プロレス業界内外を問わず、多くの人を魅了し続けるアントニオ猪木。
そんなアントニオ猪木を心から敬愛するモノマネ芸人として知られるアントニオ小猪木。
読者の皆さんの中には「とんねるずのみなさんのおかげでした」の名物コーナー「博士と助手〜細かすぎて伝わらないモノマネ選手権〜」で爆笑を誘ったアントニオ小猪木の「サイレント落下」を憶えている方も多いことでしょう。
アントニオ猪木の形態模写一筋に16年。
今もなお所属する西口プロレスのタレントとしてリングに上がり続けるアントニオ小猪木さんに、ミドルエッジ編集部(ミド編)はインタビューの機会を頂戴しました。
そんなアントニオ猪木を心から敬愛するモノマネ芸人として知られるアントニオ小猪木。
読者の皆さんの中には「とんねるずのみなさんのおかげでした」の名物コーナー「博士と助手〜細かすぎて伝わらないモノマネ選手権〜」で爆笑を誘ったアントニオ小猪木の「サイレント落下」を憶えている方も多いことでしょう。
アントニオ猪木の形態模写一筋に16年。
今もなお所属する西口プロレスのタレントとしてリングに上がり続けるアントニオ小猪木さんに、ミドルエッジ編集部(ミド編)はインタビューの機会を頂戴しました。
アントニオ猪木モノマネで16年、アントニオ小猪木さんです!
「細かすぎて伝わらないモノマネ選手権」でのサイレント落下はお茶の間を爆笑の渦に巻き込みましたが、やはり幼いころからアントニオ猪木さんへの憧れを抱いていらっしゃいましたか?
「細かすぎて伝わらないモノマネ選手権」でのサイレント落下はお茶の間を爆笑の渦に巻き込みましたが、やはり幼いころからアントニオ猪木さんへの憧れを抱いていらっしゃいましたか?
もちろんアントニオ猪木への憧れはありました。小学校3、4年生くらいの頃からですね。
そして幼いころから夢見ていたのは「コント師」になること、といっても幼稚園で将来の夢は「声優」「バイクレーサー」なんて言ってたみたいです(笑。
卒業アルバムの「将来の夢」の欄に「テレビのスター」と書いてました!
遊びの天才!?埼玉に育った少年時代
コント師やTVスター、幼い頃よりエンターテイナーを夢見ていた小猪木さん。
幼少期はどのように過ごされていましたか?
幼少期はどのように過ごされていましたか?
そうですね、まずTV番組だとご多分に漏れず「ウルトラマン」「仮面ライダー」を観ていました。アニメで好きだったのは「あしたのジョー」や「タイガーマスク」「ジャングル黒べえ」「ど根性ガエル」「ルパン三世」あたりです。
「タイガーマスク」や「あしたのジョー」などは幼少期にアニメでハマって、後にマンガがあることを知って読むんですよ。そうするとアニメでは描かれなかった背景や違ったストーリー展開があることを知ってもう一度アニメが観たくなる。結局大人になってDVDをまとめ買いですよね(笑。
ストーリー展開という部分では、例えばウルトラマンの”怪獣が登場するまで”の流れがグッと来たもんです。ザっと挙げてもウルトラセブンの「ジャミラ」「ジェロニモン」「ペガッサ星人」など、どれもただ「VS怪獣」って訳じゃない。それぞれに切ない背景の物語があって。
そして子供心に印象的だったのは、当時の特撮やアニメに登場した夕焼けのシーンやしみじみとした気持ちになったエンディングテーマ。
あ、たしかに今思えば幼いころに観た特撮やアニメって夕焼けのシーンが印象的でした。
そしてエンディングテーマはどこかもの悲しい…。
そしてエンディングテーマはどこかもの悲しい…。
そうなんですよ。あれってなぜなんだろう?夕飯時で子どもが家に帰る時間、を象徴するようなシーンだったのかな。
思えば大人になってからも観れる特撮やアニメが多かった気がします。
経験から学んで感性が磨かれていく
現代は行動する前に情報が手に入ることがほとんどじゃないですか。例えばCDのジャケ買いなんて現代っ子はやらないかも。意外と失敗するジャケ買い(笑。
子どもの頃だと、スマホやナビなんてない時代にチャリンコ(自転車)でとにかく遠くを目指して5、60kmくらい走って。一緒に行った仲間のお尻の皮が剥けちゃって、行きは2時間半で帰りは5時間かかったり。
僕の経験で小学校2年生の時に自転車が壊れたんですよ、それで友達と外で遊ぶときはずっと走って過ごしてた。気が付けばマラソン大会でグングン上位にランクインするようになって(笑。
2007年のTBS「オールスター感謝祭 '07秋」の赤坂5丁目ミニマラソンで優勝するという(笑。
地元ではいつも、年の離れた上級生と下級生が一緒に遊んでいた
少年時代はどんなことをして遊んでいらっしゃいましたか?
団地住まいでベビーブームでしたから、常に上級生から下級生まで大勢で遊んでいましたよ。下級生でも遊べるようにルールを設定して、例えばゴムボール野球なら「三振ナシ」とか鬼ごっこなら「命が3つ」とか。
幼いころは1学年も違えば体格のハンデがありました。
下級生でも遊べるようにルールを自分たちで工夫しましたよね。
下級生でも遊べるようにルールを自分たちで工夫しましたよね。
楽しく遊ぶために、ルールってどんどん進化するんですよね。
例えば「鬼ごっこ⇒空中鬼⇒コースを決める⇒ボールを持って遠くから当てられたらアウト」。
ゴムボール野球だと「2人対2人」でツーアウト交代、ホームランかフライ(シングルヒット)、ゴロ(アウト)、歩行者に当たるとダブルプレー。
そんな感じに、どんどん遊びやすく進化していく。
ドロケイはチャリンコドロケイや無制限ドロケイに。
缶蹴りは公園敷地内全部という広範囲に広げ、代わりに鬼は「缶を守る+見張り」の2人体制。
ゴムボールとバットで「ノックゴルフ」なんて遊びも作りました。土に穴を掘ったら、その場でバットをフルスイングしてボール飛ばし、飛んだ場所からバットをゴルフクラブに見立てて穴まで運んでいく遊び。
一方、当時は日本全国でファミコンブームが巻き起こった時代でもありました。
ファミコンは嫌いでした。キライな理由は外で遊ぶ方が断然好きだったし、僕はテレビゲームは持ってなかった。それに持ってる人と持ってない人の差が出るから。
だから僕らはみんなが平等に遊べるように、例えば野球ゲームだったら守備と攻撃どっちがやりたいかでチームを分ける「守備VS攻撃」にしたり。
後はファミリージョッキーなどは上級生が本気で馬に賭けて(アイスとかお菓子とか)下級生が実際にプレイする、そうすれば観戦する側もプレイする側も盛り上がりましたね。
身長158cm、体重55kg、血液型B型。
西口プロレス所属。