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プロレスリング・ノアの社長、そして現役のプロレスラーとしてその後も活躍を続けた三沢ですが、2009年6月、広島で行われた試合中に受けたバックドロップが元で頭部を強打し、帰らぬ人となってしまいました。死因についてですが、バックドロップ自体は受け身が取れていたため、選手兼社長としての「過労」が遠因ではないかとも推測されています。晩年、「選手としては休んだらどうか」と言われた際に「地方にはタイガーマスクだった三沢、超世代軍で鶴田と戦っていた三沢を見に来てくれる客がいる(だから自分が試合に出ないわけにはいかない)」と語っていた三沢。自身の命をかけて「2代目」タイガーマスクとしての生涯を全うしたと言えるでしょう。
獣神サンダー・ライガー
次にご紹介するのは「獣神サンダー・ライガー」。アニメ「獣神ライガー」のタイアップ企画として1989年4月にデビューした覆面レスラーであり、その正体は山田恵一というのが公然の秘密であるものの、ギミック上ではあくまで「正体不明」ということになっていました。
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派手な恰好で一躍プロレスファンの注目を浴びた獣神サンダー・ライガー。その経歴はアニメと連動しており、デビュー当初は「獣神ファイヤー・ライガー」と名乗っていたもののアニメの展開に合わせて翌1990年には「獣神サンダー・ライガー」へと改名するなどの変更が行われています。また、テレビ中継における実況が「山田がサンダー・ライガーの正体である」ことが前提として行われることが多々あり、「骨法炸裂!やはり山田か」といった発言が飛び出したりもしていました。さらに、試合中にマスクをはがされたこともあります。
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そんなユニークな覆面レスラーである獣神サンダー・ライガーですが、好敵手として挙げられるのは初代タイガーマスクのライバル「虎ハンター」として知られる小林邦昭です。小林はサンダー・ライガーのデビュー戦で対決したほか、2000年に行われた自身の引退試合をサンダー・ライガーとの対決で締めくくるなど、サンダー・ライガーの象徴的な相手として印象に残る人物でした。
獣神サンダー・ライガー名試合ダイジェスト〜1989.4.24 獣神ライガーvs小林邦昭〜
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その独特なキャラクター性からメディア露出も多かった獣神サンダー・ライガー。近年ではバラエティ番組「水曜日のダウンタウン」に度々出演しており、「ライガー選手がロメロスペシャル『整体中にやられても気がつかない説』」では、ノリノリで技をかける様子が視聴者の笑いを誘っていました。長年にわたり覆面レスラーの代表格として君臨してきたサンダー・ライガーでしたが、2020年1月にはついに現役を引退。その直後の同年3月には、WWE殿堂入りが発表されています。
ウルトラマンロビン
円谷プロ唯一の公認レスラーとして著名な「ウルトラマンロビン」。ウルトラマンロビンとはイギリスに渡り活躍していたプロレスラー・尾内淳の変身後の姿であり、1990年に尾内が帰国後、円谷プロ公認覆面レスラー「ウルトラマンロビン」と名乗り、「1・2・3 ディスティニー!」の決めゼリフで観衆を沸かせ始めました。
ウルトラマンロビンという名称ですが、これには円谷プロから「使用条件」が付されており、「(出来るだけ)試合には絶対負けるな」「汚い試合や卑怯なことはするな」という縛りプレイを要求されています。また「ロビン」は、元々イギリスで活動していた尾内の経歴から来ており、「ロビン・フッド」が元ネタとのこと。
ウルトラマンロビンの試合には、円谷プロに関連する怪獣が登場するなどしていました。これについては、当初は怪獣の版権について許可を貰っていたものの、2012年の円谷プロの経営体制刷新により版権切れが発生。以降は版権絡みの怪獣などを登場させないことで、ウルトラマンロビンとしての活動を継続させることとなりました。また近年は、みちのくプロレスが毎年末に後楽園ホールで開催する興行「宇宙大戦争」へも参戦しています。さらに、そのビジュアルを活かして保育園で「ちびっこプロレス教室」を開催するなど、正義の味方としての社会貢献にも余念がありません。
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