NHK大河ドラマ『独眼竜政宗』(1987年) 伊達政宗:渡辺謙 平均視聴率39.7%・最高視聴率47.8% 「政宗ブーム」が起きる
伊達政宗:渡辺謙 「渡辺謙=伊達政宗 」の固定イメージが定着してしまう程のはまり役
彼は当時必ずしも知名度のある俳優ではなかったが、本作で一躍一流スターの仲間入りを果たした。
ただ、はまり役となったために、「渡辺謙=伊達政宗 」の固定イメージが定着してしまい、彼はその後役者としては苦労したようである。
十数年後、渡辺は映画『ラストサムライ』でアカデミー賞助演男優賞候補に挙げられるが、その時の記者会見でも「これでようやく伊達政宗から卒業できるかな」と発言している。
(出典:Wikipedia「独眼竜政宗 (NHK大河ドラマ)」)
伊達政宗は逆境にあう度にそれをバネにして活躍する。知恵と勇気、様々な駆け引きや工作を展開していく。
(時宗丸 → 伊達成実)
演:三浦友和
片倉小十郎(かたくら こじゅうろう)
(片倉小十郎 → 片倉景綱)
演:西郷輝彦
NHK大河ドラマ『独眼竜政宗』(1987年)・本放送時の予告編(1986年末) - YouTube
存在感抜群!天下人の関白・秀吉を勝新太郎が演じる
本作が唯一の大河ドラマ出演であった(NHK制作のドラマとしても同様)勝新太郎が秀吉を演じた。
もっとも、渡辺は大河二本目であったのに対し(但し、時代劇作品としては初)、『座頭市』シリーズなどに主演した大御所・勝は、本作が唯一の大河ドラマ出演であった(NHK制作のドラマとしても同様)。
配役決定後、渡辺は勝に事前に挨拶しておこうとしたが、勝は「小田原で政宗が秀吉と初めて出会うのなら、そのシーンの撮影まで渡辺と会うべきでない」と主張。
撮影は渡辺と勝が会うことがないよう調整して行われ、小田原での対面シーン本番で初めて二人は実際に顔を合わせた。このシーンの収録後、渡辺は勝から「いい眼をしていたぞ…」との声をかけてもらったという。
(出典:Wikipedia「独眼竜政宗 (NHK大河ドラマ)」)
圧倒的な存在感の勝新太郎演じる秀吉。天下人の風格にあふれる。
正宗は死を覚悟した白装束で謁見にのぞむ。
勝新太郎さんが迫力がありすぎて、たしかに殺されそうです。
タヌキ親父な存在感が抜群!徳川家康(とくがわ いえやす) 演:津川雅彦 はまり役!
秀吉に会見する際、首を繋げるための助言を政宗にしたり、他にも配流の危機にさらされたりといった政宗の窮地にはいろいろと助言や取りなしをしていた。
肖像画そっくりの津川の風貌に加え、政宗の米沢から岩出山への国替えを秀吉に提案したり、政宗に上杉勢の牽制をさせるための約束「百万石のお墨付き」を反故にするなど、従来の家康像どおりの「タヌキ親父」として描かれていたが、秀吉没後あたりからは特に天下泰平を志す姿が強調され、孫娘・千姫の前では「秀頼母子の命を奪ったりはしない」と約束するなど、同じく山岡荘八原作で「政宗」の前に製作された大河ドラマ『徳川家康』で描かれていた家康像寄りのキャラクターとなった。
今際の際に見舞いに訪れた政宗を「天下の副将軍」と呼び、遺言として秀忠のことを託す。真の天下泰平を築こうとする家康の姿に政宗は心服し、己の野心の為に天下を取ろうとする事の愚を悟る。
(出典:Wikipedia「独眼竜政宗の登場人物」)
不動明王について教えられた梵天丸(政宗の幼名)がその養育係である喜多に語った「梵天丸もかくありたい」という台詞は流行語となった。
養育係である「喜多(きた) 演:竹下景子」に梵天丸(政宗の幼名)「梵天丸もかくありたい」
ただし本編でこのセリフを言うのはこのシーンと、第11回「八百人斬り」で政宗が刀に映った自分の顔を見て、少年時代を回想したのち、刀を振るいながらこのセリフを繰り返す場面のみである。
(出典:Wikipedia「独眼竜政宗 (NHK大河ドラマ)」)
