テレサ・テンの歌が今も愛される理由・天安門事件で変わった運命
2019年10月2日 更新

テレサ・テンの歌が今も愛される理由・天安門事件で変わった運命

「アジアの歌姫」といわれ、没後、今も愛されるテレサ・テン。母国・台湾でのおいたちや日本での演歌歌手としての活動、中国・アジア圏での人気と天安門事件で変わった運命、テレサの秘めたる思い、懐かしい動画をご紹介します。

11,645 view

鄧麗君3連覇「日本有線大賞」等之大賞及1986「日本唱片大賞」之金賞

史上初となる3年連続のグランプリを受賞。
五木ひろしはテレサ・テンとの合成デュエット。かつて交際していたジャッキー・チェンもまたテレサ・テンとの合成デュエットをリリースしている。

マルシア、小林幸子、森進一、八代亜紀、加藤登紀子、夏川りみ、つるの剛士、徳永英明、チョーヨンピル他によりカバーされている。
1987年6月に発売された「別れの予感」は、テレサ・テン18枚めのシングル

テレサ・テン-别れの予感

「別れの予感」
作詞:荒木とよひさ、作曲:三木たかし、編曲:林有三。
テレサ・テンの「別れの予感」は、香港の歌手、ビビアン・チョウや日本の歌手の中森明菜、岩崎宏美、由紀さおり、門倉有希、夏川りみ、ニック・ニューサがカバーしている。

天安門事件で変わったテレサ・テンの運命

10年後に中国返還を控えた1987年にテレサ・テンは台湾から香港に移住していた。

天安門事件によって、多くの人の運命が変わった。テレサ・テンもそのひとりだ。
 (1819961)

1989年5月27日に香港で開かれた、民主化運動を支援する野外コンサートでテレサ・テンは、「民主万歳」と書かれた鉢巻をして、「反対軍管」と書かれた紙を首から下げて「私の家は山の向こう」(我的家在山的那一邊)を歌った。観客は約30万人を超えていた。
このコンサートの8日後に天安門事件は起こった。
1989年6月4日に天安門広場“血の日曜日”事件が起こった。
大陸でコンサートを開くことがテレサ・テンの夢だった。自分の歌を愛してくれる普通の人々のために無料でコンサートを開く計画が進んでいた。その会場は天安門広場だったのかもしれない。
そしてテレサ・テンは香港が中国に返還され、人民解放軍がやってくることを恐れていた。
 (1819967)

香港を発ちパリへ移住。凱旋門近くフォブール・サン・トノレ通り230番地のアパートを貸りて生活する。
1990年6月パリ市内シャンゼリゼ通りの近くのモンテニュー大通りのマンションを購入、本格的にパリに落ち着く。
その時、フランスは革命から200周年を迎えていた。当時のフランス政府は、中国からの政治亡命者を受け入れていた。中国の民主化を推進するために「民主中国陣線」が結成された。
1992年6月パリ、エッフェル塔の下にあるトロカデロ広場にて天安門事件3周年集会に参加、他の参加者と共にテレサ・テンは涙ながらに「血染的風来」という曲を歌った。

42歳のテレサ・テンがタイで死去

1995年 5月8日タイ北部チェンマイに休暇で滞在中、気管支喘息の発作による呼吸困難で死去する。42歳。
チェンマイ

チェンマイ

テレサ・テンの歌が今も愛される理由

1980年代になると、テレサ・テンの違法コピーカセットテープがアジアや中華人民共和国で出回るようになり、爆発的な人気を博した。特に中国では、1930年代に流行した「何日君再来(ホーリーチュンツァイライ)」(作詞:貝林 作曲劉雪庵)のカバーが民衆の心を掴んだ。
Teresa in Japan (1819977)

日本デビューした約10年後の1983年にテレサ・テンは、香港デビュー15周年を記念したツアーを行い、10万人の観客を動員した。
44 件

思い出を語ろう

     
  • 記事コメント
  • Facebookでコメント
  • コメントはまだありません

    コメントを書く
    ※投稿の受け付けから公開までお時間を頂く場合があります。

あなたにおすすめ

関連する記事こんな記事も人気です♪

テレサ・テンが愛したタイ王国・チェンマイ・当時の恋人とテレサの家

テレサ・テンが愛したタイ王国・チェンマイ・当時の恋人とテレサの家

アジアの歌姫テレサ・テンが滞在していたタイ国、最期の地となったチェンマイ。 当時の思い出とともにテレサをめぐる旅におすすめの名所を紹介します。 テレサ亡き後の歳年下のボーイフレンドや香港のテレサの家の顛末を辿ってみた。
「テレサ・テンの日本のふるさと」福島県三島町で、 「テレサ・テン企画展、ファンとのオンライン交流会」を開催!

「テレサ・テンの日本のふるさと」福島県三島町で、 「テレサ・テン企画展、ファンとのオンライン交流会」を開催!

テレサ・テンゆかりの福島県三島町。この度「テレサ・テン企画展」やテレサファンの皆様と交流を深める「オンライン交流会」が開催されます。
【大川栄策】今も伝説として語り継がれる、元祖お色気どっきり!彼のだまされっぷりを見て、爆笑した思い出がありませんか?

【大川栄策】今も伝説として語り継がれる、元祖お色気どっきり!彼のだまされっぷりを見て、爆笑した思い出がありませんか?

大川栄策は、「さざんかの宿」のヒットで知られる演歌歌手です。「さざんかの宿」がヒットしてしばらく、大川栄策は、フジテレビの人気番組「スターどっきりマル秘報告」のターゲットにされていました。
cyomo | 30,875 view
【永久保存】演歌歌手・藤圭子の懐かしい貴重な映像 

【永久保存】演歌歌手・藤圭子の懐かしい貴重な映像 

演歌歌手の藤圭子は旅芸人の子供として生まれ、中学を卒業して上京、1970年代に演歌歌手として活躍した。宇多田ヒカルの母親だ。2013年に西新宿のマンションから転落死した。 藤圭子さんのデビュー当時からの貴重な映像や画像を集めてみました。
【石川さゆり】若い現代のアーティスト達ともコラボし、常に進化を続ける演歌会の大御所。その歌声と美貌に夢中になるファンは増えています。

【石川さゆり】若い現代のアーティスト達ともコラボし、常に進化を続ける演歌会の大御所。その歌声と美貌に夢中になるファンは増えています。

今年でデビュー42年目を迎える演歌歌手、石川さゆり。2016年の紅白歌合戦ではトリを務めるなど、大御所といっていい貫禄を持っています。CMなどでも彼女の歌声を耳にする事は多く、今時の高校生でも知っている、昭和の歌姫のこれまでの歴史を振り返ってみましょう。
cyomo | 4,101 view

この記事のキーワード

カテゴリ一覧・年代別に探す

あの頃ナウ あなたの「あの頃」を簡単検索!!「生まれた年」「検索したい年齢」を選択するだけ!
リクエスト