発行部数
1959年 20万5000部(創刊号)
1968年新年増大号 120万部
1970年3号 150万部
1991年6月 約250万部
1996年新年号 436万部
1997年7月 約415万部
1997年8月 440万部(実売推定413万部)
『週刊少年ジャンプ』を実売推定部数で上回る。
1997年49号(1997年11月5日発売号) 415万部
『週刊少年ジャンプ』を発行部数で上回る。
1998年新年号 445万部
1998年 425万部
2000年 405万部
2001年 380万部
2002年 364万部
2003年 319万部
2004年 272万部
2005年 236万部
2006年 215万部
2007年 187万部
2008年 178万部
2008年16号時点での本誌累計発行部数は約45億5000万部である。
週刊少年ジャンプ
創刊時は月2回(第2・第4木曜日)発売、1969年10月から週刊化して2003年5月までは毎週火曜日発売、2018年現在は毎週月曜日発売。1994年12月末発売の1995年3・4号で653万部という漫画雑誌の最高発行部数を記録。
雑誌キーワードは「友情」「努力」「勝利」。すべての掲載作品のテーマにこの要素または繋がるものを最低1つ、必ず入れることが編集方針になっています。
四大誌では後発かつ同時期に立ち上がったチャンピオンに有力漫画家を確保され、新人を育成するより他なかった創刊期から「新人登用と専属契約制度」、また「アンケート至上主義」を徹底して少年漫画雑誌の王者の座に君臨しました。
雑誌キーワードは「友情」「努力」「勝利」。すべての掲載作品のテーマにこの要素または繋がるものを最低1つ、必ず入れることが編集方針になっています。
四大誌では後発かつ同時期に立ち上がったチャンピオンに有力漫画家を確保され、新人を育成するより他なかった創刊期から「新人登用と専属契約制度」、また「アンケート至上主義」を徹底して少年漫画雑誌の王者の座に君臨しました。
1968年創刊、1973年には四大雑誌首位の座へ
創刊当初は男気がある劇画調の作品が盛んに登場していました。1971年には発行部数が100万部突破。1973年8月には当時首位だったマガジンを抜いて首位に。以後、90年代終盤から2000年代初頭にマガジンのその座を明け渡した以外は、ほぼすべての時期において首位の座を守っています。当時の主なヒット作は
-「ハレンチ学園」
-「男一匹ガキ大将」
-「ど根性ガエル」
-「トイレット博士」
-「侍ジャイアンツ」
-「荒野の少年イサム」
-「アストロ球団」
-「マジンガーZ」
-「包丁人味平」
-「プレイボール」
など。
-「ハレンチ学園」
-「男一匹ガキ大将」
-「ど根性ガエル」
-「トイレット博士」
-「侍ジャイアンツ」
-「荒野の少年イサム」
-「アストロ球団」
-「マジンガーZ」
-「包丁人味平」
-「プレイボール」
など。
「こち亀」スタート、ギャグマンガを強化した1970年代後半
ギャグ漫画分野の強化に乗り出した1970年代後半は、その結果として
-「1・2のアッホ!!」
-「東大一直線」
-「すすめ!!パイレーツ」
-「キン肉マン」
などがヒットし、40年を越えるロングランを記録した
-「こちら葛飾区亀有公園前派出所」
が登場しました。また、それ以外にも
-「サーキットの狼」
-「ドーベルマン刑事」
-「リングにかけろ」
-「コブラ」
などがヒット。1978年には、公称発行部数が200万部を突破しました。
-「1・2のアッホ!!」
-「東大一直線」
-「すすめ!!パイレーツ」
-「キン肉マン」
などがヒットし、40年を越えるロングランを記録した
-「こちら葛飾区亀有公園前派出所」
が登場しました。また、それ以外にも
-「サーキットの狼」
-「ドーベルマン刑事」
-「リングにかけろ」
-「コブラ」
などがヒット。1978年には、公称発行部数が200万部を突破しました。
ぶっちぎりに強かった1980年代
発行部数の黄金期が1990年代なのは事実ですが、80年代のジャンプには魅力的な作品が実に多くまた、90年代を彩った超人気作が登場したのも80年代だっといえるでしょう。
80年代前半
1980年、公称発行部数が300万部を突破。
-「北斗の拳」
-「3年奇面組(のちの「ハイスクール!奇面組」)」
-「キャプテン翼」
-「ブラック・エンジェルズ」
-「風魔の小次郎」
-「よろしくメカドック」
-「シェイプアップ乱」
-「銀牙 -流れ星 銀-」
-「Dr.スランプ」
-「ストップ!! ひばりくん!」
-「キャッツ♥アイ」
-「キックオフ」
-「ウイングマン」
凄いラインナップです、全部読んでました。
80年代中盤
1984年12月の年末最終号(1985年3・4合併号)で公称発行部数が400万部を突破。
-「ドラゴンボール」
-「きまぐれオレンジ☆ロード」
-「魁!!男塾」
-「ついでにとんちんかん」
-「シティーハンター」
-「聖闘士星矢」
-「県立海空高校野球部員山下たろーくん」
などがヒット。
80年代後半
