ミニスカート女王♡英デザイナー「メアリー・クワント」
2023年6月4日 更新

ミニスカート女王♡英デザイナー「メアリー・クワント」

1960年代にミニスカートとホットパンツを流行させ、ファッション革命を起こし「ミニスカート女王」と称された英国出身のデザイナー、マリー・クワントの思い出。現在日本でライセンス生産されている「マリークワント」ブランドの軌跡。

314 view

マリー・クワントの名前を冠したブランド「マリークワント」

「MARY QUANT」ブランドを表す、黒いデイジーマーク。ブランドアイコンのデイジーは、世界でたった一輪の黒い花。マリー・クワントの「独創性」と「自由」の象徴だ。

マリー・クワントは、1930年2月11日ロンドンの南東に位置するウーリッジで生まれた。両親はウェールズ出身の教師。ブラックヒース高校を卒業したクアントは美術教師になるためにゴールドスミス芸術大学に入学、1953 年に学位を取得した。
マリー・クワント(1966年)

マリー・クワント(1966年)

1955年、マリー・クワントは当時のボーイフレンドで、将来の夫となるアレキサンダー・プランケット・グリーンとロンドンのチェルシー地区のキングス・ロードに『バザー』(Bazaar)という店をオープン。1959年に若者向けに『ミニスカート』を売り出し、大ヒット。60年代におけるロンドンのストリートファッションシーンを牽引した。
1957年にアレキサンダー・プランケット・グリーンと結婚。1970年に息子オーランドが誕生した。

1963年に手頃な価格で世界中に販売するために衣料品の卸売り「マリー クワンツ ジンジャー グループ」を設立した。
1966年、マリー・クワントのデザインした ミニのAラインドレスを着るツィッギー。

「ミニの女王」と呼ばれるイギリスの女優、モデルおよび歌手のツイッギーもマリー・クワントの服を着た最も有名なモデルの一人だ。
1966年に大英帝国勲章オフィサー(OBE)受賞。
1968年にカンゴールのベレー帽のシリーズを発表。
1969 年に王立芸術協会により王立産業デザイナーに選出される。
同年に店舗を閉店。ライセンスビジネスに進出する。

Mary Export Quant (1966)

2000年10 月にマリー クアントリミテッドの取締役職を辞任したが、コンサルタントとして活動していた。
2015年に大英帝国勲章デイム・コマンダー(DBE)受賞。

2023年4月13日にマリー・クワントは、英国サリー州の自宅でで93歳で死去した。

マリークワントの日本進出・思い出のコスメ

1966年にマリー・クワントは、トータルコーディネートの一環として化粧品を発売。世界中で人気を博した。1971年3月にマリークワントは、日本に進出した。ファッションではなく、ライセンス会社マリークワントコスメチツクスジヤパンよりコスメの販売を開始した。

当時は、マリークワントの化粧品を販売していた店舗は、東京銀座のソニープラザ。他には、新宿の高野辺りのファッションビルの最上階で売っていた記憶がある。

マリークワントのコスメは資生堂やカネボウなどの国産化粧品を販売しているデパートでは、売っていなかった。ネット上の書き込みに70年代後半にイギリス旅行や留学した時に買ったという人がいることから、東京以外では、販売していなかったのではないか。

70年代の高校生:始めて買ったファンデーションが、マリークヮントのスムーケーキ。水なし、水あり両用なので、天然海綿スポンジを濡らして仕上げれば化粧崩れしにくい。マットな感じと甘くない香りが特徴的だった。
当時、一番は欲しかったマリークヮントのクレヨン。価格は、5千円位だったと記憶している。
個性に合わせて、好きな色を自由に組み合わせられる。マリークヮント「クレヨンセット」。
1983年にマリー クヮントファッションウェアを日本に導入。
日本限定でコスメと提携した「 Mary Quant カラー ショップ」をオープンした。