NHK大河ドラマ『独眼竜政宗』(1987年)の大ヒットにより「仙台市」観光バブルが起こった。大河のヒットで関連する舞台への観光が潤う大河バブルのさきがけ。
城下町仙台の歴史は、伊達政宗がここに城を築いたときに始まります。
まず第一に、「仙台」という名前をつけたのが政宗です。それまでは「千代」と書いて「せんだい」と読ませていました。また仙台市の中心部では、国分町、立町、南町など、政宗時代からの町の名が今も使われています。
政宗は神社やお寺も建てましたが、なかでも大崎八幡宮は、慶長12年(1607)に完成した当時の建物が現在も残っており、国宝に指定されています。
もちろん政宗にとって一番大切だったのは、お城でしょう。しかし現在、仙台城の建物は残念ながらひとつも残っていません。石垣と、再建された大手門脇やぐらがあるだけで、本丸の跡は公園に、二の丸の跡は東北大学になっています。そして三の丸の跡に、政宗の資料を多数保存している仙台市博物館があります。
大河バブルの先駆け
本作の大ヒットの結果、仙台市を初めとした縁の地には、東北新幹線(1982年開業)により観光客が殺到し、渡辺謙や桜田淳子が参加した仙台・青葉まつりも前年比3倍の過去最高の観光客数となって「大河バブル」のさきがけとなった。
この作品以降、各地の自治体は地元でインフラを整備したり、オープンセットを作ったりしてでも、大河ドラマの舞台地の誘致をするようになる。
しかし、本作はバブル景気(1986年12月〜1991年2月)初期に放送され、好景気による国民の高揚感と、受け入れ側の仙台市の政令指定都市化(1989年4月1日)前の関連インフラ整備(仙台市営地下鉄南北線開通など)、各種イベントの開催(「SENDAI光のページェント」開始、「'87未来の東北博覧会」開催など)、そして、政宗没後350年関連事業(「瑞鳳殿」再建、「仙台・青葉まつり」再開、「仙台市博物館」新築)等々が重なった結果であり、降って湧いたような「バブル」であった。
「仙台市博物館」 1987年(昭和62年)の「政宗ブーム」の際、前々年までに再建がなされて資料館も付設した瑞鳳殿、および、前年に新築された当館は観光客を多く集めた。
ユネスコ記憶遺産・国宝に指定されている慶長遣欧使節関係資料や、重要文化財の伊達政宗の具足など、約9万点の資料を収蔵。常設展は季節ごとに展示替えし、約1000点を展示。
1982年に東北新幹線が開業した影響もあり、渡辺謙や桜田淳子が参加した「仙台・青葉まつり」は、過去最高の観光客数を記録。
原作は山岡荘八の小説『伊達政宗』で、伊達家を題材にした大河ドラマとしては江戸時代の伊達騒動を描いた『樅ノ木は残った』(1970年)以来17年ぶりとなる。己の知恵と才覚によって仙台藩62万石の礎を一代で築いた奥州の戦国武将・伊達政宗の生涯を描いた。
1984年(昭和59年)の『山河燃ゆ』、1985年(昭和60年)の『春の波涛』、1986年(昭和61年)の『いのち』と、大河ドラマは三年連続で近代路線シリーズが続いていた。時代劇路線の視聴者のためには「NHK新大型時代劇」が水曜日の枠でつくられた。
近代路線シリーズの視聴率は、『山河燃ゆ』21.1%、『春の波涛』18.2%、『いのち』29.3%であった。 『いのち』は視聴率的には近代路線シリーズ中で唯一成功し、ドラマ性も評価も高かったものの、登場人物に歴史上の人物が全く登場しない異色作で「大河ドラマではなく、連続テレビ小説の延長線だ」という意見もあった。
その一方で「NHK新大型時代劇」は良作が続き評判がよく、視聴者は時代劇を求めていると判断したNHKは『いのち』以降の近代路線シリーズを白紙とし、『徳川家康』以来4年ぶりに時代劇路線シリーズの大河ドラマが復活した。
(出典:Wikipedia「独眼竜政宗 (NHK大河ドラマ)」)