取材『アンファー30周年 企業発表会』で新TVCM出演のビートたけしが登壇!浅草時代の若さ溢れる逸話も披露!
2017年6月14日 更新

取材『アンファー30周年 企業発表会』で新TVCM出演のビートたけしが登壇!浅草時代の若さ溢れる逸話も披露!

30周年の節目となるアンファーは、「予防医学でミライを変えよう。」という新たな企業メッセージを発信している。それを伝える新TVCMにビートたけしが出演。その『アンファー30周年 企業発表会』の様子をお伝えする。

823 view

新TVCM出演のビートたけしが登壇した『アンファー30周年 企業発表会』に行ってきた!

30周年の節目となるアンファーは、「予防医学でミライを変えよう。」という新たな企業メッセージを発信している。その強い決意を伝えるべく、本日よりビートたけし出演による新TVCMの放映が開始された。

本稿では、昨日行われた『アンファー30周年 企業発表会』の模様と合わせてお伝えする。
『アンファー30周年 企業発表会』

『アンファー30周年 企業発表会』

6月13日午後に都内某所で行われた『アンファー30周年 企業発表会』。まずアンファー株式会社の専務取締役の叶屋宏一氏が登壇。

そこで創業以来、一貫して守ってきた「いつまでも 美しく 健やかに生きる」という企業理念をより発展させていく為に、ヘアケアだけでなく、すでに動き出している腸内細菌額や皮膚科学などの新たな分野へのより本格的な進出を力強く語った。
「予防医学でミライを変えよう」その言葉の実現へ向け、アンファーのこれからに期待が持てる内容となった。
アンファー株式会社 専務取締役の叶屋宏一氏

アンファー株式会社 専務取締役の叶屋宏一氏

続いて壇上では予防医学のアンファー新TVCM「歩く」篇、「転ぶ」篇が上映された。そして、そのどちらにも出演しているビートたけしの名がアナウンスされ、右手を頭にやりながら本人が登場した。

直後に行われたトークセッションでは、CMでも使用したウグイス色のジャケットに身を包んだビートたけしが、テレビでの振る舞いそのままに毒舌で会場を笑いに包みながら、撮影時を振り返った。
入場するビートたけし

入場するビートたけし

新TVCMの総合演出は、テリー伊藤が務めており、特にビートたけしが転倒するアクションシーンが見ものの「転ぶ」篇でのエピソードが印象的だった。
テリー伊藤の指示で何度も転倒をさせられた上に、”転び方”のバリエーションをいくつも求められたそうで、かなりハードな撮影だったようだ。しかも撮影後、鏡を見たら身体は青タン赤タンだらけで驚いたと吐露。
テリー伊藤(左)とビートたけし(右)

テリー伊藤(左)とビートたけし(右)

そして、意外な人物とのエピソードを語り始めた。それは指パッチンの故・ポール牧さんとの思い出であった。「半分だけ」尊敬しているというポール牧さんに「コメディアンは転べなくなったら終わりだよ」と言われた事があるそうで、「自分の身体を痛めつけても笑いを取りにいく」姿勢に感銘を受けたという。

また、ビートたけしは痛みを伴った笑いについて、「痛さ」に引かれてしまい、笑われないのが辛いとし、今回の撮影現場ではスタッフが「お世辞」で笑ってくれたとおどけて見せた。
撮影時の様子を語るビートたけし

撮影時の様子を語るビートたけし

予防医学のアンファー新TVCM「転ぶ」篇

予防医学のアンファー新TVCM「転ぶ」篇

テリー伊藤は今回の撮影に関して「今回はたけしさんの強さと面白さを表現したいと思っていました。たけしさんにも若いころの悩みや辛いこともあったと思いますが、そういうことを面白おかしく表現できたらと思い制作しました。僕は若いころからずっとたけしさんと仕事をしていましたが、たけしさんのコメディアンな部分を最も表現できた作品になっていると思います。」とコメント。その言葉通りの新TVCMに仕上がっている。

アンファー新TVCM「転ぶ」篇(30秒)

もう一つの「歩く」篇では路上でカメラマンとビートたけし二人きりでの撮影だった事も明かし、そのシュールな関係も印象に残っているという。

同CMはビートたけしが歩きながら、終始カメラ目線で「人間は誰しも年をとる」「指をくわえて待っているだけでは悲しい」などと語り掛ける内容。同CMのコピー「ミライを変えろ。」を踏まえ、お笑いや司会、映画、俳優、小説家とあらゆるカテゴリーで活躍し続けてきたビートたけしだからこそ響く言葉を次々と投げ掛ける。
予防医学のアンファー新TVCM「歩く」篇

