寺尾常史(てらお つねふみ)
東京都墨田区生まれ。鹿児島県姶良市(旧:姶良郡加治木町)出身。
身長185cm、体重116kg。最高位は東関脇。
角界での愛称は「アビ」。井筒部屋に外国人の見学者がやってきた際、"a baby"と言ったところ、兄たちが「アビ」と聞き違え、そのまま愛称として定着した。
長兄は元十両鶴嶺山、次兄は元関脇逆鉾という力士一家に生まれた。井筒3兄弟と言われた。
父・鶴ヶ嶺は厳格な人間であり、その影響で小さいころから父に対しては敬語を使っていたという。
角界入りの裏に亡くなった母の愛情
しかし、1979年5月場所の千秋楽の日、癌で闘病中であった最愛の母を見舞った後長兄に突然「お前、学校やめて相撲取りになったらどうだ?」と声を掛けられた。
その後母の通夜の晩に父親に入門の意思を伝え、そのまま高校を中退して兄達を追うようにして角界入りする(寺尾は後年インタビューで「あのお兄ちゃんの言葉は、おふくろの置きみやげだったと思ってるんですよ。きっと俺の気持ちを判っていて、相撲取りにならせてくれたんだな、って。」と往時を振り返っている。)。
入門後は寺尾節男を名乗った。これは母(福薗節子)の旧姓・寺尾から取ったものである。
体重を増やすのにひと苦労した
初土俵の時に85kgしかなかった体重を100kgまで増やすために大変な努力をしたという。
横になると口から食べたものが出る程食べ、夜も食べ物が胃から腸に下りるまで壁に寄りかかり、横になれるのは明け方から数時間程度という生活を約5年続け、100kgの大台に乗ったのは1984年(昭和59年)9月場所のことである。
相撲の取り口と連続出場記録
若い頃は回転の速い上突っ張りといなしで勝負しており、その敏捷な動きから海外公演で「タイフーン」の通称がついたほどだった。また右を差すこともあり、下手投げは強かった。
晩年は突っ張りの後、父・兄が得意としていた両差しの相撲を取るようになった。
1997年3月場所で骨折し、初土俵以来続いた連続出場記録が1359で途切れるが、39歳まで現役を続け、鉄人と呼ばれた。
18歳の貴花田に敗れ、悔しがった寺尾
1991年3月場所、18歳の貴花田に敗れ、さがりを叩きつけるなど悔しさを露にした。
引退直後の会見で、「今まで一番悔しかった取組」としてこの一番を挙げた。それでも寺尾は引退後に「あの悔しさがあったから長く相撲が取れた」と語っている。
後の2010年に大相撲中継にゲスト出演した際に、この一番について「悔しい気持ちはわかるけど、あれ(下がりを叩きつける)はいけませんね(笑)。もし、弟子が同じようなことをしたら即刻注意しますね(苦笑)。」と語っていた。
貴花田 × 寺尾/ 1991.03
本人は「高3(18歳)には負けたくない」と取組に臨んだと後年語っている。
また、同じく角界のサラブレッドであり、兄弟力士として人気があったことも影響しているのかも知れない。
以降、対戦成績では大差をつけられるが、「1勝14敗でもいいから貴乃花に勝ちたいと思っていた」という寺尾。満身創痍の身体を熱く燃え続けさせたのは打倒・貴花田(貴乃花)であることは間違いないだろう。
1995年の3月場所に横綱・貴乃花から初の供給となる金星を獲得している。