黒澤明 10年振りの日本映画 「影武者」
映画監督としての最円熟期の60代を数々の不運に見舞われ、映画製作が意のままにならなかった黒澤明。彼が十年ぶりに日本映画のメガフォンをとったのが「影武者」だった。
当時の日本映画の歴代映画興行成績(配給収入)1位を記録し、1983年に蔵原惟繕監督の『南極物語』に抜かれるまで破られなかった。
海外の著名監督も製作に尽力
外国版プロデューサーとして
フランシス・コッポラと ジョージ・ルーカスとが
加わっていた
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当初、予算難で制作が危ぶまれていたが、フランシス・フォード・コッポラ及びジョージ・ルーカスの助力で予算を確保し、完成させることができた。
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国際的評価も獲得
カンヌ国際映画祭でグランプリを受賞した戦国時代のスペクタクル巨編。
アメリカでも公開され独創的な様式美と壮麗な合戦絵巻が評判を呼んだ。
戦国武将「武田信玄」の死と、その「影武者」の物語
元亀四(1573)年、信玄(仲代達矢)が徳川家康の家臣の放った銃弾により負傷、やがて他界する。重臣たちは遺言に従ってその死を三年間隠すことに腐心、本人も長い間影武者を務めた弟・信廉(のぶかど=山崎努)が拾って来た盗人(仲代二役)を影武者に立てる。
不埒な盗人も信玄の死体がこっそり諏訪湖に沈められるのを見て自覚が出来、三年間の役目を全うしかけるが、荒馬から落下したのが運の尽き、正体を側室(倍賞美津子、桃井かおり)たちに知られて追放される。
雨の中を追放されるシーンが哀れを誘うが、ここから映画は忠臣よろしく武田軍勢を追いかける盗人の視点で描かれるクライマックスを迎える。
動かざる山・信玄を名実共に失って功を急ぐ実子・勝頼が拙速に動いて織田信長と家康の繰り出す鉄砲隊の前に惨敗する長篠の戦い、これなり。盗人も、人馬が死屍累々と横たわる中を敵兵に近づいて倒される。信玄に対する事実上の殉死である。
細部まで徹底的に、こだわり抜いた映像美
黒澤作品はこの『影武者』あたりから、映像の美しさを重視する傾向に変わった、と言われています。
~ 陰影による演出 ~
特に興味深かったのは主要人物が落とす「影」のえがき方だ。
盗人として登場した影武者役の男(仲代達矢)には初め、影がない。偶然かなと思ってみていたが、やはり意図的に照明の角度を調節して影が出来ないように演出しているかにみえる。特に冒頭の信玄との初対面シーンを見てほしい(写真)。明らかに盗人にはなく、信玄本人には黒々とした影が堂々と存在を示している。まったく影のうすい人間として登場する盗人に、いよいよ信玄魂が乗り移ってくると徐々に黒い影をおとしはじめ、中盤の側室シーンでは疑いが晴れた影武者に、光は伸び伸びとした信玄の足下から頭上にのび、とうとう城の天井を歩き始めたではないか。