2017年1月26日 更新

98年以降、長らく日本出身”最後の横綱”だった若乃花!実は横綱昇進の口上で引退を表明するつもりだった!

2017年1月25日、大関・稀勢の里が横綱昇進を決定させた。19年ぶりの日本出身力士の横綱誕生となったが、20世紀最後の日本出身横綱は若貴ブームで有名な若乃花だった。また、稀勢の里が2016年に年間最多勝を獲得するまで、日本出身力士としては若乃花が最後に受賞していた。

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本日(2017年1月25日)、大関・稀勢の里が横綱昇進を決定させたが、日本出身力士の横綱誕生は19年ぶりのことである。
その19年前に横綱に昇進した力士が本稿で取り上げる若乃花、その人である。

1998年には67勝を挙げ、年間最多勝を受賞した若乃花。これ以降、2016年に稀勢の里が69勝で年間最多勝を獲得するまで、日本出身力士の年間最多勝は18年間出ていなかった。
第66代 横綱 若乃花

第66代 横綱 若乃花

1988年3月場所初土俵を踏んだ若乃花(当時は若花田。本稿では若乃花で統一)。
角界のプリンスと呼ばれた元大関・貴ノ花を父に持ち、叔父には初代横綱・若乃花がいるという角界のサラブレッドとして、弟の貴乃花(当時は貴花田。本稿では貴乃花で統一)と共に「若貴ブーム」を巻き起こした。
「若貴ブーム」は90年代前半、相撲人気を高めた!

「若貴ブーム」は90年代前半、相撲人気を高めた!

左が貴乃花(貴花田)、右が若乃花(若花田)。
そのブームの過熱ぶりは、1989年11月場所から始まる”666日間連続で満員御礼”という記録を見てもよく分かる。90年代に入ると、ウルフと呼ばれた”小さな大横綱”千代の富士が引退し、曙や武蔵丸など外国人の大型力士が台頭してきており、まさに群雄割拠の時代の幕開けとなった。
その中でも実力、人気で注目を集めたのが若貴であった。

1989年11月場所に史上最年少で関取となった貴乃花には少し遅れたが、若乃花も翌1990年3月場所で新十両となっている。

本稿では、若乃花の横綱までの歩みと横綱昇進と同時に引退を表明しようとしていた仰天エピソードなどを交えてご紹介する。

父を親方と呼び、関取を目指し稽古に励んだ幕下時代

1988年の3月場所で初土俵を踏んだ若乃花は、後の横綱・曙、大関・魁皇らと同期入門だった。

父であり、師匠である藤島(後に二子山に改名)には、入門時に「今日限りお前たちとは親方と弟子になる。パパとママの呼び方は許さない。親方とおかみさんだ。わかったな」と言われ、若貴が親方と女将に存在を認めてもらうには、稽古を重ねて早期に関取になるしかなかったという。
元大関・貴ノ花の藤島親方(後の二子山親方)

元大関・貴ノ花の藤島親方(後の二子山親方)

若き日の若乃花、貴乃花

1990年9月場所に新入幕を果たし、1991年9月場所では、横綱・旭富士を右上手投げで破り初の金星を獲得。さらに1992年1月場所でも、前頭筆頭の地位で再び旭富士を右下手投げで下し、2個目の金星を獲得した。
180cmと力士としては小柄な体格ながら、強靭で粘り強い足腰を生かして多彩な技を繰り出し、後に技能派の名人力士とされる若乃花の片鱗を垣間見せた。

1991年11月場所で、自身初の三役となる新小結に昇進したが、その後は小結と前頭の地位を上下する足踏み状態が続いていた。しかし、2度目の再小結だった1993年3月場所に、初日から7連勝と波に乗り、8日目に当時関脇だった武蔵丸戦で初黒星を喫したが、以降も順調に勝ち星を重ね、14勝1敗の成績で自身初の幕内最高優勝を達成した。
「花田三代」

「花田三代」

日本スポーツ出版社。
「花田三代」四力士/若乃花、貴ノ花、若花田、貴花田。
1993年5月場所直前に四股名を若花田から若ノ花に改名。
しかし、その頃は幕内上位で3場所合計34勝11敗の成績を残すなど一定の活躍をするが、大関昇進が見送られるなどやや停滞気味だった。

それでも、翌1993年7月場所は最後まで優勝を争い、13勝2敗の成績を挙げ、横綱・曙、大関・貴乃花と共に3名で優勝決定巴戦に出場。惜しくも巴戦初戦で曙に敗れ優勝は逃したものの、三役の地位で3場所合計37勝8敗の好成績により、同年7月場所後文句無しで大関に昇進を果たした。

力士生命を脅かす怪我に見舞われた大関時代

大関昇進後は、1994年3月場所で左足首を怪我し、2場所連続で休場、同年11月場所では右腰を痛めるなど本来のパフォーマンスを発揮できずにいた。しかし、若ノ花から若乃花と改名したことも影響してか、1995年11月場所には、12勝3敗で貴乃花との優勝決定戦を制して2回目の優勝を飾った。
翌場所は綱取りの場所であったが、インフルエンザや肝機能障害があり、初日から3連敗し、4日目から途中休場した。

