天馬の息子ミスターシービー
2016年11月25日 更新

天馬の息子ミスターシービー

80年代数多くの名馬が生まれたその時代天馬の息子と呼ばれるほどの強さを誇った伝説の馬ミスターシービー。その脚はまさに伝説。

4,064 view

天馬の父を持つ馬

1982年11月に競走馬としてデビュー。翌1983年に皐月賞、東京優駿(日本ダービー)、菊花賞を制し、1964年のシンザン以来19年振り・史上3頭目の中央競馬クラシック三冠を達成。翌1984年には天皇賞(秋)も制して四冠馬となったが、以降は一世代下に現れた三冠馬・シンボリルドルフとの対戦にことごとく敗れ、勝利のないまま1985年秋に故障で競走生活を退いた。その後は種牡馬となったが、期待されたほどの成績が上がらず、1999年に種牡馬も引退。翌2000年12月15日に蹄葉炎で死亡した。
競走馬時代は吉永正人を主戦騎手とし、天衣無縫、常識破りと言われた追い込み戦法や、端正な容貌などから大きな人気を博した。中央競馬において1980年代を代表するアイドルホースとされる。
デビューから引退まで終始同じ騎手が手綱を握った最初の三冠馬である(後にシンボリルドルフやディープインパクトも終始同じ騎手が手綱を取っている。)
http://www.nikkankeiba.com/jra50/22/image/22-mr-cb3.jpg (91552)

1980年4月、母シービークインの預託先であった北海道浦河町の岡本牧場で生まれる。父トウショウボーイは競走馬時代に「天馬」と称され一時代を築いた快速馬、母も重賞3勝を挙げた実力馬であり、両馬は競走馬時代に同じ新馬戦でデビューしている。出生後の幼名は特になく、競走名を付けられるまでは暫定的に「シービークインの1」とされた。
トウショウボーイの産駒は総じて後躯の重心が安定せず、「腰が甘い」馬が多いと言われていたが、本馬の腰はしっかりとしており、「トウショウボーイの良いところだけを全てもらったような馬」と評判となった。その後岡本牧場で離乳を終え、翌1981年3月、シービークインの所有者・本馬の公の生産者である群馬県片品村の千明牧場に移動、育成調教が積まれた。
競走年齢の3歳に達した1982年春、競走名「ミスターシービー」と名付けられ、茨城県美浦トレーニングセンターの松山康久厩舎に入る。馬名には前述の初代・本馬ともに、生産者である千明牧場 (Chigira Bokujou) を代表する馬という意味が込められていた。所属は初め、シービークインを管理していた松山吉三郎厩舎が予定されていたが、吉三郎の都合により息子の康久へと変更になったものである。

デビュー戦、そして敗北

デビュー戦後に出走したひいらぎ賞では負けてしまうんですね。
しかし、当初は先行を予定していたが、出遅れてしまったために追い込みで勝負するしかありませんでした。それが次からの試合につながることとなりました。「あいつのことが分かった気がするんだ」と吉永騎手が妻に嬉しそうに話したというエピソードもありますし分かったとはまさにその脚に気がついた。ということでしょう。
http://trust-me-swan.cocolog-nifty.com/swan/images/mister_cb_1_thumb.jpg (91556)

結果としてこの敗北があったからこそ、ミスターシービーは歴史に名を残すことになったんでしょう。

才能の開花〜G1の制覇

追込馬としての才能が開花したミスターシービーに敵はありませんでした。
迎えた皐月賞、当日は追込馬は絶対不利の泥まみれの馬場だったと言います。ライバルと言われていた相手はメジロモンスニー、相手はカツラギエース、ニホンピロウイナーなど歴史に名を残す名馬たちでした。しかし、ミスターシービーはこのレース、徐々に追い上げメジロモンスニーを半馬身差で抑える走りを見せます。

【歴史的名勝負】第43回皐月賞G1吉永正人 - YouTube

http://trust-me-swan.cocolog-nifty.com/swan/images/mister_cb_12_thumb.jpg (91562)

男前です。
不良馬場での決行でしたが、問題なく勝利を手に掴みました。

そして2冠~3冠

続くダービーでは父トウショウボーイの雪辱が掛ったレースに挑みます。ミスターシービーは1.9倍の超一番人気、しかしミスターシービーはいきなり出遅れてしまう。しかし吉永騎手は慌てることなく1コーナーをに21頭中18番目で入って行った。ダービーポジション完全無視です。ありえないレース運びに場内は大きくざわめいたと言います。しかし3コーナー過ぎから徐々に上がって行き、直線では早々に先頭。おいおい、こんな乱暴なレース運びに多くのファンはハラハラ。しかし、メジロモンスニーの追い込みなんてまだまだと言わんばかりの強さで圧勝した。

