やがてこうしたやりとり、不協和音が、他の監督さんとの間でもだんだん増えてくるようになります。
「回を重ねると、この企画者が不思議なことを言い出しました。次は戦艦大和を怪獣にしてくれと言うのです。そんなもの怪獣になるわけがない、あまりにもマンガ的発想です。
私は特撮はマンガとは全く違うと思っていましたが、言い争って企画にまでハマリ込む気にもならず、なんとか大和の怪獣を作りましたが、今度は恐竜戦車だと言うのです。
私はこのプロダクションは永く居る所ではないナと思い始めました。
さらに困ったのは、全身にケロイドをつけてくれと言う監督が現れ、私が築いた美学は否定されようとしています。
円谷英二さんとの間にも亀裂が入り始め、私はプロダクションを辞めました」
実は成田さん自身、生後8ヶ月の時に囲炉裏の炭をつかみ、左手に大火傷を負っています。
まさに野口英世さんと同じような事故でした。
その火傷のせいで、痛みや苦労など、幼い時からいろいろな思いを味わっています。
「もうここまでだ」と、思いが切れてしまっても無理からぬことだと推察します。
まさに野口英世さんと同じような事故でした。
その火傷のせいで、痛みや苦労など、幼い時からいろいろな思いを味わっています。
「もうここまでだ」と、思いが切れてしまっても無理からぬことだと推察します。
真実と正義と美の化身
円谷プロで仕事をしていた期間は4年余り。
その中身と言えば、普通の人の10年、15年にも値するような仕事ぶりだったと思います。
ところが所属を離れ、新しいシリーズものがどんどんできるうちに、いろいろな出版物に「成田亨がデザインした」という表記が表に現れなくなってきます。
後年、著作権をめぐって公の場で争うことも起きてきます。
しかし、ここではそのことには触れるつもりはありません。
その後成田さんは、本来の彫刻の仕事や、映画の美術監督などもされました。
それでも、ウルトラマンに思いを寄せることが多かったようです。
最後に、成田さんがその後も描かれた、ウルトラマンに関する作品と貫いた美学について紹介したいと思います。
その中身と言えば、普通の人の10年、15年にも値するような仕事ぶりだったと思います。
ところが所属を離れ、新しいシリーズものがどんどんできるうちに、いろいろな出版物に「成田亨がデザインした」という表記が表に現れなくなってきます。
後年、著作権をめぐって公の場で争うことも起きてきます。
しかし、ここではそのことには触れるつもりはありません。
その後成田さんは、本来の彫刻の仕事や、映画の美術監督などもされました。
それでも、ウルトラマンに思いを寄せることが多かったようです。
最後に、成田さんがその後も描かれた、ウルトラマンに関する作品と貫いた美学について紹介したいと思います。
via blog.goo.ne.jp
ウルトラマン鎮魂歌
私たちは、ウルトラセブン以降のシリーズも楽しみました。
新しいデザイン、新しい家族関係(?)のウルトラマンたちを「そういうもの」として受け入れてきました。時々、子どもながらに「最初のウルトラマン(あるいはセブン)の方がおもしろかったよなあ・・・」と思いながら。
でも、成田さんはそのシリーズや関連したCMを、砂をかむような気持ちで眺めていたのではないでしょうか。
「ウルトラマン鎮魂歌」と題した成田さんの詩をお読みください。
新しいデザイン、新しい家族関係(?)のウルトラマンたちを「そういうもの」として受け入れてきました。時々、子どもながらに「最初のウルトラマン(あるいはセブン)の方がおもしろかったよなあ・・・」と思いながら。
でも、成田さんはそのシリーズや関連したCMを、砂をかむような気持ちで眺めていたのではないでしょうか。
「ウルトラマン鎮魂歌」と題した成田さんの詩をお読みください。
「ウルトラマン鎮魂歌」
星から来た勇者 地球を救った勇者 永遠であれ
君を利用し 金儲けをたくらむ地球人の為に
角をつけたり 髭をつけたり 乳房を出したりしてはいけない
スーツを着たり 和服を着たり 星空に向かってラーメンをかゝげてはいけない
経済と技術に溺れて了った地球人は 叡智と勇気を失って いま もだえ苦しんでいる
しかし 遠からず必ず不変の叡智を取りもどすだろう
君は星空の彼方から見とどけてくれたまえ
永遠の偶像よ
via amass.jp
成田さんの仕事について、こう評している方もいます。
思うに、成田氏は芸術作品を生み出した思いでしたが、実際は「商業デザイン」の仕事であったという誤解。
芸術というより「工業製品のデザイン」に近かったのだと。
逆に言えば、「商業デザインにおける創造性・芸術性の地位自体が低く見られている」ことが問題なのだと思うのです。
ある時、昔の俳優仲間に誘われて本を出す運びとなった。「ウルトラマンになった男」(小学館 09年)は評判をとる。
古谷さんはまた陽の目を浴びだした。
円谷プロと長く版権問題で頭を悩ませたまま逝った成田さんの絵を、古谷さんは万感の思いで見に出かける。
懐かしい人に会いたかったのだ。
昨今、現代美術の視点で怪獣デザインが見直され、各地で成田さんの展覧会が企画されている。
「ウルトラマンになった男」には、若き才能のぶつかり合いが赤裸々に書かれてあった。成田さんが読んだらどんなに喜んだだろう。
私たちが成田さんにできることは、その名を忘れないことと、私たちの子ども時代を楽しませてくれたことへ感謝することではないでしょうか。
素晴らしき芸術家に敬意を表したいと思います。
素晴らしき芸術家に敬意を表したいと思います。
「成田亨 美術/特撮/怪獣」 福岡市美術館
展覧会に行った気分を味わえる、とても丁寧に作成された動画です。
ぜひご覧ください。
ぜひご覧ください。
via vimeo.com
胸にカラータイマーもなければ、目の下にのぞき穴もない、本来のオリジナルの姿をしています。