川崎麻世のおいたち
母の離婚後は祖父が父親代わりで、父は事故で亡くなったと聞かされていました。
麻世の父親は松竹の映画俳優の安住 譲あずみ じょう)(本名:鈴木徳彦。)、
1994年11月13日にがんで他界しています。60歳で亡くなる半年ほど前に父と子は再会を果たしました。
川崎麻世がジャニーズ事務所からデビューするまで
当時12歳だった麻世は、横山プリンの司会で知られる、よみうりテレビ『プリン&キャッシーのテレビ!テレビ』内の視聴者が参加するコーナーに出演します。 通称・パクコンとよばれる、『パクパクコンテスト』です。西城秀樹の振りまねをして、みごとグランドチャンピオンになります。
『鶴光のテレビ!テレビ』にゲスト出演した、ジャニーズ事務所所属の歌手、豊川誕に「ジャニー喜多川に自分を紹介してほしい。」と頼んでいました。
ジャニーズ事務所の社長・ジャニー喜多川の目に留まり、スカウトされます。
1976年の夏休みに上京。親戚の家に居候しながら、練馬区の中学校に通います。
川崎麻世のレコードデビュー
川崎麻世はジャニーズに入る前の13歳の時に、不二家「ハートチョコレート」でCMデビューしています。
1978年には、TBS系列で放送された、榊原郁恵主演のドラマ『ナッキーはつむじ風』で、主人公が憧れる先輩「いとしのロビン・フッド様」役を演じ俳優としてもデビューしました。
川崎麻世は13歳から12年間ジャニーズにいた。
東京の原宿3丁目にあった、ジャニーズ事務所の合宿所には、川崎麻世と同時期に1年後輩である歌手の近藤真彦も入寮しました。マッチは麻世の部屋を横取りしたり、タメ口で話し穏やかな麻世が激怒したこともありました。
1978年4月1日発売、川崎麻世サードシングル『暗くなるまで待って』なわけだが…麻世は1963年3月1日生まれなので1か月前に15歳になって中学を卒業した直後だというのにすでにこの出来上がった感じは何。あれから37年、晩年が長過ぎる。http://t.co/NQRUgj7kon
— kmrt (@kmrtwit) February 3, 2015
川崎麻世、15歳
昭和のアイドルでした。
暗くなるまで待って 川崎麻世(1978) - YouTube
川崎麻世 レッツ・ゴー・ダンシング - YouTube
本家ギャレットも当時はパリバリのアイドルでした。しかし踊っていません。
歩いたり、足踏みをして腰を振っているだけです。
川崎麻世の「レッツ・ゴー・ダンシング 」の振付がすてきです。
サンデーズ卒業式2 - YouTube
5年間メンバーをつとめたグループ「サンデーズ」の卒業式です。
動画の4分から、川崎麻世がうつります、髪型がリーゼントですね。
1983年から劇団四季「キャッツ」などで舞台俳優として活躍します。渡米後国際的俳優に成長し、
1988年11月から1989年1月の間、ミュージカル「スターライト・エクスプレス」に、出演しました。
麻世の端正な顔立ちと日本人離れしたプロポーションから、「ハーフではないか?」と思われますが。
国籍は日本、純粋な日本人です。
川崎麻世の身長とサイズ
身長182cm 体重67kg. B98cm W82cm H92cm、股下87cm