歴代の衆議院解散で付けられた名称、あれこれ①
2017年9月29日 更新

歴代の衆議院解散で付けられた名称、あれこれ①

昨日(2017年9月25日)、安部首相はかねてより噂が錯綜していたが、本当に国会招集日(2017年9月28日)の冒頭に衆議院を解散するという記者会見を行った。安部首相は今回の解散に伴い、「国難突破解散」と名称を付けたいとしていた。勿論、この名称が一般的に使用されるか否かは将来の人々の判断に任せるが、過去の議会解散においても当時の社会世相や状況の特徴をうまく例えた名称が存在する。そのような名称を纏めて見ました。

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解散時の「バンザイ!!、バンザイ!!」って何で言うの??

例年の解散風景

例年の解散風景

「日本国憲法第七条により、衆議院を解散する!」と議長から言い渡されると必ず、「バンザイ!!バンザイ!!」コールが起こるんだけど何で??
2012年年11月16日、民主党の大敗が予想された衆議院選挙前の解散でも、議員の先生達は毎度お馴染みの「バンザイ!!バンザイ!!」というこの言葉を言っていた。しかし、解散=衆議院議員失職だというのに、いったい何で「万歳!」などと悠長なことを言っていられるのか??。

結論から言うと、ただの慣習だそうだ。敢えて理屈を付けるのならば、「出陣式の万歳」といったことだそうで、これをやることで国会に戻れるジンクスなんだとか。また、ついに隠居生活に入っている大物政治家の、中曽根康弘元首相は「明治憲法下、(解散の詔書を包む)紫のふくさに象徴される天皇陛下に万歳というのが始まり」と講釈し、「クビになり(選挙という戦場に)万歳、突撃すると気持ち」と・・・・自己流の解釈をされているそうな!!(やれやれ)。

元々は「万歳、万歳、万々歳!!」だった!?

中国皇帝の即位式の再現画像

中国皇帝の即位式の再現画像

こんな大勢の人々が「万歳、万歳、万々歳!!」と言うのだから・・・
そもそも、「万歳、万歳、万々歳!!」とは中国の皇帝を称える言葉で”三呼”と言い、中国皇帝が即位式などで臣下が皇帝に対し三度唱えることになっていたが、明治時代になって日本に定着したとされるそうだ。
元々、中国ではこの”三呼”は皇帝にだけ使っていて、皇帝以外は「千歳、千歳、千々歳!!」と言ったそうだ。ちなみに、韓国時代劇で朝鮮王が即位する場面でこの「千歳、千歳、千々歳!!」が使われていました。日本語字幕では「万歳、万歳、万々歳!!」となっていたが・・・やはり中国に対する遠慮でしょうか??

歴代の衆議院解散で、いつ頃から名称が付けられたのか??

歴史的に見ると、大正時代の中盤以降に政治状況などを揶揄したり批判する風潮が当時の知識人や言論界の中に着々と成長していた。所謂、大正デモクラシーが台頭する時期であり、当然、議会の解散においても当時の世相を反映させた通名を付けるようになったのだ。

記録として残る一番古い物は、「懲罰解散」!!

清浦 奎吾

清浦 奎吾

清浦 奎吾(きようら けいご、1850年3月27日(嘉永3年2月14日) - 1942年(昭和17年)11月5日)は、日本の司法官僚、政治家。位階は正二位。勲等は大勲位。爵位は伯爵。
虎ノ門事件(1923年(大正12年)12月27日に、日本の東京市麹町区(現: 千代田区)虎ノ門外において皇太子・摂政宮裕仁親王(後の昭和天皇)が無政府主義者の難波大助により狙撃を受けた事件)の責任を取り山本権兵衛内閣が総辞職し、後継首相として枢密院議長清浦奎吾に大命降下(天皇が法的な規定にも臣下の意向にも制約されずにみずからの意志のみで任命権を行使すること)があった。 本来、衆議院の任期満了までの選挙管理内閣であった。清浦内閣は、1924年1月7日に成立するが、外務・陸海軍大臣を除く、全閣僚が貴族院議員であり、かつそのうちの半数がかつて清浦が代表であった会派・「研究会」所属という顔ぶれであった。にもかかわらず、清浦内閣が、その後も政権続投を行おうとしたため、清浦内閣は、「貴族院内閣」または、「特権内閣」の蔑称を受け政党、言論界、そして国民世論から遊離しているとして、清浦内閣打倒による憲政擁護運動(第二次憲政擁護運動、第二次護憲運動)の高揚を見ることとなる。
したがって清浦内閣は議会に対し、懲罰する意味で1924年(大正13年)1月31日に衆議院を解散した。

