クイズダービーで飛び交った「はらたいらに3000点!」「篠沢教授に全部!!」「3択の女王竹下景子」などの名シーン。
2016年6月3日 更新

クイズダービーで飛び交った「はらたいらに3000点!」「篠沢教授に全部!!」「3択の女王竹下景子」などの名シーン。

「クイズダービー」でおなじみだった名シーンは「はらたいらに3000点!」「3択の女王竹下景子」「篠沢教授に全部!」「倍率ドン!さらに倍!」。出場者がどの解答者に賭けるか、まさに手に汗握る瞬間でした。大橋巨泉の番組センスが光った「クイズダービー」について。

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クイズダービー

ロート ロート ロート♪

ロート製薬 - YouTube

ロート製薬のお馴染みのCMとともに「クイズダービー」スタートです♪

解答者と出場者が存在する珍しいクイズ番組でした

クイズダービー

クイズダービー

『クイズダービー』は、毎週土曜日の19:30 - 20:00(JST)にTBS系列で放送されていた、ロート製薬一社提供のクイズ番組。
初回は1976年1月3日、最終回は1992年12月19日で、全862回放送された。
競馬形式のクイズ番組

競馬形式のクイズ番組

出場者が解答者の中から正解すると思う解答者1人に自分の持ち点を賭けて、得点を増やしていく競馬形式のクイズ・ゲーム番組。

クイズダービー 巨泉の最終回(1) - YouTube

クイズダービー 巨泉の最終回(2) - YouTube

大橋巨泉の企画だった

ルールの考案は大橋巨泉

ルールの考案は大橋巨泉

大橋巨泉の競馬好きから、かつて巨泉がカナダで見たクイズ解答者を馬に見立て賭けを行い高得点を競う競馬形式のクイズ番組『セレブリティ・ステークス』を模倣した番組が企画された。
なお、巨泉が自らの趣味を番組の内容に反映させた例としては、『世界まるごとHOWマッチ』(1983年〜1990年)でゴルフのルールが取り入れられていた事等がある。
最高視聴率は1979年6月30日に記録した40.8%(関東地区)で、ビデオリサーチ調べのクイズ・ゲーム部門ではNHK総合テレビ『クイズ面白ゼミナール』が記録した42.2%に次ぐ高視聴率であり、民放に限れば第1位の視聴率である。
又、クイズ番組では初めて視聴率40%以上を記録した番組でもある。安定した高視聴率を獲得出来た背景には「お化け番組」と呼ばれる程の高視聴率を誇った『8時だョ!全員集合』の前座という時間帯といった背景が存在した。

スタジオの構成

司会者、解答者、出場者の3ブロック構成

司会者席

司会者席

司会者席の上には、解答者全員の成績が「本日のレース結果」として表示された。正解の際は当該箇所の赤いランプ(●印)が点灯。
5問目終了後のCM明けにこのボードで解答者の成績を確認していたが、その際巨泉は解答者の成績が良いと「今日はみなさん真っ赤ですねえ」、逆に悪いと「今日はどうしたんでしょうか、真っ黒ですよ」などとコメント。
解答者の成績が悪いながらも出場者の点数が高いと「今日の出場者は賭け方が上手いですねえ」、逆に解答者の成績が良いのに出場者の点数が低いと「今日の出場者はおかしいですねえ、皆こんなに真っ赤なのに?」などと言っていた。
司会者席にも解答をチェックするモニターが横に1列並んで設置されており(解答者席のものと同様に画面が青・赤バック表示のもの)、視聴者にも解答の模様を公開するための黒バックのモニター(「ただいま解答中!」)が上3つ・下2つに並んで設置されていた。
解答者席

解答者席

解答者席は競馬のスタートゲートに見立てたもの。
解答者の後方には解答モニターがあり通常時は青バック、正解の場合はそれが赤バックとなる。
解答者席の正面にはオッズが電光表示され、賭けられた解答者の席では、賭けたチーム名が書かれたポールが自動的に立った。正解すると電飾が点滅。
出場者席

