Extension of a Man
フランシス・プーランクなどサティとジャン・コクトーに強く影響を受けた6人組の作曲家集団であるレ・シスの研究をダニー・ハサウェイは行っていました。そんなダニー・ハサウェイに「ダフニスとクロエ」の楽譜を手始めにオーケストレーションについて指導したのが日本でも大ヒットした「愛のコリーダ」等で有名なクインシー・ジョーンズです。1972年には、そのクインシー・ジョーンズとの合作が映画「ハーレム愚連隊」のサウンドトラック・アルバムです。ここではほぼ全曲の作曲、編曲、指揮をダニー・ハサウェイが手掛けていると言われています。
そして、同じく1972年リリースされたアルバム「ロバータ・フラック&ダニー・ハサウェイ 」をはさんで、クインシー・ジョーンズからの影響、経験を活かして制作されたのが、ダニー・ハサウェイ生前最後のスタジオ・アルバム「愛と自由を求めて」です。1973年にリリースされています。
渾身の1枚と言えるでしょう。
そして、同じく1972年リリースされたアルバム「ロバータ・フラック&ダニー・ハサウェイ 」をはさんで、クインシー・ジョーンズからの影響、経験を活かして制作されたのが、ダニー・ハサウェイ生前最後のスタジオ・アルバム「愛と自由を求めて」です。1973年にリリースされています。
渾身の1枚と言えるでしょう。
オープニング・ナンバーの『I Love the Lord; He Heard My Cry, Pt.1&2』は、壮大なスケールを持つナンバーで、包み込むような優しさを持つ前半と、不気味に不安を煽る後半という二部で構成されており、ダニー・ハサウェイが目指していた音楽の一つの完成型と言えるでしょう。
Donny Hathaway『Someday We'll All Be Free』
いつか自由に
via www.youtube.com
1974年には、制作会社を設立し、アレサ・フランクリンのバックを務めるなど裏方にまわり、徐々に音楽の表舞台から遠ざかっていきます。
スランプと言ってもいいでしょうが、ダニー・ハサウェイは精神のバランスを崩していたのです。
カムバックするのは1978年のロバータ・フラックとのデュエット曲「ザ・クローサー・アイ・ゲット・トゥ・ユー」でした。全米2位、R&Bチャートでは1位となったこの曲に続いてソロ・シングル「ユー・ワー・メント・フォー・ミー」をリリース。
この曲が生前最後の曲です。クインシー・ジョーンズの話ではダニー・ハサウェイは新しいソロ・アルバムの準備が出来ていたようですが、リリースされることはありませんでした。
ダニー・ハサウェイが助けを求めてクインシー・ジョーンズに電話をかけてきたのは、死の2か月前のことで、何もしてあげられなかったことをクインシー・ジョーンズは悔やんでいるそうです。
僅か33歳。あまりにも早すぎます。
スランプと言ってもいいでしょうが、ダニー・ハサウェイは精神のバランスを崩していたのです。
カムバックするのは1978年のロバータ・フラックとのデュエット曲「ザ・クローサー・アイ・ゲット・トゥ・ユー」でした。全米2位、R&Bチャートでは1位となったこの曲に続いてソロ・シングル「ユー・ワー・メント・フォー・ミー」をリリース。
この曲が生前最後の曲です。クインシー・ジョーンズの話ではダニー・ハサウェイは新しいソロ・アルバムの準備が出来ていたようですが、リリースされることはありませんでした。
ダニー・ハサウェイが助けを求めてクインシー・ジョーンズに電話をかけてきたのは、死の2か月前のことで、何もしてあげられなかったことをクインシー・ジョーンズは悔やんでいるそうです。
僅か33歳。あまりにも早すぎます。
Donny Hathaway - You Were Meant For Me
via www.youtube.com
1. 神わが声をきき給う
2. いつか自由に
3. フライング・イージー
4. ヴァルデズ・イン・ザ・カントリー
5. 溢れ出る愛を
6. リトル・チルドレン
7. 愛のすべて
8. 貧民の街
9. マグダレナ
10. アイ・ノウ・イッツ・ユー