1988年12月の年末最終号(1989年3・4合併号)で公称発行部数が500万部を突破。この頃に発売したファミリーコンピュータのゲームソフト紹介コーナーが登場。ゲーム紹介コーナーはゲーム機の主役が変わった後も続くこととなります。
-「ジョジョの奇妙な冒険」
-「燃える!お兄さん」
-「BASTARD!! -暗黒の破壊神-」
-「ろくでなしBLUES」
-「ジャングルの王者ターちゃん」
-「まじかる☆タルるートくん」
-「DRAGON QUEST -ダイの大冒険-」
-「電影少女」
などがヒット。いずれも言うまでもなく人気作品でしたね。
80年代前半
1980年、公称発行部数が300万部を突破。
-「北斗の拳」
-「3年奇面組(のちの「ハイスクール!奇面組」)」
-「キャプテン翼」
-「ブラック・エンジェルズ」
-「風魔の小次郎」
-「よろしくメカドック」
-「シェイプアップ乱」
-「銀牙 -流れ星 銀-」
-「Dr.スランプ」
-「ストップ!! ひばりくん!」
-「キャッツ♥アイ」
-「キックオフ」
-「ウイングマン」
凄いラインナップです、全部読んでました。
80年代中盤
1984年12月の年末最終号(1985年3・4合併号)で公称発行部数が400万部を突破。
-「ドラゴンボール」
-「きまぐれオレンジ☆ロード」
-「魁!!男塾」
-「ついでにとんちんかん」
-「シティーハンター」
-「聖闘士星矢」
-「県立海空高校野球部員山下たろーくん」
などがヒット。
80年代後半
1988年12月の年末最終号(1989年3・4合併号)で公称発行部数が500万部を突破。この頃に発売したファミリーコンピュータのゲームソフト紹介コーナーが登場。ゲーム紹介コーナーはゲーム機の主役が変わった後も続くこととなります。
-「ジョジョの奇妙な冒険」
-「燃える!お兄さん」
-「BASTARD!! -暗黒の破壊神-」
-「ろくでなしBLUES」
-「ジャングルの王者ターちゃん」
-「まじかる☆タルるートくん」
-「DRAGON QUEST -ダイの大冒険-」
-「電影少女」
などがヒット。いずれも言うまでもなく人気作品でしたね。
超黄金期到来~ドラゴンボール終了と共にマガジンに抜かれた1990年代
少年漫画雑誌の絶頂期とも呼ばれる90年代。そのなかにあってジャンプは空前絶後の黄金期を迎えることとなります。後半には失速したとはいえ、もはや国民的娯楽の代名詞といってもよいポジションを確立した時代であったと言えます。
90年代前半
公称発行部数は1991年3・4号で602万部を突破。週刊誌が全国紙の発行部数を抜いたとして一般メディアも報道しました。
-「花の慶次」
-「SLAM DUNK」
-「珍遊記 -太郎とゆかいな仲間たち-」
-「幽☆遊☆白書」
-「BØY」
-「地獄先生ぬ〜べ〜」
-「NINKU -忍空-」
-「とっても!ラッキーマン」
などがヒット。
90年代中盤
1994年12月の1995年3-4号で653万部の歴代最高部数を達成したものの、その後ドラゴンボール、SLAM DUNK品が立て続けに終了して公称発行部数が減少に転じました。
-「るろうに剣心 -明治剣客浪漫譚-」
-「みどりのマキバオー」
-「陣内流柔術武闘伝 真島クンすっとばす!!」
-「セクシーコマンドー外伝 すごいよ!!マサルさん」
-「封神演義」
-「遊☆戯☆王」
などがヒット。
90年代後半
発行部数がこれまでの公称から印刷証明付部数(実際に発行した証明のある部数)に切り替わりました。その結果、1997年48号でマガジンに発行部数を抜かれることとなります。しかしながら、日本を代表する漫画は登場したのはこの時期でした。
-「ONE PIECE」
-「NARUTO -ナルト-」
その他には
-「花さか天使テンテンくん」
-「I"s」
-「世紀末リーダー伝たけし!」
-「ROOKIES」
-「ホイッスル!」
-「HUNTER×HUNTER」
-「シャーマンキング」
-「ヒカルの碁」
-「テニスの王子様」
などもヒット。
どちらかというとこの少年漫画雑誌黄金期は、団塊ジュニア世代が社会人になっていったことで緩やかに終焉を迎えたとみるのが正しいように思います。
90年代前半
公称発行部数は1991年3・4号で602万部を突破。週刊誌が全国紙の発行部数を抜いたとして一般メディアも報道しました。
-「花の慶次」
-「SLAM DUNK」
-「珍遊記 -太郎とゆかいな仲間たち-」
-「幽☆遊☆白書」
-「BØY」
-「地獄先生ぬ〜べ〜」
-「NINKU -忍空-」
-「とっても!ラッキーマン」
などがヒット。
90年代中盤
1994年12月の1995年3-4号で653万部の歴代最高部数を達成したものの、その後ドラゴンボール、SLAM DUNK品が立て続けに終了して公称発行部数が減少に転じました。
-「るろうに剣心 -明治剣客浪漫譚-」
-「みどりのマキバオー」
-「陣内流柔術武闘伝 真島クンすっとばす!!」
-「セクシーコマンドー外伝 すごいよ!!マサルさん」
-「封神演義」
-「遊☆戯☆王」
などがヒット。
90年代後半