出場者席

出場者は番組に応募して採用された一般視聴者だが放送日によって芸能人や各界の有名人が出演する場合も。
出場者席のテーブルにはパネル形式で、上にその問題の賭け点、下に現在の獲得点数がそれぞれ表示される。
解答者指名の際、手元にある解答者名が書かれたネームプレートをポールに差し込む。
番組開始当初は出場者が賭け点入力もしていたが、のちにスタッフに一任された。賭けた解答者が正解すると、出場者席のテーブルの電飾が点滅。
出場者席の上にはロート製薬の当時の主力製品(パンシロンG、キャシロン、新パンシロン、ロートAZ胃腸薬、パンシロン新胃腸薬、V・ロートクール、なみだロート、新V・ロート、新V・ロートプラス、ロートZi:、メンソレータムなど)の看板が掲げられていた。

「クイズダービー」エピソード

1問目に全額を賭けようとしたギャンブラー

1問目に全額を賭けようとしたギャンブラー

1986年、とんねるずがギャンブラーとして出場した時、番組史上初めて第1問でいきなり持ち点3,000点全部をはらたいらに賭けようとした。とんねるずははらの1問目の正答率の高さを見越してこの行動に出た。
しかし結局巨泉から「お前らふざけるんじゃないぞ、少しは番組のことを考えろ! 外れたらなくなっちゃうから止めなさい!!」と怒鳴られてしまい、得点の全部3,000点を賭けることはできなかった。
若山富三郎は出演した『妻たちの鹿鳴館』の告知も兼ねた関係で、1988年10月に共演の池内淳子と第661回のドラマ大会に出場した。若山は第1問目で、ゲスト解答者だったビートたけしに「たけし君にね、『3,000点』はダメか?」と持ち点全部を賭けようとした。
だがこれも司会の巨泉から「3,000点はまずいですよ、なくなっちゃうじゃないですか。早く帰ろうと思ってるなぁ!」と呆れながら止められてしまった。
なお、第1問で3,000点全部を賭けようとした出場者は、上記のとんねるずと若山の二組のみである。
最高獲得点数は819,000点(持ち点3,000点の2...

最高獲得点数は819,000点(持ち点3,000点の273倍!!)

レギュラー放送の最高獲得点数は第593回の819,000点。7問目終了時点で39,000点を持っていた古物商のチームが、最終問題で4倍のはらたいらではなく、敢えてゲスト解答者だった20倍の関根勤に全部賭けたところ、関根が正解したため(篠沢以外全員正解)、この得点となった。
過去に20万点越え、30万点越え、あるいは40万点越えを達成するチームは年に数回出現していた。例えば、土井たか子の2回目出場時、黄色のチームが最終問題でそれまで7戦全勝の土井に全額賭け、土井の正解により得点が40万点を超えた。
その他エピソード

その他エピソード

1978年末、水曜劇場『ムー一族』にて足袋屋うさぎやの従業員役の樹木希林と岸本加世子が視聴者チームとして参加し、『クイズダービー』自体が劇中劇として扱われた。
同じく、巨泉が司会を務める「世界まるごとHOWマッチ」のレギュラー、ビートたけし・石坂浩二・チャック・ウイルソンが、篠沢・はら・竹下とHOWマッチでクイズ対決をしたことがある。
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  • I.O 2019/11/26 22:16

    クイズダービーは76年1月から92年末迄の17年間に渡って放送された競馬方式のクイズ番組で、回答者が馬代わりとなって、賭ける側は3000点からスタートし、最終問題になると、回答者の倍率が2倍となり、賭ける側は「はらさんに全部、竹下さんに全部」といい、正解すると賞金全額が貰えるというまさに競馬感覚のクイズ番組となりました。司会は大橋巨泉さんで、巨泉さん勇退後はエンドロールにスーパーバイザーとして参加し(最終回で一夜限定司会)、2代目司会は徳光和夫さんが担当しました。

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