予防医学のアンファー新TVCM「歩く」篇

アンファー新TVCM「歩く」篇(30秒)

ビートたけし本人によると、皆それぞれの自覚によって時間の経過が異なるそう。普段の生活の過ごし方で、年代的には同じ者同士だが、肉体的、精神的に違ってくる。その為には本人の努力が大事だと熱を込めて語った。

さらに陸上競技などで時折見られる、手を繋いで仲良くゴールするシーン。そうではなく、競争社会であると認識する必要性も説いていた。

かつて映画の世界に飛び込んだ頃、普通何年も掛けて監督へと登り詰めるのに、いきなり監督のポジションに就いたビートたけし。
当時は「素人が映画を撮るなんて」とイジメられたそうだが、本人の努力があったからこそ、世界的な名声を獲得するに至ったのだろう。
7月31日(月)まで、アンファー30周年「ミライを変え...

7月31日(月)まで、アンファー30周年「ミライを変えよう。」も実施中!

トークセッションでは、自身の原点でもあるお笑いの世界にも触れ、若い頃は「先輩達の芸を否定」して、「今までやってない事をやろうとした」という。
浅草時代に例えば先輩の衣装を勝手に着て舞台に出てみたり(その頃、楽屋では衣装が盗難されたと大騒ぎに)、「寝たきり漫才」と謳い、舞台に布団を敷いて出てみたり(客の怒りを買い、2分で幕が閉まり、半年間の出入り禁止に)。そうした失敗を繰り返し、成長してきた事を強調した。

その経験があるから自身も弟子に対して、「そんな事しちゃ駄目だ」とは言わずに、たとえ気に入らない行為だとしてもなるべく寛容の姿勢でいる、年齢で物事を決めないようにしているそうだ。
24 件

思い出を語ろう

     
  • 記事コメント
  • Facebookでコメント
  • コメントはまだありません

    コメントを書く
    ※投稿の受け付けから公開までお時間を頂く場合があります。

あなたにおすすめ

関連する記事こんな記事も人気です♪

1980年~1982年、日本中を大きな渦に巻き込んだ漫才ブーム

1980年~1982年、日本中を大きな渦に巻き込んだ漫才ブーム

漫才ブームとは、1980年〜1982年のごく短い期間に漫才が様々なメディアを席巻した時代をいいます。まるで漫才がテレビ番組を占領してしまったかのようにも思えるほどの人気で、メディアの歴史に残るような一大ムーブメントとなりました。
五百井飛鳥 | 1,475 view
原宿の竹下通りを埋め尽くした「タレントショップ」とは?

原宿の竹下通りを埋め尽くした「タレントショップ」とは?

80年代に東京・原宿の竹下通りに数多く出店されたタレントショップ。どんなタレントが出店していたのか振り返っています。
【国舞亜矢】1990年代に女優として存在感を発揮!ソナチネ・教祖誕生など北野作品での活躍ぶりや官能シーンなどもピックアップ!

【国舞亜矢】1990年代に女優として存在感を発揮!ソナチネ・教祖誕生など北野作品での活躍ぶりや官能シーンなどもピックアップ!

映画監督として数々の賞を獲得した北野武さんの作品に出演し、女優としてご活躍した国舞亜矢さん。その活動期間は短かったですが、今になって振り返ると、だからこそ彼女は輝いていた気がします。今回の記事では、そんな国舞亜矢さんの軌跡をエロい目線を加えて振り返っていきたいと思います。
tsukumo2403 | 2,647 view
芸人映画監督のパイオニア・北野武さん作品をまとめてみた!

芸人映画監督のパイオニア・北野武さん作品をまとめてみた!

最近は芸人が映画監督をすることも珍しくないですがそのきっかけをつくったのはやはり北野武さんといえるでしょう。北野さんの映画作品を振り返ってみました。
saiko | 189 view
【訃報】映画監督・崔洋一さん死去。「月はどっちに出ている」「血と骨」など

【訃報】映画監督・崔洋一さん死去。「月はどっちに出ている」「血と骨」など

映画「月はどっちに出ている」「血と骨」などで知られる映画監督・崔洋一(さい よういち)さんが27日、膀胱がんのため東京都内の自宅で亡くなっていたことが明らかとなりました。73歳でした。
隣人速報 | 504 view

この記事のキーワード

カテゴリ一覧・年代別に探す

あの頃ナウ あなたの「あの頃」を簡単検索!!「生まれた年」「検索したい年齢」を選択するだけ!
リクエスト