その後、3度目の優勝を達成するが、翌場所に右大腿二頭筋を断裂するなど、綱取りどころか力士としての致命的な怪我を負った為、引退もささやかれ始めてしまう。
大関時代

大関時代

そうした中で迎えた1998年3月場所は、初日から完璧な相撲を取り12連勝。最終的に14勝1敗で4回目の優勝を果たすなど存在感を示した。翌5月場所が3度目の綱取りとなったが、4日目、6日目と序盤で2敗し、さらに11日目には魁皇にも負けてしまう。それでも他上位陣総崩れの幸運もあって自身最後まで優勝を争い、千秋楽には武蔵丸を破り大関の地位で2場所連続優勝を果たし、5月場所後についに横綱昇進を決めた。

ただ、5月場所は12勝3敗という低いレベルでの優勝で、日本相撲協会からは「もう一場所見るべきではないか」という声もあった。しかし、横綱審議委員会では反対論は全く出ずに、史上初の「兄弟横綱」が誕生した。

ちなみに大関29場所目での横綱昇進は、当時琴櫻に次ぐ史上2位のスロー昇進だった。
若乃花の横綱昇進を伝える新聞記事

若乃花の横綱昇進を伝える新聞記事

史上初の「兄弟横綱」が誕生!二子山部屋で記者会見を受ける二人

史上初の「兄弟横綱」が誕生!二子山部屋で記者会見を受ける二人

「不知火型」のジンクス通りになった!?横綱時代

横綱土俵入りでは、後継者が少ない「不知火型」を敢えて選択する。この「不知火型」には”短命横綱”で終わってしまうというジンクスがあり、若乃花においてはこのジンクスが的中してしまうこととなった。

横綱昇進後の1998年9月場所と1999年1月場所は最後まで優勝を争ったが、以降は怪我の為、途中休場を繰り返し、全休も経験した。
1999年9月場所では、左足の肉離れを起こしながらも土俵に立つが、負けが続き、当時の時津風理事長(元大関・豊山)らを初め周囲からの「休場勧告」を受けてしまう。しかし、本人はそれを無視して強行出場した。だが、やはり取組で結果は出ずに、7勝8敗で負け越してしまう。
横綱の皆勤負け越しは、15日制が定着してからは、大乃国以来の10年ぶり史上2人目の不名誉な記録となった。
横綱時代

横綱時代

この事態を重く受けた周囲からは、引退を勧告する声もあったが、千秋楽後に時津風理事長との話し合いの末、若乃花本人が現役続行を志願。翌場所から2場所連続全休して再起を図った。

そして、翌2000年、まだケガが完治せず稽古不十分なまま「ゲンの良い」同年3月場所への出場を志願。「もう一場所待て」という親方の説得を振り切り、自ら進退を掛けて強行出場した。
だが、そうした気概と取組の結果が伴わず、5日目の栃東戦で敗れて2勝3敗。この栃東との相撲を最後に、現役引退を発表した。
記者会見では引退の理由を「体力を補う気力が限界に達しました」とコメント。当時の若乃花はまだ29歳2か月の若さで、横綱在位は11場所だが、その内皆勤したのはわずか5場所であった。
3敗目を喫し、花道を引き上げる若乃花

3敗目を喫し、花道を引き上げる若乃花

【引退に関する若乃花コメント】
「体力を補う気力が限界に達しましたので、本日をもって引退させていただきます。私を支えてくださったみなさんに感謝とお礼を申し上げます。マスコミのみなさんにはお世話になりました。ありがとうございます。」
最後の対戦相手だった関脇(当時。その後大関)の栃東は、奇しくも明大中野高校の後輩でもあり、若乃花は高校の後輩として面倒を見ていた栃東ならば、最後の対戦相手として不足はない、と考えていたという。
翌日の対戦相手が栃東と決定した際、女将(当時)で実母の憲子が電話で「明日栃東でしょう。良かったわね」と話すと、若乃花も「そう。よかったよ、ダイスケで」と喜び、この電話で二人は「栃東戦が最後の一番」と、通じ合っていたという。
若乃花の最後の対戦相手となった栃東

若乃花の最後の対戦相手となった栃東

”横綱昇進”と同時に”引退”を考えていた若乃花

若乃花はもともと角界には入るつもりはなかった。ただ、両親から「弟を守る壁になれ」と迫られ、横綱になったら引退して好きなことをさせてもらう約束で入門した。

その為、1998年に横綱昇進が決まった際、入門時の約束通りに引退すべく、伝達式の口上で決まり文句「謹んでお受けします」ではなく、「謹んでお断りしてよろしいでしょうか」と言うつもりだったが、ここでまたも両親に反対され、仕方なしに横綱になったという。

結局、伝達式の口上では「『堅忍不抜』の精神で精進していく」と述べている。
横綱・若乃花

横綱・若乃花

引退後の2001年にアメフトのNFLに挑戦した若乃花。意外過ぎる挑戦に思えたが、本人としては実は相撲よりアメフトの方がしっくりきていたのかも知れない。

若乃花は、日本の社会人アメフトリーグ「Xリーグ」のオンワードスカイラークスにラインバッカーとして入部し、キッキングチームなどで計3試合に数プレー出場している。

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