1993年 池山1イニング2発(満塁&3ラン)
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長く低迷が続いたヤクルトでしたが、1992年に名将・野村監督の下、阪神とのし烈な優勝争いを制し14年目のリーグ優勝を達成。この年の日本シリーズでは王者・西武に3勝4敗と敗れますが、翌1993年にリーグ連覇を達成。2年続けて西武と対決した日本シリーズを4勝3敗で制します。1994年は故障者続出の為に4位に沈みますが、1995年にリーグ優勝。イチロー選手擁するオリックスを4勝1敗で退けます。更に1997年にも2位横浜に11ゲームの大差をつけてのリーグ優勝。日本シリーズでも西武を4勝1敗で退けて、チームは野村監督の下で3度目の日本一になるのです。
1992年ヤクルトリ-グ優勝の瞬間
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ヤクルトスワローズが黄金時代を迎えていたこの時期。池山選手は以下の受賞歴が示すようにに大きく優勝に貢献します。
日本シリーズ優秀選手賞:(1995年、1997年)
ゴールデングラブ賞:(遊撃手部門:1992年)
ベストナイン:5回 (遊撃手部門:1988年 - 1990年、1992年、1993年)
「ブンブン丸」の愛称があり、打撃に注目が集まりがちの池山選手ですが、黄金期のヤクルトの守備の要のショートのポジションを守り続けていたことも注目すべきだと思うのです。
日本シリーズ優秀選手賞:(1995年、1997年)
ゴールデングラブ賞:(遊撃手部門:1992年)
ベストナイン:5回 (遊撃手部門:1988年 - 1990年、1992年、1993年)
「ブンブン丸」の愛称があり、打撃に注目が集まりがちの池山選手ですが、黄金期のヤクルトの守備の要のショートのポジションを守り続けていたことも注目すべきだと思うのです。
1993 ヤクルトリーグ優勝の瞬間
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遊撃手というポジションを任されてきた池山選手でしたが、1996年ごろからはアキレス腱痛に悩まされ始めます。この時期、宮本慎也選手が台頭してきたこともあり、1997年シーズンから三塁手へ転向する。2000年からは岩村明憲選手が三塁のポジションを獲得した事によって、池山選手は代打を務めることが多くなります。そして2001年シーズンからは背番号1を岩村選手に譲り、池山選手自身は入団時の背番号36に戻しました。
池山 隆寛引退試合
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池山選手の引退試合は、2002年10月17日に明治神宮球場で行われた広島東洋カープ戦。この時、池山選手の右足は限界を超えていて、全力疾走をできないような状態だったのですが、1打席のみの出場ではなく、3番ショートでスタメン出場します。延長戦までもつれたこの試合。最後にもう一度池山選手を打席に送り出そうと、飯田哲也選手がセーフティバントを試み一塁へヘッドスライディング、続く稲葉篤紀選手が犠打で繋ぎ2死二塁。ホームランで逆転サヨナラの場面をおぜん立てします。
この時、池山選手は打席に向かう時点で号泣。長谷川昌幸選手が投じた150km超の直球に3球続けて代名詞のフルスイングで空振り三振。ヤクルト一筋19年の現役生活に幕を閉じたのです。
この時、池山選手は打席に向かう時点で号泣。長谷川昌幸選手が投じた150km超の直球に3球続けて代名詞のフルスイングで空振り三振。ヤクルト一筋19年の現役生活に幕を閉じたのです。
引退後は、2006年からはヤクルト時代の恩師である野村克也監督の下で東北楽天ゴールデンイーグルス一軍打撃コーチを務めます。2009年に楽天を退団後、2011年には古巣であるヤクルトへ復帰。2015年まで、一軍、二軍の打撃コーチを歴任します。そして、2016年シーズンからは楽天に復帰。一軍打撃コーチを務めています。現役時代につけられた「ブンブン丸」という、バットを振り回すイメージが強い池山選手ですが、野村監督の下で身につけた「ID野球」、打撃理論を用いて指導にあたっているのです。
【池山隆寛 コーチ歴】
東北楽天ゴールデンイーグルス (2006 - 2009)
一軍打撃コーチ
東京ヤクルトスワローズ (2011 - 2015)
2011~12年二軍打撃コーチ、2013年一軍打撃コーチ、2014年二軍打撃コーチ、2015年二軍野手総合コーチ
東北楽天ゴールデンイーグルス (2016 - )
一軍打撃コーチ
東北楽天ゴールデンイーグルス (2006 - 2009)
一軍打撃コーチ
東京ヤクルトスワローズ (2011 - 2015)
2011~12年二軍打撃コーチ、2013年一軍打撃コーチ、2014年二軍打撃コーチ、2015年二軍野手総合コーチ
東北楽天ゴールデンイーグルス (2016 - )
一軍打撃コーチ