大橋巨泉を司会に、ナレーターは小倉智昭、解答者は石坂浩二、ビートたけしなど、今では、そうそうたるメンバーが顔を揃えていたこの番組。当時、外国人タレントブームで、ケント・ギルバートやチャック・ウィルソンなどの外国人も解答者として名を連ねていました。
『世界まるごとHOWマッチ』(せかいまるごとハウマッチ)は、1983年4月7日から1990年4月5日まで、TBS系列ほかで放送されていた毎日放送(MBS)とイースト[1]共同制作のトークショーを兼ねたクイズ番組である。放送時間は開始当初毎週木曜22:00 - 22:54 (JST)だったが、1984年10月4日より同じ曜日の20:00 - 20:54 (JST)に移動した
番組最高視聴率は1984年5月31日に放送した回の33.8%(ビデオリサーチ・関東地区調べ)。
VTRを見て、世界各国の品物、サービス、とにかくお金のかかるものにそれが、いくらか答える番組。日本円ではなく、その国の通貨で答えます。解答に近い答えを出した解答者でも、かけ離れていると正解にはならないとか、その日の優勝者が特に選ばれないなど、通常の番組とは趣向が違いました。答えの種類によって、ホールインワン、ニアピン、ロストボールなどが与えられ、その本数により海外旅行への招待があり、本数によっては、視聴者にも海外旅行のプレゼントがありました。解答をフリップに書いて出すときに「せーの、HOWマッチ!」というのが、通例でした。
正解に対する「賞」はゴルフに見立てたものとなっていた。
ピタリ正解の場合は「ホールインワン賞」として(テレビ画面には「ホールインワン賞・世界一周旅行」の字幕スーパーが出る)、解答者席には上部が地球儀の形をイメージした「ゴールデントロフィー」が置かれ、世界一周旅行獲得となる。
巨泉が「正解に近い」と判断した場合には「ニアピン賞」が与えられ、「ゴールデントロフィー」と同じデザインだが一回り小さいトロフィーが解答者席前に並べられる(その際の字幕スーパーは「ニアピン賞」と出る上、観客からの拍手もある)。ニアピン賞は3本獲得で東南アジア旅行(香港やシンガポール)、5本獲得でハワイ旅行やグアム島旅行、7本獲得でアメリカ西海岸旅行などの海外旅行と引き換えられるが、10本まで我慢すれば世界一周旅行を獲得できた
ニアピン賞ほどではないが、そこそこの答えには「仮」(別名・仮ピン〈かピン〉)が与えられ、同じ回の放送でその後再び「仮」に匹敵する答えを出すと、「併せ技で1本」としてニアピン賞が与えられた。
解答が正解から2桁以上離れていた場合、「ロストボール」として(テレビ画面には「ロストボール・(名前)」の字幕スーパーが出る)ニアピン賞1本が没収され、専用の棚(2段分のスペース)にそのトロフィーが飾られた。ロストボールを飾る棚にはその解答者の名前「〜様」がリボンをつけて記されていた。
番組後期にはレギュラー解答者限定で、没収するニアピントロフィーがない場合、いわゆるマイナスポイントとして、月にデビルが乗った「デビル人形」が置かれるようになった。(テレビ画面には「デビル・(名前)」の字幕スーパーが出る)この「デビル人形」がある状態でニアピン賞を出した場合は、トロフィーを置く代わりに「デビル人形」がひとつ減った。減ったデビルはロストボールの棚に飾られる(本来ロストボールとして供出すべきニアピンを借りていたと考えられるため。初めてこの場面になったとき、石坂が強く主張した)。
小池可奈:西村が産休の時のピンチヒッター
餌取陽子:後期
出題VTRの補足をすることもよくあり、巨泉からは「教養担当助役」と呼ばれていた。石坂の本名(武藤兵吉)に由来するあだ名「兵ちゃん」はこの番組から知られることとなった。