2017年10月2日 更新

マルチタレントを目指した若き日から一転、猪木モノマネ一筋16年!アントニオ小猪木!!

お笑いプロレス「西口プロレス」を代表する人気タレント、アントニオ小猪木!小柄ながらそのキレッキレの動きを武器に「とんねるずのみなさんのおかげでした」名物コーナー「細かすぎて伝わらないモノマネ選手権」で一躍ブレイクしたことを憶えている方も多いのでは?猪木モノマネ一筋16年、アントニオ小猪木がそこに辿り着いた道程を伺った。

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プロレス業界内外を問わず、多くの人を魅了し続けるアントニオ猪木。
そんなアントニオ猪木を心から敬愛するモノマネ芸人として知られるアントニオ小猪木。

読者の皆さんの中には「とんねるずのみなさんのおかげでした」の名物コーナー「博士と助手〜細かすぎて伝わらないモノマネ選手権〜」で爆笑を誘ったアントニオ小猪木の「サイレント落下」を憶えている方も多いことでしょう。

アントニオ猪木の形態模写一筋に16年。
今もなお所属する西口プロレスのタレントとしてリングに上がり続けるアントニオ小猪木さんに、ミドルエッジ編集部(ミド編)はインタビューの機会を頂戴しました。
アントニオ小猪木さん

アントニオ小猪木さん

1971年8月22日生、埼玉県志木市出身。
身長158cm、体重55kg、血液型B型。
西口プロレス所属。
アントニオ猪木モノマネで16年、アントニオ小猪木さんです!

「細かすぎて伝わらないモノマネ選手権」でのサイレント落下はお茶の間を爆笑の渦に巻き込みましたが、やはり幼いころからアントニオ猪木さんへの憧れを抱いていらっしゃいましたか?
もちろんアントニオ猪木への憧れはありました。小学校3、4年生くらいの頃からですね。
そして幼いころから夢見ていたのは「コント師」になること、といっても幼稚園で将来の夢は「声優」「バイクレーサー」なんて言ってたみたいです(笑。
卒業アルバムの「将来の夢」の欄に「テレビのスター」と書いてました!

遊びの天才!?埼玉に育った少年時代

コント師やTVスター、幼い頃よりエンターテイナーを夢見ていた小猪木さん。
幼少期はどのように過ごされていましたか?
そうですね、まずTV番組だとご多分に漏れず「ウルトラマン」「仮面ライダー」を観ていました。アニメで好きだったのは「あしたのジョー」や「タイガーマスク」「ジャングル黒べえ」「ど根性ガエル」「ルパン三世」あたりです。

「タイガーマスク」や「あしたのジョー」などは幼少期にアニメでハマって、後にマンガがあることを知って読むんですよ。そうするとアニメでは描かれなかった背景や違ったストーリー展開があることを知ってもう一度アニメが観たくなる。結局大人になってDVDをまとめ買いですよね(笑。

ストーリー展開という部分では、例えばウルトラマンの”怪獣が登場するまで”の流れがグッと来たもんです。ザっと挙げてもウルトラセブンの「ジャミラ」「ジェロニモン」「ペガッサ星人」など、どれもただ「VS怪獣」って訳じゃない。それぞれに切ない背景の物語があって。

そして子供心に印象的だったのは、当時の特撮やアニメに登場した夕焼けのシーンやしみじみとした気持ちになったエンディングテーマ。
あ、たしかに今思えば幼いころに観た特撮やアニメって夕焼けのシーンが印象的でした。
そしてエンディングテーマはどこかもの悲しい…。
そうなんですよ。あれってなぜなんだろう?夕飯時で子どもが家に帰る時間、を象徴するようなシーンだったのかな。
思えば大人になってからも観れる特撮やアニメが多かった気がします。