戦後の解散劇も覚えておいても決して無駄でない

当時の吉田茂首相の愚痴がマイクに入ってしまった==「バカヤロー解散」!!

1953年(昭和28年)2月28日の衆議院予算委員会で、吉田茂首相と社会党右派の西村栄一議員との質疑応答中、吉田が西村に対して「バカヤロー」と発言したことがきっかけとなって衆議院が解散されたため、こう呼ばれる。
「バカヤロー」と書くと大声を出したような印象を与えるが、吉田は席に着きつつ非常に小さな声で「ばかやろう」と呟いたのみで、それを偶然マイクが拾い、気づいた西村が聞き咎めたために騒ぎが大きくなったというのが実態である。
「バカヤロー解散」の遠因は、吉田内閣の通産大臣池田勇人にあり、池田が「中小企業の一部倒産もやむを得ない」「貧乏人は麦を食え」など、度重なる問題発言を繰り返し、野党から通産大臣不信任決議案を提出され可決。窮地に追い込まれた吉田が、衆議予算委員会における執拗な質問に該当発言を連発したものである。
吉田茂元首相

吉田茂元首相

吉田 茂(よしだ しげる、1878年(明治11年)9月22日 - 1967年(昭和42年)10月20日)は、日本の外交官、政治家。
外務大臣(第73・74・75・78・79代)、貴族院議員(勅選)、内閣総理大臣(第45・48・49・50・51代)、第一復員大臣(第2代)、第二復員大臣(第2代)、農林水産大臣(第5代)、衆議院議員(当選7回)。
西村栄一

西村栄一

西村 栄一(にしむら えいいち、旧字:西村榮一、1904年(明治37年)3月8日 - 1971年(昭和46年)4月27日)は、日本の政治家。衆議院議員(11期)、民社党委員長(第2代)、同党書記長。

与党と野党が話し合いで解散が決定==「話し合い解散」!!

1958年4月18日に岸信介首相と鈴木茂三郎日本社会党委員長による党首会談で、野党が内閣不信任決議案を上程した時点で衆議院を解散することで合意する。
4月25日に衆議院に内閣不信任決議が上程され、社会党議員の河上丈太郎が内閣不信任の趣旨説明を行った後で採決を経ずに衆議院解散となった。
1955年の社会党再統一と保守合同による55年体制後の初の総選挙となった。
岸信介元首相

岸信介元首相

岸 信介(きし のぶすけ、1896年〈明治29年〉11月13日 - 1987年〈昭和62年〉8月7日)は、日本の政治家、官僚。旧姓佐藤(さとう)。満州国総務庁次長、商工大臣(第24代)、衆議院議員(9期)、自由民主党幹事長(初代)、自由民主党総裁 (第3代) 、外務大臣(第86・87代)、内閣総理大臣臨時代理、内閣総理大臣(第56・57代)皇學館大学総長 (第2代) などを歴任し、「昭和の妖怪」と呼ばれた。

安部晋三首相の祖父にあたります。
鈴木茂三郎元日本社会党委員長

鈴木茂三郎元日本社会党委員長

鈴木 茂三郎(すずき もさぶろう、1893年2月7日 - 1970年5月7日)は、日本の政治家、第2代日本社会党委員長。ジャーナリスト、エッセイストとしても知られた。
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