あれ、こいつ長州力に似てるかも?なんて思って呼んでみたんですよ。「お前、ちょっと長州のマネしてみ?」って。これがプロレスコントのきっかけなんです。
それから結婚式の営業で披露したり、新日本プロレスの東京ドーム大会にメンバーでコスプレして観戦に行って客席でモノマネしたり。長州さんの引退大会や猪木さんの引退大会で東京ドームのウェーブを成功させて。まあ、この頃はただのコスプレ軍団という印象でしたけどね(笑。
その後ラヴ兄弟自体は98~99年頃にユニット解散となってしまいますが、アントニオ小猪木や長州小力、ジャイアント小馬場の原型が生まれたのは確かにこの時代でした。
「西口プロレス」参戦、アントニオ小猪木としてブレイク!
ラヴ兄弟解散後、メンバーだった佐々木孫悟空が西口プロレスを立ち上げることに。
とはいえ解散後のギクシャクのなか、小猪木さんが旗揚げ戦に参加することはありませんでした。
とはいえ解散後のギクシャクのなか、小猪木さんが旗揚げ戦に参加することはありませんでした。
ユニット解散でギクシャクしてはいたものの、当時30歳過ぎて売れてない芸人はアウト。ちょうどそこに差し掛かる28、29のときだったんですよね。
いまから就職してもまともな職には就けない、30過ぎてからじゃ売れない、だったら月に1回アントニオ猪木になり切って後は貧乏生活でもいいかと思ったんです。じゃあ「アントニオ小猪木でいくか!」と。
そしたら同じタイミングで小力が「おれ長州小力やろうと思うんだけどお前一緒にやらない?」って。それで同じ時期に西口プロレスへ合流したんです。
若い時は歌も芝居も喜劇もとマルチタレントを夢見ていたものの…アントニオ猪木のモノマネ一本に絞って腹を括ります。
結果、それまでに培ったコントやダンスが役に立ち、また他メンバーの頑張りもあって西口プロレスが注目を集め始めました。
結果、それまでに培ったコントやダンスが役に立ち、また他メンバーの頑張りもあって西口プロレスが注目を集め始めました。
旗揚げ1年目の年末最終戦に「アントニオ小猪木VS神風健三郎(現=佐々木孫悟空)」が決まったんです。
お互いにラヴ兄弟を解散した因縁もありますから密かに「よ~し、やってやるぜ!」なんて気持ちで試合に臨んで。
ところが他人の喧嘩って面白くて逆にお笑いになるんですよ。「え、これマジでやってんの?」って。
10~20年早かったらファンも選手も怒ったと思います。90年代の学生プロレスなどの勃興とかタイミングも良かったのかもしれません。
旗揚げ2年目の終わりにハチミツ二郎がM-1ファイナリストに、翌年頭には長州小力がR-1ファイナリスト、同じ年の夏に僕が『とんねるずのみなさんのおかげでした』「細かすぎて伝わらないモノマネ選手権」で優勝し、西口プロレスはブレイクすることが出来ました。
プロレス雑誌にも取り上げられるようになって「お笑いプロレス」が認められるようになったんですね。そこからは会場でこれまでよりもマニアックなネタを披露してもウケるようになりました。
最後に残ったのが「猪木モノマネ」だった
「この1点で!」と定めてから16年。振り返ればそれ以前は地に足がついてなかったかもしれません。
気持ちばかりマルチタレントになりたい!なんて思ってもスペシャリストはいくらでもいて、ハッタリという鎧を被って色々やってはみたものの剥がされて剥がされて、最後に残ったのが「猪木モノマネ」だったんです。
20代までと30代以降の人生は全く別物、考え方も変わったと語る小猪木さん。
幼いころの色んな遊びを目を輝かせて語ってくれる小猪木さんにとって、10~20代の葛藤を経て辿り着いた「アントニオ猪木のモノマネ」は本当に大切な「自分が負けないもの」だったのです。
幼いころの色んな遊びを目を輝かせて語ってくれる小猪木さんにとって、10~20代の葛藤を経て辿り着いた「アントニオ猪木のモノマネ」は本当に大切な「自分が負けないもの」だったのです。
「猪木モノマネ3人衆」の棲み分け
猪木モノマネも極めていけばいくほど新しい世界が見えてきます。モノマネを始めて3年目に遭遇したのが「春一番」さんでした。
お会いして、そのときにモノマネやってみろといわれて「春一番さんは声帯模写、僕は形態模写なんです」と。そこで春一番さんが認めてくれたんですよ。
次に現れたのが「アントキの猪木」。彼は体格も大きくて、姿形の面でもっとも似ている。
結果、春一番さんは声、アントキの猪木は姿、小猪木は動きといった棲み分けが出来ました。
目指すのは「ドリフ・西口・新喜劇」!
アントニオ小猪木一筋に16年、西口プロレスを代表するタレントです。
この先はどこに向かって走っていくのでしょうか?
この先はどこに向かって走っていくのでしょうか?
僕も46歳、お笑いプロレスとはいえ数年前だったらリングで難なく出来ていた動きが年々厳しくなっています。
とはいえそこは、お笑いとプロレスとモノマネを融合した「お笑いプロレス」。プロレスには引退があるけどお笑いには引退がない、プロレスなら身体を張れるメンバーが上にいけばいいし、お笑いならザ・ドリフターズだっていまだ現役。魅せ方はいくらでもあるしそこを追及したいです。
結局はパッケージ全体でのチームプレー。かつてお笑いでギスギスしたり、ダンスでも劇団でも役割分担、その経験が凄い生きています。
ドリフのコントで仲本工事さんの「お母ちゃんコント」ってのがあって、森光子さん演じるお母ちゃんに仲本さんが投げられまくる(というか自分で勝手に受け身取り続ける)コントがありました。
森光子さんに突っ込んで受け身一つでコントを成立させていた、これこそ西口プロレスだと。
アントニオ猪木さんが「いつ何時誰の挑戦でも受ける」ならば、西口は「いつ何時誰と闘っても面白く出来る」そこを目指すんです。
ストレス発散に来てくれるお客さんを、万国共通のボディランゲージで笑わせる、目指すは「ドリフ・西口・新喜劇」!
実際に西口プロレスのリングにはこれまでも、プロレスラーからジャニーズ事務所のアイドルまで、多種多様な方たちが上がっています。
どんな人がリングに上がっても「面白く出来る」それこそが「お笑いプロレス」先駆者である西口プロレス、そしてアントニオ小猪木さんの徹底したこだわりなのだと思います。
お笑いあり、モノマネあり、そしてプロレスあり。
プロレスリングを舞台に繰り広げられる唯一無二の「お笑いプロレス」。
西口プロレスを、読者の皆さんもぜひ一度観戦していただけたらと思います。
どんな人がリングに上がっても「面白く出来る」それこそが「お笑いプロレス」先駆者である西口プロレス、そしてアントニオ小猪木さんの徹底したこだわりなのだと思います。
お笑いあり、モノマネあり、そしてプロレスあり。
プロレスリングを舞台に繰り広げられる唯一無二の「お笑いプロレス」。
西口プロレスを、読者の皆さんもぜひ一度観戦していただけたらと思います。