天才ギタリスト誕生
第一期:デビュー
弱冠17歳にして1971年、アルバム「インフィニット」でデビューを果たす。その卓越したギター・テクニックで「17歳の天才ギタリストの出現」と騒がれた。
後に、今田勝、鈴木勲、向井滋春、日野元彦、渡辺貞夫等々の日本ジャズのトップミュージシャンのグループに在籍し、腕を磨く。
後に、今田勝、鈴木勲、向井滋春、日野元彦、渡辺貞夫等々の日本ジャズのトップミュージシャンのグループに在籍し、腕を磨く。
第二期:ブルース・ジャズ~アバンギャルド・ジャズ
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1975年から、2年間で3枚のレコードをリリースする:マンディー・ブルース(1975年)、エンドレス・ウェイ(1975年)、ミルキー・シェード(1976年)と70年代日本ジャズシーンにのったアヴァンギャルドなジャズレコードをリリースする。
第三期:ジャズ・ロックからフュージョンへの模索
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1977年に入ると、ロック系ミュージシャンとセッションし、「オリーブス・ステップス」(1977年)を発表。
1978年には、米フュージョンギタリストのリー・リトナーと共演、「マーメイド。ブールバード」(1978年)やニューヨークのジャズ・マンと共演し、「ロンサムキャット」(1978年)、ビレッジ・イン・バブルス1978年)立て続けに意欲作を発表する。
1978年には、米フュージョンギタリストのリー・リトナーと共演、「マーメイド。ブールバード」(1978年)やニューヨークのジャズ・マンと共演し、「ロンサムキャット」(1978年)、ビレッジ・イン・バブルス1978年)立て続けに意欲作を発表する。
第4期:日本フュージョンの金字塔=KYLYNバンド
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1979年に、アルバム「KYLYN」を発表。メンバーは超豪華で、リーダの渡辺香津美に坂本龍一、矢野顕子、村上秀一、小原礼、向井滋春、ペッカー、本多俊之、清水靖章等々その後の日本ジャズシーンを代表する面々。KYLYNの意味は、「香津美と龍一と仲間たち」という意味だという。
このKYLYNバンドの裏バンドとして、同年に並行してイエロー・マジック・オーケストラ(坂本龍一、細野春臣、高橋幸宏+矢野彰子、渡辺香津美)が結成され、都内各所でライブが行われる。ワールドツアーも敢行され、アレンビック・ショートスケールモデルのギターを縦横無尽に引き倒す渡辺香津美の演奏ぶりにコンサート会場は総立ちになり、「日本のギタリストに香津美あり」と雷鳴を轟かせた。
なお、YMOのライブ・アルバム「パブリック・プレッシャー(公的抑圧)」で発表されるが、渡辺のギター・パートは、当時彼が所属していた日本コロムビアの意向でチャネル・カットされた。しかし渡辺香津美のギターは後年リリースされた「フェイカー・ホリック」で、当時の凄まじいギターテクニックが全面展開されている。
裏KYLYNとしての「格闘技セッション」が六本木ピットイン(当時)を中心に活動展開される。アルバム「サマー・ナーバス」を出す。
そして、本流のキリン・バンドは「KYLYNライブ」(1979年)をリリースして爆烈散会。
このKYLYNバンドの裏バンドとして、同年に並行してイエロー・マジック・オーケストラ(坂本龍一、細野春臣、高橋幸宏+矢野彰子、渡辺香津美)が結成され、都内各所でライブが行われる。ワールドツアーも敢行され、アレンビック・ショートスケールモデルのギターを縦横無尽に引き倒す渡辺香津美の演奏ぶりにコンサート会場は総立ちになり、「日本のギタリストに香津美あり」と雷鳴を轟かせた。
なお、YMOのライブ・アルバム「パブリック・プレッシャー(公的抑圧)」で発表されるが、渡辺のギター・パートは、当時彼が所属していた日本コロムビアの意向でチャネル・カットされた。しかし渡辺香津美のギターは後年リリースされた「フェイカー・ホリック」で、当時の凄まじいギターテクニックが全面展開されている。
裏KYLYNとしての「格闘技セッション」が六本木ピットイン(当時)を中心に活動展開される。アルバム「サマー・ナーバス」を出す。
そして、本流のキリン・バンドは「KYLYNライブ」(1979年)をリリースして爆烈散会。
渡辺香津美 KYLYN LIVE 貴重な映像その2
via www.youtube.com
第5期:ニューヨークで当時最高峰のTOCHIKAバンド
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コロムビア時代の代表作の一つ「TO CHI KA」ではビブラフォン奏者のマイク・マイニエリがプロデューサーとして迎えられ、マーカス・ミラー、マイケル・ブレッカー、トニー・レビン、ピーター・アースキン等々米人豪華絢爛ミュージシャンがバックを務めた。このアルバムの収録曲"Unicorn"が日立のオーディオ・ブランド「Lo-D」のCM曲に使われ、人気を不動のものとする。
80年代前半の他流試合
1981年からはFM東京(当時)系列で自身の番組『グッド・バイブレーション〜渡辺香津美・ドガタナ・ワールド』のパーソナリティーを務める。
1982年に日本コロムビアからポリドール(現:ユニバーサルミュージック)に移籍、併せて自らのレーベル「domo」を立ち上げる。
1983年には来日したジャコ・パストリアスのバンドに、マイク・スターンの代役として渡辺香津美が共演している。この時の音源は、アルバム『ワード・オブ・マウス・バンド 1983ジャパン・ツアー』に収録されている。渡辺香津美が、世界のジャコ・パストリアスのベースに一歩も引けを取らない演奏で対抗し、優れた収録アルバムに仕上がっている。
1982年に日本コロムビアからポリドール(現:ユニバーサルミュージック)に移籍、併せて自らのレーベル「domo」を立ち上げる。
1983年には来日したジャコ・パストリアスのバンドに、マイク・スターンの代役として渡辺香津美が共演している。この時の音源は、アルバム『ワード・オブ・マウス・バンド 1983ジャパン・ツアー』に収録されている。渡辺香津美が、世界のジャコ・パストリアスのベースに一歩も引けを取らない演奏で対抗し、優れた収録アルバムに仕上がっている。
パンパース 2023/7/28 08:01
渡辺香津美さんが日本コロムビアから移籍したのは、いきなりポリドールではなく、日本コロムビア→トリオレコード→ポリドールです。