山本浩二の人柄は
のんびり屋の性格で、後に妻になる鏡子夫人が、神宮球場に憧れの山本本人を見に来ているのを見ながら、「あれ(鏡子夫人のこと)、誰の彼女じゃろか?」と感じていたほど呑気であったという。
プロポーズの言葉は「両親に会ってくれ」とのこと。
現役時代、王貞治、田淵幸一、星野仙一、平松政次、松岡弘と共に、細川たかしの「六つの星」という歌にバックコーラスで参加したことがある。しかし この曲のジャケット写真 では、なぜか山本だけがビジター用のユニフォームを着ていた。その理由は現在でも不明である。
現役時代の移動時に着用していた黒スーツ(ストライプ入り等)、パンチパーマなど、衣笠祥雄、江夏豊らと新幹線のホームに立つと迫力があった。西崎幸広や阿波野秀幸、水上善雄やヤクルトの選手らがお洒落な髪型にしたり、DCブランドを着始める前まで、プロ野球選手の私服や移動時はこうしたファッションが主流だった。
鼠先輩(岡山県赤磐市出身)も自身のパンチパーマにヤクザ風のスーツファッションは、現役時代の山本と衣笠を意識したものと話している。
ヤマザキの「エイトドーナツ」の袋に描かれている野球選手である。
山本浩二の名言や、山本浩二という人物は今も語り継がれる人なのです。
山本浩二は、幸せな男です。
— グッとくるカープシチュbot (@hinnyu_status) November 8, 2015
by山本浩二
1986年、カープは西武との日本シリーズを3勝4敗1分けで逃した。
山本浩二はホームランを打つ活躍をしながら、この年での引退を決意していた。
記者会見の眩しいフラッシュの前で、この名言は生まれたのだ。
集中力はどこから生まれるのか。僕は、自分の経験から、自信と考える。
— saito- (@m10610266) November 7, 2015
─山本浩二(元プロ野球選手)
☆1975年監督となったジョー・ルーツはこう言った。『うちには山本浩二、衣笠と30本塁打できる選手が二人いる。もう一人いれば優勝できる』と。ホプキンスは長打を求めフォーム改造を実施、結果、三振は増えたが、33本の本塁打を放ち優勝に貢献。 #carp #hiroshima_carp
— mixi 広島東洋カープコミュニティ (@carp_mixi) November 7, 2015
そんな侍の代表になったミスター赤ヘルの名言をまとめてみました。
リーダーシップというのは、怒(おこ)ったり説教したりすることじゃなくて、きちっと実績を残すこと──若いヤツはそれを見てついてくるわけですよ。
集中力は自信から生まれる。
「ロペスよりは速いやろ。」
侍ジャパンの監督として、広島の顔から日本の顔へ
2013年WBCの監督に就任したのだった。
第3回の山本侍ジャパンは、過去最高の成績で、決勝ラウンドに行くが、準決勝のプエルトリコ戦で、くしくも敗退することとなり、3大会連続優勝は消えていったのだ。
結果が問われる今大会のプレッシャーは相当なものだったであろう。
本当かどうかはわかりませんが、それだけ、広島の顔になっているということです。