via ticketcamp.net
今も語られ続ける矢沢永吉の伝説
若い頃から奔放な言動でしられる矢沢永吉には、多くの伝説が存在している。
「お前らの一生かかって稼ぐ金。矢沢の“2秒”」発言
レコード会社で口論になった際に、スタッフから「歌手は人気商売だ。ずっと人気が続くと思うな」とけしかけられた。すると彼は「お前らが何ぼ良い高校行って、良い大学出て、何ぼ良い会社に就職して、家庭も何もかんも犠牲にして寝る間も惜しんでガムシャラに働いたところでお前らの一生掛かって稼ぐ金、矢沢の二秒!!」と言い放った。
「E.YAZAWA」は商標登録されている。
via fundo.jp
有名なタオルなど多くのグッズに使われているロゴマークの"E.YAZAWA"は商標登録されており(第1601017号ほか)®が表示されている。
「僕は別にいいから。ただYAZAWAが何ていうかな?」
昔、イベンターの手違いでツアーで泊まる部屋を手配間違いした時の話。
「矢沢さん、すみません。こちらの手違いでスウィート取ったはずが
ツインを間違って取ってしまってました。」とスタッフが伝えた。
すると矢沢は、「あぁ そうなの。いいよ部屋が無い訳じゃないんだから気にしないでよ。僕は別にいいから。ただYAZAWAが何ていうかな?」
そのジョークとも取れない圧力にイベンターは至急他のホテルの最上階スウィートを取ったという。
「矢沢さん、すみません。こちらの手違いでスウィート取ったはずが
ツインを間違って取ってしまってました。」とスタッフが伝えた。
すると矢沢は、「あぁ そうなの。いいよ部屋が無い訳じゃないんだから気にしないでよ。僕は別にいいから。ただYAZAWAが何ていうかな?」
そのジョークとも取れない圧力にイベンターは至急他のホテルの最上階スウィートを取ったという。
哀川翔との出会い
哀川翔がテレビ番組で矢沢永吉との強烈な初対面エピソードを明かした。
哀川が「一番怖い男」と表現する矢沢。出会いは酒場だったという。先に哀川が飲んでいたところに矢沢が登場。そこで哀川があいさつをしようとで握手を求めたところ、矢沢も握り返し、そのまま20分間無言のにらみ合いになったという。
「何だこれ?どういうこと?って思った」。20分ほど経過すると矢沢が手を離し「最高!」と言葉をかけてきたという。
その後、酒を酌み交わして意気投合。酔った哀川がカラオケで矢沢のキャロル時代の代表曲「ルイジアンナ」を熱唱すると、矢沢がタオル投げならぬ“おしぼり投げ”を披露したといい、あれはいい画だったね」としみじみと振り返っていた。
哀川が「一番怖い男」と表現する矢沢。出会いは酒場だったという。先に哀川が飲んでいたところに矢沢が登場。そこで哀川があいさつをしようとで握手を求めたところ、矢沢も握り返し、そのまま20分間無言のにらみ合いになったという。
「何だこれ?どういうこと?って思った」。20分ほど経過すると矢沢が手を離し「最高!」と言葉をかけてきたという。
その後、酒を酌み交わして意気投合。酔った哀川がカラオケで矢沢のキャロル時代の代表曲「ルイジアンナ」を熱唱すると、矢沢がタオル投げならぬ“おしぼり投げ”を披露したといい、あれはいい画だったね」としみじみと振り返っていた。
マルコポロリ 哀川翔vs矢沢永吉 - YouTube
via www.youtube.com
元側近が横領した34億円を返済
オーストラリアの土地取引を巡り、34億円という巨額の経済事件となった。1998年に事件が発覚して6年で完済したと報道されているが、「実際は15,6年かけて返済していた」と後に語っている。これはオーストラリア犯罪史上2番目の被害額である。
ドゥービー・ブラザーズに対しても強気
アメリカでのレコーディングを行い始めた頃について矢沢はこう語っている。
「あんたがたは、確かに世界のドゥービー・ブラザーズだけれど、日本へ行ったら俺は矢沢だから、頭に入れといてくれ」って。そしたらね、それから彼らはバチッと一つになりましたよ。それまでは、なんとなく「おお、分かった、やろうぜ、やるんならやろうよ」と始まって、「よ ろしくお願いしまーす」みたいな気分がこっちにもあったんだけれど。
でも「俺がボスだから」って言ったのを境に、矢沢と一つになったのを僕は覚えてます。
あとで飲んでいる席で聞いたのは、「はっきり言うけどね、矢沢みたいにピシッとものを言う日本人に会ったのは初めてだ」って。そのとき、すごく俺たち嬉しかったし、「頑張ろうね、一緒に」という気になれたんだよね。
「あんたがたは、確かに世界のドゥービー・ブラザーズだけれど、日本へ行ったら俺は矢沢だから、頭に入れといてくれ」って。そしたらね、それから彼らはバチッと一つになりましたよ。それまでは、なんとなく「おお、分かった、やろうぜ、やるんならやろうよ」と始まって、「よ ろしくお願いしまーす」みたいな気分がこっちにもあったんだけれど。
でも「俺がボスだから」って言ったのを境に、矢沢と一つになったのを僕は覚えてます。
あとで飲んでいる席で聞いたのは、「はっきり言うけどね、矢沢みたいにピシッとものを言う日本人に会ったのは初めてだ」って。そのとき、すごく俺たち嬉しかったし、「頑張ろうね、一緒に」という気になれたんだよね。
ディズニーに登場、ギャラは無償
2003年6月5日に開催されたディズニーシー・シンフォニーにサプライズ出演。
通常のディズニーシー・シンフォニー終了後に、メディテレーニアンハーバー中央に競り上がったステージに矢沢永吉が登場。「EIKICHI YAZAWA」のアナウンス後、「星に願いを」を歌った。
2003年6月20日に発売されたDVD/VTR「ピノキオ スペシャル・エディション」の主題歌「星に願いを」を矢沢永吉がカバーしたことに由来する。
なお、この出来事は一般キャストにも事前告知されておらず、完全なサプライズショーであった。
後日、ディズニーに対して矢沢は「出演料は受け取れないよ。だって、世界で誰もやったことがない、俺にしかできないことをやらせてくれたんでしょ?」と語ったと言われている。
通常のディズニーシー・シンフォニー終了後に、メディテレーニアンハーバー中央に競り上がったステージに矢沢永吉が登場。「EIKICHI YAZAWA」のアナウンス後、「星に願いを」を歌った。
2003年6月20日に発売されたDVD/VTR「ピノキオ スペシャル・エディション」の主題歌「星に願いを」を矢沢永吉がカバーしたことに由来する。
なお、この出来事は一般キャストにも事前告知されておらず、完全なサプライズショーであった。
後日、ディズニーに対して矢沢は「出演料は受け取れないよ。だって、世界で誰もやったことがない、俺にしかできないことをやらせてくれたんでしょ?」と語ったと言われている。
身長180cm、血液型B型。
高校卒業と同時に、トランクとギターとアルバイトで貯めた5万円を持って、広島から最終の夜行列車で上京。1972年、ジョニー大倉らとキャロルを結成。1975年にキャロル解散後ソロデビュー、日本を代表するロックミュージシャンとなる。