≪売野雅勇氏インタビュー・後編≫1980~90年代の音楽を彩った作詞家に聞く!コピーライターから作詞家へ、歌い手との関係。そしてミドルエッジ世代へのメッセージ!
2019年3月15日 更新

≪売野雅勇氏インタビュー・後編≫1980~90年代の音楽を彩った作詞家に聞く!コピーライターから作詞家へ、歌い手との関係。そしてミドルエッジ世代へのメッセージ!

中森明菜やチェッカーズ、矢沢永吉、中谷美紀with坂本龍一など、80~90年代ヒット曲の作詞を数多く手掛けられた売野雅勇氏。そんな無数のヒット曲を生み出した売野氏にミド編が突撃インタビュー!後編では、コピーライターから作詞家への転身、作曲家や歌い手との関係。そしてミドルエッジ世代へのメッセージを頂戴することが出来た。

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作詞家・売野雅勇氏の世界観に触れた前編

売野雅勇氏(以下、売野氏)はインタビュー前編で、アニメ音楽の特徴として「プログレッシブなロック」「一部のへヴィメタル」の流れを汲んでいると語ってくださった。

そこで触れた「宗教的な表現」というキーワードは、売野氏の歌詞創作活動においても特徴となっているようで「どうも自分の歌詞は宗教観がないと面白くならない、どこかにないと。」と仰っている。

ミドルエッジ編集部(以下、ミド編)によるインタビュー後編では、そんなお話から近年の音楽シーン、そして人生観に至るまで、またも作詞家らしい含蓄に富んだ「言葉」をいただけることに。

売野雅勇氏の貴重なインタビュー≪前編≫はコチラからご確認ください

コピーライター時代とは違った「回路」を働かせた作詞家の仕事

<ミド編>

売野さんの「どうも自分の歌詞は宗教観がないと面白くならない、どこかにないと。」という言葉が非常に印象的なのですが、広告のコピーライターとして活躍されていた頃と作詞家として活動し始めた後、「言葉」に対しての向き合い方は変わってきた部分はあるでしょうか。

広告の世界に身を置かれていた時にも、ライティングに独自の世界観をお持ちだったのでしょうか?

<売野氏>

いやいや、コピーライター時代は全然ないですよ。というか広告の仕事においては邪魔ですね(笑)

<ミド編>

売野さんは「コピーライターから作詞家」と、異色といってもよい転身をなされたと思います。
作詞家への転身にあたってはライティングのセンスが高く評価され、お声掛けされたのだとお察しします。

どちらも言葉、表現を生み出す職業ですが、作詞の世界に入ってからすぐに売野さんの宗教観や世界観が確立されていったのでしょうか?

<売野氏>

いえいえ(笑)
そうですね、客観的にみて(作詞作業においては)自分の持っているものを全部使わないといけないから、その中で使っていたんでしょうね。

そうすると回路が働くようになって、宗教的な雰囲気がどんどん出てくるようになったのではないかと思います。
常に独自の視点からお話しされる売野雅勇(うりの まさお)氏

常に独自の視点からお話しされる売野雅勇(うりの まさお)氏

1951年2月22日生、コピーライターを経て1981年に作詞家としてデビュー。

自らフロントに出ることは考えなかった。「フロントマン症候群」を例に解説!

<ミド編>

かつて、特に80年代は毎日のようにテレビで歌番組を観ることが出来ました。
テレビを通して映るチェッカーズの藤井フミヤさんは色気もあり、憧れの存在でした。
子供ながらに彼の様にスポットライトを浴びながら歌ったら、どんなに気持ちいいだろうと思ったものです。

売野さんはスポットライトの当たるポジション、作詞の世界からフロントに出たいと思ったことはありますか?

<売野氏>

それはないですねぇ。
一度もなかったです、残念ながら・・・歌下手だし(笑)

自らスポットライトを浴びたいというタイプも居ますが、僕は違いました。

こんな話があります。
「ザ・ローリング・ストーンズ」(60年代から活躍するイギリスを代表するロックバンド)のミック・ジャガーとキース・リチャーズのエピソードです。

キース・リチャーズが言っているんですが、グループが不仲になってミック・ジャガーがソロで活動を行うようになっていった。(特に80年代当時、キース・リチャーズがミック・ジャガーに対して反感を持っていたのは有名な話)

しかし、ミック・ジャガーはソロ活動中に違和感を覚えたそうです。どうも他のメンバーでやると「ノリ」が違う。

そう感じるのは、それまで彼自身が「ザ・ローリング・ストーンズ」というグループをコントロールしている気がしていたことの表れなんです。
「フロントマン症候群」といって。「俺が居ないと!俺がグループだ!」と勘違いしてしまう。
本当は全員が居てグループなのに、間違って捉えてしまうんです。

先程の質問に戻りますが、「フロントマン症候群」のエピソードと同じで「詞」、「曲」、「歌い手」はどのポジションが偉い訳ではなく「創る人」が2人と「歌う人」が1人という一つの集合体なんですよね。
本当は皆等しいんです。

だけど、(フロントマン症候群になると)そうは思わなくなってしまう。
最終的に表現する人やメディアに映る人が偉いと思ってしまうんですね。

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最近の音楽には「誰もが自然と口ずさむ歌がないのかも」

<ミド編>

最近は趣味も多用化しているので、音楽においても大きなムーブメントが起こりにくいという気がします。
売野さんは近年の音楽シーンに対して、どのような印象を持たれていますか?