発行部数がこれまでの公称から印刷証明付部数(実際に発行した証明のある部数)に切り替わりました。その結果、1997年48号でマガジンに発行部数を抜かれることとなります。しかしながら、日本を代表する漫画は登場したのはこの時期でした。
-「ONE PIECE」
-「NARUTO -ナルト-」
その他には
-「花さか天使テンテンくん」
-「I"s」
-「世紀末リーダー伝たけし!」
-「ROOKIES」
-「ホイッスル!」
-「HUNTER×HUNTER」
-「シャーマンキング」
-「ヒカルの碁」
-「テニスの王子様」
などもヒット。
どちらかというとこの少年漫画雑誌黄金期は、団塊ジュニア世代が社会人になっていったことで緩やかに終焉を迎えたとみるのが正しいように思います。
ドラゴンボールの戦闘力は絶大!「週刊少年ジャンプ」発行部数の推移とドラゴンボールの相関関係!! - Middle Edge(ミドルエッジ)
「ドラゴンボール」、私たちだけでなく現在もなお大人気を誇る国民的マンガですよね。私たちの世代だと、週刊少年ジャンプで毎週読んでた人が多かったのではないでしょうか。ちなみに週刊少年ジャンプ、ドラゴンボール連載期間は物凄い部数が売れてたの知ってました?そんなジャンプの歴史を、懐かしいマンガタイトルと共にお送りします。
発行部数
1968年創刊号 10万5000部、売上率76.5%
1968年2号 10万7000部、売上率86.2%
1968年3号 12万部、売上率93.0%
1968年4号 12万3000部
1968年11号 16万5000部、売上率77%
1969年1号 24万部、売上率80%台
1969年9号 27万部 16号 58万部
1969年16号で『少年キング』を発行部数で上回る。
1971年3-4号 115万8000部 11月 65万部
1972年3-4号 88万7000部
1973年4-5号 112万部
1973年、『週刊少年マガジン』を発行部数で上回り少年週刊誌の部数トップになる。
1974年夏 最高165万部、売上率86%
1977年新年号 188万部
1978年3-4号 210万部
1979年3-4号 280万部
1980年3-4号 304万5000部
1981年4-5号 308万部
1982年3-4号 300万部を割る 年間平均 342万部
1983年3-4号 300万部を割る 年間平均 371万部
1984年4号 318万部 7月から常時360万部以上を印刷 年間平均 390万部
1985年4-5号 403万部 1月〜5月の通常号 常に370〜380万部 37号 405万部 年間平均 450万部
1986年5号 435万5000部 6号 410万部
1987年5号 450万部
1988年5号 485万部
1989年3-4号 500万部
1990年5号 530万部 6月の通常号 約490万部 21-22号 503万部 37号 520万部
1991年3-4号 602万8000部 6月の通常号 約570万部 21-22号 585万部 36-37号 615万部
1992年3-4号 618万部
1992年3月時点の実売部数は公称580万〜590万部
1993年3-4号 638万部 36-37号 643万部
1994年3-4号 648万部 36-37号 650万部
1995年3-4号 653万部 歴代最高部数を記録 (ギネスブックに登録)。返品率3%(売上率97%)
1995年25号 625万部 26号 618万部 27号 615万部 28号 612万部 29号 612万部 30号 601万部
1996年新年号 588万部(推定)
この年から新年号の表紙に記載されていた発行部数と「新記録」の文字が消える。部数は集英社の公称ではなく推定部数。
1996年7月末発売号 約500万部(推定)
1997年7月 約430万部(推定)
1997年8月 450万部(実売推定408万1500部)
実売推定は集英社販売部によるもの。『週刊少年マガジン』(発行部数440万部、実売推定413万部)に実売推定で抜かれる。
1997年9月 430万部。
1997年11月4日(11月1日)発売号 407万部
『週刊少年マガジン』に発行部数で抜かれる。
1997年 405万部(年間平均)
この年より発行部数が集英社の公称から印刷証明付発行部数に変更
1998年新年号 415万部(推定)
1998年 360万部(年間平均)
1999年 363万部(年間平均)
2000年 363万部(年間平均)
2001年 340万部(年間平均)
2002年 320万部(年間平均)
2002年8月再び『週刊少年マガジン』の急降下で首位奪還。
2003年 300万部(年間平均)
2004年 300万部(年間平均)
2005年 295万部(年間平均)
2006年 2,953,750部(一月下記サイトにて確認)
2007年3月 2,839,792部
2008年1月 2,778,750部(社団法人日本雑誌協会)
2010年2号 300万部(05年8月以来の300万部復帰)
2018年13号時点での本誌累計発行部数は75億部以上である。