆余曲折を経て復活していた!

2000年代前半にライブシーンで活躍していたヘルマンことHermann H.&The Pacemakersというバンドをご存知でしょうか?人気上昇中だった2005年から活動休止していましたが、実は紆余曲折を経て復活しているのです!

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Profile | hermann-h-hp (2221646)

Hermann H.&The Pacemakers(ヘルマンエイチ アンド ザペースメーカーズ)というバンドをご存知でしょうか?

1998年に大学のサークル仲間で結成し、翌1999年にミニアルバムをリリース。
2001年にメジャーデビューしました。
ライブ活動を精力的にこなし、2000年代前半は「RISING SUN ROCK FESTIVAL」や「ROCK IN JAPAN FESTIVAL」「SUMMER SONIC」などの大型フェスにも出演していました。
音楽好きライブ好きの方なら一度はフェスや音楽イベントで見かけたのではないかと思います。

ヘルマンはとにかく個性が強いバンド!

「Hermann H.&The Pacemakers」というこの長ーいバンド名。
きっとメンバーの想いがつまったバンド名かと思いきや、由来は特になく思いつきだそう。
ちなみにファンからは「ヘルマン」と略されて呼ばれています。

Vo, G岡本のハスキーで力強い歌声と一度聴いたら耳に残るメロディ、どこか懐かしいサウンド、日本語詞も英詞もありのオリジナリティ溢れる歌詞がヘルマンの魅力。
曲作りは主にVo,G岡本とG平床が担当し、岡本が弾き語りみたいな感じで作ったものに、平床が歌詞を乗せるという作り方をしているそうです。
ヘルマンというバンドが生み出す核みたいなところには俺と平床が居て、それを爆発させるためにメンバーが居る
単純に、自分にしかないものを作ろうとしているんですけど、その中でいちばん大事なのはメロディなんです。ただ踊らせるだけじゃダメで、踊れる上に絶対に残るもの。何をやってもいいけど、そのこだわりだけは絶対に失いたくないと思って作ってます。
そして興味深いのは「ウルフ」という聞いたことのないパートが存在すること。
「ウルフ」とは一体どんなことをするのか、簡単に言うとライブの盛り上げ役です。
ヘルマンで「ウルフ」を担当するのは若井悠樹。
ライブで叫んだり、踊ったり、時には暴れる岩井がいないとヘルマンではない!というくらい欠かせない存在です。

「言葉の果てに雨が降る」「アクション」「あまつゆのバラード」など今現在聞いても名曲がいっぱいあります。

Hermann H.&The Pacemakers - 言葉の果てに雨が降る

Hermann H.&The Pacemakers - アクション

Hermann H.&The Pacemakers - あまつゆのバラード

人気上昇中にメンバー脱退&活動休止

ライブシーンで活躍し、順調に活動していたヘルマンでしたが、2003年に「音楽活動におけるスタンスの相違」という理由でヘルマンの楽曲作りの中心でもあった平床が脱退してしまいます。同じ年にドラムの梶山も脱退。
そして、2005年3月に活動休止を発表しました。

7年ぶりの復活!しかし…またしても困難が

活動休止の約7年後の2012年2月、メンバー3人(岡本、若井、溝田)が集まった1日限定復活ライブが開催されることになり、チケットは即完売となりました。そのことからもファンがヘルマンの復活を待ち望んでいたことがよくわかりますよね。
その後6月に活動再開が発表されました。

そして、ファンにとってはまた嬉しいニュース!活動休止前に脱退してしまった平床が再びバンドに参加することになりました。
2014年1月には、約10年ぶりとなるアルバム『THE NOISE,THE DANCE』をリリースしました。

その2年後、2016年11月にデビュー15周年記念ライブを発表!
しかし、その目前に岡本の下咽頭癌が発見され、ライブが中止となってしまいます。
どの医師もまず、「ステージ4の進行形の癌です。喉の全摘出を行わないと命に関わります。その際、声は失われます。」と言われました。

しかし、結局主治医になる先生の方だけが、「岡本さんの職業、そして若さと体力を信じて全摘出の手術ではなく、化学療法(抗がん剤、放射線治療)から始め、とにかく喉を守りましょう」と仰ってくれ、まだ少しは希望があるんだと。そしてこの人となら闘える、と思いました。
岡本は喉の全摘出ではなく、化学療法(抗がん剤、放射線治療)を選択します。
1997年にHermann H.&The Pacemakersを
結成して以来、紆余曲折ありながらも
みんなの応援、愛情なくしては
僕はこの喉で今まで歌い続けることは
許されませんでした。
本当に、本当にありがとう。

その喉と、ミュージシャン岡本洋平、
いや、1人の人間としての力が
今突然試されることになってしまいました。

病気が判明した後、
正直僕自身全てに絶望した時もありました。
そんなさなかある日なぜかふと、
知らない香りの優しい風が吹いたかのように
自分の中に渦巻く感情の迷路が解けた時、
「この病気と闘い、絶対に勝ってやる」
というシンプルな答えとみなぎる精神力を
僕なりに導き出せました。

そして、
やはりみんなには伝えておくべきなんだ、
と決断するに至りました。

これから先自分に何が待ち受けているのか、
僕にも何もわかりません。

ですが僕は僕の信じるやり方で、
立ち向かい方で、
持ちうる限り全ての前向きなエネルギーで!、
しっかり病と向き合い、闘います。
そして僕はまた汚いスニーカーを履いて
何くわぬ顔で帰ってくるつもりです。
みんなと見てきたたくさんの
愛すべき素晴らしい景色に誓って約束します。

だからあなたもその日まで元気でいると
僕に約束してください。

動揺させてしまったならごめん。
でも僕は大丈夫です!

最後にもう一度。

本当にいつもありがとう。

さて!
再びテケテケテングが鳴り響く日に
また会おうぜ!

愛をこめて

Hermann H.& The Pacemakers
岡本洋平

ヘルマン復活祭!

岡本は闘病生活を送り、その後の検査において「現状、再発・転移の恐れなし」との結果を受けて、2018年5月に岡本の復活祭が行われました。
岡本の提案により行われたその復活祭「Hermann H. & The Pacemakers presents NEVER DIE YOUNG」では、親交のあった曽我部恵一、GOING UNDER GROUND、POLYSICS、 Caravan、中村一義などが参加しました。
命をもう一度頂いた。とは言え、過ぎ去ったことはもう、いいのだ。
未来はいまだ水平線の向こうでまどろんでるけど、俺は今、ライブをやりたい。
だからやることにした。
仲間を連れて、結成から20年という月日を連れて、またヘルマンは暴れに戻ります。
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