経験から学んで感性が磨かれていく

現代は行動する前に情報が手に入ることがほとんどじゃないですか。例えばCDのジャケ買いなんて現代っ子はやらないかも。意外と失敗するジャケ買い(笑。

子どもの頃だと、スマホやナビなんてない時代にチャリンコ(自転車)でとにかく遠くを目指して5、60kmくらい走って。一緒に行った仲間のお尻の皮が剥けちゃって、行きは2時間半で帰りは5時間かかったり。

僕の経験で小学校2年生の時に自転車が壊れたんですよ、それで友達と外で遊ぶときはずっと走って過ごしてた。気が付けばマラソン大会でグングン上位にランクインするようになって(笑。
2007年のTBS「オールスター感謝祭 '07秋」の赤坂5丁目ミニマラソンで優勝するという(笑。

地元ではいつも、年の離れた上級生と下級生が一緒に遊んでいた

少年時代はどんなことをして遊んでいらっしゃいましたか?
団地住まいでベビーブームでしたから、常に上級生から下級生まで大勢で遊んでいましたよ。下級生でも遊べるようにルールを設定して、例えばゴムボール野球なら「三振ナシ」とか鬼ごっこなら「命が3つ」とか。
幼いころは1学年も違えば体格のハンデがありました。
下級生でも遊べるようにルールを自分たちで工夫しましたよね。
楽しく遊ぶために、ルールってどんどん進化するんですよね。

例えば「鬼ごっこ⇒空中鬼⇒コースを決める⇒ボールを持って遠くから当てられたらアウト」。
ゴムボール野球だと「2人対2人」でツーアウト交代、ホームランかフライ(シングルヒット)、ゴロ(アウト)、歩行者に当たるとダブルプレー。

そんな感じに、どんどん遊びやすく進化していく。

ドロケイはチャリンコドロケイや無制限ドロケイに。
缶蹴りは公園敷地内全部という広範囲に広げ、代わりに鬼は「缶を守る+見張り」の2人体制。

ゴムボールとバットで「ノックゴルフ」なんて遊びも作りました。土に穴を掘ったら、その場でバットをフルスイングしてボール飛ばし、飛んだ場所からバットをゴルフクラブに見立てて穴まで運んでいく遊び。
一方、当時は日本全国でファミコンブームが巻き起こった時代でもありました。
ファミコンは嫌いでした。キライな理由は外で遊ぶ方が断然好きだったし、僕はテレビゲームは持ってなかった。それに持ってる人と持ってない人の差が出るから。
だから僕らはみんなが平等に遊べるように、例えば野球ゲームだったら守備と攻撃どっちがやりたいかでチームを分ける「守備VS攻撃」にしたり。
後はファミリージョッキーなどは上級生が本気で馬に賭けて(アイスとかお菓子とか)下級生が実際にプレイする、そうすれば観戦する側もプレイする側も盛り上がりましたね。

毎日が遊びだった中学時代から高校を経て「自分探し」へ

中学~高校時代についてお聞かせください。
中学に入るとバトミントン部に入部しました、みんながやる部活よりも誰もいかないところに行こうと思って(笑。
顧問の先生も来てくれない小さな部だったのでトレーニングも自分たちで考えてました。木登りしたり、体育館の裏にあった剣道の防具をつけて練習したり。そしてバトミントンの練習が終わったらプロレスごっこ!
中学時代はプロレスブーム

中学時代はプロレスブーム

人の家、芝生の上、体育館、全てがプロレスマット!
当時、仲間内で流行っていたのは「プロレスリーグ戦」。
「リーグ戦やるぞ」と勝手にメンバー表を作ると仲間に「お前エントリーされてんぞ!」と触れ回る。
「おう、黒板消してから行くわ」と来れば『凶器攻撃は5秒まで!』とカウントが始まります。「ちょっとトイレ行ってからな~」なんて言われたら『場外カウント20カウント』のカウントダウンが始まります。
リーグ戦に負けると、罰ゲームは「上級生の廊下を歩く」(笑。
えっ、それ嫌な罰ゲームですね~(汗。
勉強はカラッキシでした。
地元の寺子屋みたいな塾に通いましたがみんな頭悪いのばっかりで、時計の針を動かして授業を早く終わらせて、近くの焼き鳥屋で1本40円の焼き鳥食べて粋がって、暫くすると先生にバレて怒られて…。
なんだかドリフの学校コントみたいな日常ですね(羨。
高校は工業高校へ行きました。
本当は進学に興味がなくて勉強したくないから工業高校って動機です…。男子校だったんですけど、退屈な日々でしたね。みんな勉強したくない、とりあえず学校行きなさいといわれたから通ってるような。
それで就職活動時期になり、ホテルマンや寿司屋の見習いを受けてみました。

