1989年(平成元年)に公開された『黒い雨』で、主役・「高丸矢須子」役を演じ、日本アカデミー賞・ブルーリボン賞・キネマ旬報賞・毎日映画コンクール・報知映画賞などで主演女優賞を受賞。日本アカデミー賞などでは作品に対しても大賞を受賞し、第42回カンヌ国際映画祭のコンペティション部門で上演された。また、原爆症の表現のため、入浴シーンで体の変化を表現する為に敢えてヌードを披露し話題を呼んだ。この頃から演技派女優としての地位を固め始める
結婚と闘病
1991年5月21日、夏目雅子の兄で実業家の小達一雄氏と結婚します。
結婚翌年の1992年に乳がんが見付かり、再発を繰り返しますが、いずれも早期発見で秘密裏に治療を受けながら芸能活動を続けていました。
これらの事は、田中の死後小達一雄氏の記者会見によって初めて公式に明らかにされました。
親族以外、共演者には一切明かされませんでした。
その後2010年に十二指腸潰瘍を患い、治療のため絶食をしたことで体力・免疫力が低下、
乳がんが再発します。2011年には、肺や肝臓にもがんが転移しました。
結婚翌年の1992年に乳がんが見付かり、再発を繰り返しますが、いずれも早期発見で秘密裏に治療を受けながら芸能活動を続けていました。
これらの事は、田中の死後小達一雄氏の記者会見によって初めて公式に明らかにされました。
親族以外、共演者には一切明かされませんでした。
その後2010年に十二指腸潰瘍を患い、治療のため絶食をしたことで体力・免疫力が低下、
乳がんが再発します。2011年には、肺や肝臓にもがんが転移しました。
水墨画との出会い
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NHK「趣味悠々」出演を通じて墨彩画に出会い、俳優で墨彩画家でもある片岡鶴太郎に師事します。ロケ先にも画材専用のトランクを携行する程の入れ込みようであったようです。
作品は「文化人・芸能人の多才な美術展」に出展され、日本橋三越本店ギャラリーをはじめ、日本各地にて開催されました。
作品は「文化人・芸能人の多才な美術展」に出展され、日本橋三越本店ギャラリーをはじめ、日本各地にて開催されました。
母親役と福祉活動
テレビでは、連続テレビ小説『おしん』のおしんの養女役を演じました。
田中には継娘が居ましたが、自身に子供は生まれませんでした。
しかし、女優としては母親の役を多く演じています。『家なき子』ではヒロインの母役、連続テレビ小説『ちゅらさん』では主役の母役を演じました。
田中の子供役として共演した俳優は47人にもなるそうです。
また女優以外にも、夫が夏目雅子の兄であることから「夏目雅子ひまわり基金」の活動、厚生労働省の公衆衛生審議会委員、国立国際医療センター顧問、エイズ予防財団及び日本エイズストップ基金運営委員なども務めました。
田中には継娘が居ましたが、自身に子供は生まれませんでした。
しかし、女優としては母親の役を多く演じています。『家なき子』ではヒロインの母役、連続テレビ小説『ちゅらさん』では主役の母役を演じました。
田中の子供役として共演した俳優は47人にもなるそうです。
また女優以外にも、夫が夏目雅子の兄であることから「夏目雅子ひまわり基金」の活動、厚生労働省の公衆衛生審議会委員、国立国際医療センター顧問、エイズ予防財団及び日本エイズストップ基金運営委員なども務めました。
田中好子 ・ 勝子の表情~午前5時のドリーム~
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最期まで人を思って
2011年(平成23年)3月14日、夫が「ゴールデンウィークは越せないかもしれない。」と余命を伝えたところ、「こんな事をあなたに言わせてしまってごめんね。」と夫を気遣い、「私は大勢の人に支えられて生きてきたので、みなさんにお礼が言いたい。」と話したため、3月29日午後、夫とマネージャー立会いで葬儀の際流されたメッセージが病室でベッドのリクライニングを起こした体勢で録音された。
このテープが録音されたのは、東日本大震災が起きた直後のことでした。
私も一生懸命、病気と闘ってきましたが、もしかすると負けてしまうかもしれません。
でもその時は必ず、天国で被災された方のお役に立ちたいと思います。
それが私の務めだと思っています。
きょうお集まりいただいている皆様にお礼を伝えたくて、このテープに託します。
葬儀で
同年4月21日午後7時4分頃、55歳の若さで逝去しました。
伊藤蘭と藤村美樹は、田中が危篤状態になった際、親族の計らいで病室に呼ばれたそうです。
二人は田中が息を引き取るまでの7時間にもわたって名前を呼び続けていたということです。
伊藤蘭と藤村美樹は、田中が危篤状態になった際、親族の計らいで病室に呼ばれたそうです。
二人は田中が息を引き取るまでの7時間にもわたって名前を呼び続けていたということです。
葬儀の最後の喪主の挨拶の中で、本人のラストメッセージとなる肉声録音テープ(約3分20秒)が流された。映画の撮影を模した形でテープが公開され、テープが流される前及び流された後に、夫がカチンコを鳴らしたり撮影の掛け声を掛けた。その後、棺に花を入れていく「最後の別れ」は、一般より長い40分続いた。
通夜は4月24日、葬儀・告別式は25日に青山葬儀所でそれぞれ営まれました。
棺や葬儀場の絨毯は田中のキャンディーズでのイメージカラーだった青で彩られました。
葬儀では藤村美樹が「私たちは永遠にキャンディーズだから」と、伊藤蘭は「もう一度だけでいいから、3人で逢いたかった」と涙を堪えながら弔辞を読んだそうです。
棺や葬儀場の絨毯は田中のキャンディーズでのイメージカラーだった青で彩られました。
葬儀では藤村美樹が「私たちは永遠にキャンディーズだから」と、伊藤蘭は「もう一度だけでいいから、3人で逢いたかった」と涙を堪えながら弔辞を読んだそうです。