<売野氏>

例えばどういった歌が好きですか?(ここで売野氏から逆に質問が!)

<ミド編>

ええと・・・。(突然の逆質問にうろたえるっ)
世代的に・・・BOØWYですかね(ボウイ。言わずと知れた80年代のスーパー・ロックバンド)。

<売野氏>

「鏡の中のマリオネット♪」
これはすぐ歌えますよね。

例えば90年代だと小室哲哉さんの作った「愛しさと切なさと心強さと」なんかもすぐに口ずさめますよね。
(一同、頷き)
最近よく言われるのは「皆がうたってる歌がない」ということです。
売れてもすぐ消えてしまう。忘れられてしまう。

その曲を好きかどうかに関わらず、覚えてしまう。それが重要です。
昔のヒット曲にはそういう部分が多々ありましたね。

BOOWY(ボウイ)「MARIONETTE」

篠原涼子 with t.komuro - 恋しさと せつなさと 心強さと

働き盛りのミドルエッジ世代に向けたメッセージ

<ミド編>

「ミドルエッジ」は30代中盤から50代の読者が多く、ちょうど働き盛りの方々に読んでいただいております。
私共としてもそんな皆様の記憶をくすぐり、懐かしさを楽しんでいただけるサイトでありたいと心掛けております。

80~90年代に幼少期、青春期を過ごした多くの読者にとって、売野さんが作詞を手掛けた中森明菜やチェッカーズ、ラッツ&スターなどの名曲は今も耳に残る「思い出の曲」だと思います。

売野さんはそんな時代から現在までトップランナーとして走り続けてこられました。
作詞の世界に長く身を置かれたご自身の経験から、私たちミドルエッジ世代に向けてメッセージをいただけたら嬉しいです。

<売野氏>

そうですね、振り返ってみると、極められるものってそんなにないなと思いますね。
マルチにあれもやれる、これもやれるというのは結局のところ幻想かなと。

そもそも時間が限られているし、向き不向きもあるだろうし。
「石の上にも10年」じゃないけど、一つの事をやり続けないとならないんじゃないかなと思います。

そして「無限の可能性」というけれど、何か一つ極められるものを見つける方が大変です。

<ミド編>

色々な道をフラフラするよりも、一つの道を見つけて極めろということですね。

<売野氏>

そうです。
ここだと思った場所を懸命に掘り続けることが重要ではないでしょうか。

かくいう僕も、実はそういうことを考える人間ではなかった。
元々は色々とやりたいタイプでしたが、振り返ってみると結局一つしかやれなかったなと。
数多くやれるということはないなと思ったんです。

今回、僕の80~90年代の活動をまとめた本を書いていて本当に思いました。
若いころの自分ってこんなアクティブだったっけ?と(笑)

一つ極めたなと実感した体験が、1997年に「中谷美紀 with 坂本龍一」のシングル「砂の果実」を手掛けた時でした。あの作詞を担当して「これだ」と思ったんです。

自由に書けるということ。
それは好きなことを制約なく書くということではなくて、「自分が構想したものが文字になる。自由自在に書けるようになった。」という到達点に達したと感じました。

<ミド編>

シングル「砂の果実」が1997年の作品ということは、1981年から作詞家として活動を始めてから16年の月日が経っているわけですね。
「石の上にも16年」!・・・私たち世代にとってはこれまでの仕事の経験年数に近い年月です(笑)

<売野氏>

確かにそうですね(笑)
でも、極められるものを見つけるのに「直感」は頼りになると思いますよ。

それに食べていく為の「稼業」には苦しいことがあるんです。楽しいことばかりじゃない。
偉そうなことを言うつもりはないんですけど、そこをしっかり弁えないと何も出来ないのだと思います。

中谷美紀 with 坂本龍一 「砂の果実」

≪インタビュー後記≫

シングル「砂の果実」が売野氏にとっての一つの到達点だったとは驚いた。しかし、同時に納得もさせられた。

1997年当時、坂本龍一のピアノの伴奏に加えて中谷美紀の歌声に魅せられていた。
そして、「生まれて来なければ 本当はよかったのに・・・」といった哲学的な歌詞にドキッとさせられたことを思い出した。
あの幻想的な歌詞の世界観が楽曲をより引き立て、ある種色気を感じていたのだ。

それは売野さんの言葉を借りれば「詞」、「曲」、「歌い手」は一つの集合体だ。三位一体。
それを20年近く経って実感したということ。

一つのことを極めるがどれだけ大変なことか、淡々とさりげなく語られる売野さんを通して、そんなことを感じるインタビューだった。

これからも売野さんの活動に注目だ。

中谷美紀に詞を提供した楽曲「砂の果実」をタイトルに、売野氏が作詞家人生を綴った一冊

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