2000年にファッション業界、マリークヮント社から撤退

2000 年にマリー・クワントがファッション業界、マリークヮント社から撤退した後は、日本人オーナーに引き継がれた。現在は、全世界のすべての権利は『株式会社マリークヮントコスメチックス』に移行している。

2022年、マリー・クワントのドキュメンタリー映画『マリー・クワント スウィンギング・ロンドンの伝説』公開に伴い世界で巡回展が行われた。日本では、2022年11月26日(土)~2023年1月29日(日) にBunkamura ザ・ミュージアムにて、『マリー・クワント展』が開催された。ロンドンのヴィクトリア・アンド・アルバート博物館から約100点の衣服や写真、小物が展示された。

Bunkamura ザ・ミュージアム「マリー・クワント展」

日本発のマリークヮント

23 件

思い出を語ろう

     
  • 記事コメント
  • Facebookでコメント
  • コメントはまだありません

    コメントを書く
    ※投稿の受け付けから公開までお時間を頂く場合があります。

あなたにおすすめ

関連する記事こんな記事も人気です♪

【カネボウCM】1990年代のCMに出演!今見ても美しすぎるCMモデルたち

【カネボウCM】1990年代のCMに出演!今見ても美しすぎるCMモデルたち

化粧品のCMといえば、昔から映像の美しさに定評があり、登場するモデルもまたCMコンセプトにぴったりの美女が起用されていました。今回は、1990年代のカネボウのCMにフォーカスして、当時起用された美しすぎるCMモデルたちを独断と偏見でピックアップします。
izaiza347 | 1,119 view
【資生堂CM】1990年代のCMに出演!今見ても美しすぎるCMモデルたち

【資生堂CM】1990年代のCMに出演!今見ても美しすぎるCMモデルたち

化粧品のCMといえば、昔から映像の美しさに定評があり、登場するモデルもまたCMコンセプトにぴったりの美女が起用されていました。今回は、1990年代の資生堂のCMにフォーカスして、当時起用された美しすぎるCMモデルたちを独断と偏見でピックアップします。
izaiza347 | 1,072 view
【資生堂CM】1980年代のCMに出演!今見ても美しすぎるモデルたち

【資生堂CM】1980年代のCMに出演!今見ても美しすぎるモデルたち

化粧品のCMといえば、昔から映像の美しさに定評があり、登場するモデルもまたCMコンセプトにぴったりの美女が起用されていました。今回は、1980年代の資生堂のCMにフォーカスして、当時起用された美しすぎるモデルたちを独断と偏見でピックアップします。
izaiza347 | 2,116 view
「ミニの女王」ツイッギーってどんな人?

「ミニの女王」ツイッギーってどんな人?

1960〜70年代に世界で一世を風靡したツイッギー(Twiggy)は、人気が絶大なモデルでした。世界中でミニスカートやショートカットブームの火付け役となったツイッギーは、以降のファッショントレンドに大きな影響を与えることになりました。
五百井飛鳥 | 455 view
時空探偵マツ・de・デラックス【case MINI-MINIのいる日常-】第19話

時空探偵マツ・de・デラックス【case MINI-MINIのいる日常-】第19話

とある町の1台しか在庫を持たない中古車屋”ガレージ MIDDLE EDGE”。店主は性別不明の「マツ・ド・デラックス」。そしてその2階には謎の探偵「松田K介」と助手の「富田葵」が事務所を構える。そこには店舗に飾られた「名車」に係る「依頼人」が訪れ、様々な人間模様が・・・・。第4ケースは「ミニ」、黒いマリークワント仕様のブラックマリ―が登場。ベテラン実力派漫画家「なかがわひろき」×昭和の生き証人「山本圭亮」がお送りするSF昭和ファンタジー!ミドルエッジだけで読めるスペシャル連載が満を持して登場!!

この記事のキーワード

カテゴリ一覧・年代別に探す

あの頃ナウ あなたの「あの頃」を簡単検索!!「生まれた年」「検索したい年齢」を選択するだけ!
リクエスト