1983年】第50回 日本ダービー ミスターシービー.mp4 - YouTube

ミスターシービーも夏に蹄を傷め、夏風邪を生じて調整が遅れてしまい京都新聞杯では期待を裏切る4着に敗れてしまう。「やっぱり三冠馬は無理か」多くのファンはこの時点で伝説を諦め始めていたと言います。京都新聞杯の勝ち馬はカツラギエースであり、調整不足だった事を考えれば悲観するほどの内容では無かったのではないでしょうか。

そして菊花賞。前走よりも人気を落としたとはいえ、一番人気のミスターシービー、心を惹きつきます。。
なんと、スタートから最後尾を追走する形となりました。裏切りますミスターシービー。2コーナーをシンガリで通過。京都競馬場の3コーナーの坂の上り、シービーは大外を通って一気に先頭に並び掛けてしまいます。
京都の3コーナーからの上り下りは「ゆっくり上り、ゆっくり下る」のが常識のはず。しかしシービーは下りでは早くも先頭。直線で20頭の追い込みを受けて立つ事となった。しかしシービーの脚は衰えを見せない。「大地が、大地が弾んでミスターシービーだ!」「史上に残る、史上に残るこれが三冠の脚だ!」杉本清アナウンサーの名言も飛び出す。
結局3馬身差をつけてミスターシービーが優勝。

菊花賞 ミスターシービー(1983年) - YouTube

http://trust-me-swan.cocolog-nifty.com/swan/images/mister_cb_1_thumb.jpg (91569)

25 件

思い出を語ろう

     
  • 記事コメント
  • Facebookでコメント
  • コメントはまだありません

    コメントを書く
    ※投稿の受け付けから公開までお時間を頂く場合があります。

あなたにおすすめ

関連する記事こんな記事も人気です♪

JRAが「復刻!馬券メーカー」を公開!懐かしの馬券を再現できると話題に!「みどりのマキバオー」つの丸も参戦!!

JRAが「復刻!馬券メーカー」を公開!懐かしの馬券を再現できると話題に!「みどりのマキバオー」つの丸も参戦!!

JRAがこのたび、「復刻!馬券メーカー」というサイトを公開し、SNSを中心に懐かしの馬券が溢れていると大きな話題になっています。
隣人速報 | 440 view
「インスタントジョンソン」じゃい(50)が9370万円馬券を的中!芸能界のギャンブル好きな方々をご紹介!!

「インスタントジョンソン」じゃい(50)が9370万円馬券を的中!芸能界のギャンブル好きな方々をご紹介!!

お笑いトリオ「インスタントジョンソン」のじゃい(50)がこのたび、競馬で自己最高の約9370万円の馬券を的中したことが明らかとなりました。
隣人速報 | 1,720 view
競馬ゲームはゲーセンの花形!メダルゲームの楽しさを教えてくれました。

競馬ゲームはゲーセンの花形!メダルゲームの楽しさを教えてくれました。

大きなゲームセンターに行くと、奥の方に賑やかなメダルゲームコーナーがありましたよね。スロットやポーカーなどの機械の真ん中にひときわ賑やかな競馬ゲーム!メダルゲームの楽しさを教えてくれました。
青春の握り拳 | 10,483 view
競艇・麻雀・競馬など、生き方そのものもギャンブル?芸能人ギャンブル狂伝説!

競艇・麻雀・競馬など、生き方そのものもギャンブル?芸能人ギャンブル狂伝説!

売れるかどうか運否天賦に委ねられている芸能界に身を投じるのはある種のギャンブル。それゆえ、親和性が高いからなのか、賭け事に熱中する(していた)タレントというのは意外と多いものです。今回はその中でも特に選りすぐりの芸能人ギャンブラーを紹介していきます!
こじへい | 6,943 view
出馬表決定!G1競馬2018【安田記念】みんなの『事前予想』で勝ち馬を当てろ!~過去データを振り返るクイズ付~

出馬表決定!G1競馬2018【安田記念】みんなの『事前予想』で勝ち馬を当てろ!~過去データを振り返るクイズ付~

日本中央競馬会の初代理事長を務めた「安田伊左衛門」に由来する【安田記念】。第68回を迎える2018年の日程は6月3日(日)!みんなの勝ち馬予想アンケートを見て、レースの参考にしてみて下さい!(クイズは第1回~第67回までの結果から出題)

この記事のキーワード

カテゴリ一覧・年代別に探す

あの頃ナウ あなたの「あの頃」を簡単検索!!「生まれた年」「検索したい年齢」を選択するだけ!
リクエスト