ホテルマン⇒英検はもってる?⇒持ってます(4級)⇒不合格
寿司屋さん⇒住み込みは出来る?⇒嫌です⇒不合格

そして、自分探しが始まる

で、結局自分は何をやりたいのか?と考えたときに「テレビに出たい」「欽ちゃんやドリフみたいになりたい」って気持ちが変わらなかったんですよね。
それで、雑誌でオーディションなどをみて事務所に飛び込みました。
子どもの頃の想いのままに

子どもの頃の想いのままに

父親からは大学に4年行ったつもりでと、母親からは祖母も芸能の道を夢見ていたことを話されたといいます。

「劇団」「ダンス」から「お笑い」の道へ

芸能活動の始まりは西口プロレスやアントニオ猪木モノマネと関係ないところからだったんですね?
最初は喜劇役者を目指したくて、それなら基本の芝居を身に着けようということでエキストラをやりながら芝居やダンス(ジャズダンス)の勉強をしていました。ちなみにダンスの下地はいまのモノマネの動きに役立っているんですよ。

欽ちゃん劇団に所属した時期もあり、その後も知人が喜劇や劇団をやると聞けば出演して、また別の所から誘われたりの繰り返しでした。

ある時、シリアスな演技を求めてくる座長に「喜劇人を目指しているのだからシリアスな演技はやりたくない!」なんて言ってしまったことがあります。その時に座長から「シリアスな人がシリアスな演技をやっても普通で、普段明るい人がやるから観る人の心を動かすのだ」と。

「ピエロの涙は美しい」の例え話をいただいたのですが「僕はクラウン(道化者)です」と伝えて道化者役に変えてもらったりして。そんなときは水を得た魚のように演技が出来たものです。

20年代前半でプライドもあったんでしょうね。
ある時お酒を飲んで演技論を語っているとき、女性に「あなたのは芝居じゃない、あなた自身を投影してるだけ」と言われてグサッと来たのが忘れられません。
10~20代前半を捧げた劇団とダンスの日々、努力とは頑張る事じゃなく自然と継続することだと教えてくれたと語る小猪木さん。

でも、ここにいたら「お笑い」が出来ない。そんなとき「劇団東京乾電池」出身で5歳年上の芸人、ウクレレえいじさんとの出会いがありました。

ウクレレえいじとの出会い、ラヴ兄弟結成へ

基本的には5人が中心となって活動していたラヴ兄弟。
後の西口プロレス主要メンバーである佐々木孫悟空、長州小力、ジャイアント小馬場もこの時のメンバーです。

浅井企画に所属して活動したラヴ兄弟でしたが…。
基本的には芝居をやりつつ喜劇を志向していたメンバー。練習の始まりはいつもプロレスごっこでした。
ところが何やっても自分たちの殻を破ることが出来ない(単独ライブをすごい数こなしてた)。コントの練習しながら「俺の方が面白い」で5人が喧嘩することもザラでした。ツッコミの練習でメンバーの鼓膜が破れたりビンタで口が切れたりもしました!

アントニオ小猪木、長州小力の誕生秘話

ある時、ラヴ兄弟公演のためにチラシを制作していた小猪木さん。
チラシに空白部が出来てしまい、それを埋めるつもりでメンバーの似顔絵を描こうとします。
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