「V2」(小室哲哉&YOSHIKI)
当時は衝撃的だった二人の合体!
当時、大いに話題となったTMN・小室哲哉とX・YOSHIKIの合体。
ボーカルどっちがやるの?なんて話題でも大いに盛り上がっていました。
ボーカルどっちがやるの?なんて話題でも大いに盛り上がっていました。
「V2」ボーカルは小室哲哉でした!!
ジャンルはハードロック、プログレッシブ・ロック。
小室哲哉がボーカル・シンセサイザー・ピアノ、YOSHIKIがドラムス・ピアノ担当でした。
小室哲哉がボーカル・シンセサイザー・ピアノ、YOSHIKIがドラムス・ピアノ担当でした。
「V2」としてはシングル1枚、ライブビデオ1本という活動実績でした
唯一のシングル「背徳の瞳〜Eyes of Venus〜」
そもそもシングル1枚リリースするという前提で2人は合意していました
【シングル】
「背徳の瞳〜Eyes of Venus〜」(1992年1月18日発売 ESDB-3266) 8cmCD
唯一リリースされたシングルで、オリコンチャート初登場2位を記録し、47.7万枚を売り上げる。ジャケットにはV2ロケットが描かれている。
背徳の瞳〜Eyes of Venus〜
Virginity
【ライブビデオ】
『SPECIAL LIVE 1991.12.5 VIRGINITY』(1992年3月 ESVU-355) VHSビデオ
当時としては破格の42.6万本を売り上げる。収録曲は以下の通り。
OVERTURE
背徳の瞳〜Eyes of Venus〜 (Piano Duo)
Es Durのピアノ線
SPACE WORLD
YOSHIKI Drums Solo
永遠と名づけてデイドリーム
背徳の瞳〜Eyes of Venus〜
Virginity
「背徳の瞳〜Eyes of Venus〜」(1992年1月18日発売 ESDB-3266) 8cmCD
唯一リリースされたシングルで、オリコンチャート初登場2位を記録し、47.7万枚を売り上げる。ジャケットにはV2ロケットが描かれている。
背徳の瞳〜Eyes of Venus〜
Virginity
【ライブビデオ】
『SPECIAL LIVE 1991.12.5 VIRGINITY』(1992年3月 ESVU-355) VHSビデオ
当時としては破格の42.6万本を売り上げる。収録曲は以下の通り。
OVERTURE
背徳の瞳〜Eyes of Venus〜 (Piano Duo)
Es Durのピアノ線
SPACE WORLD
YOSHIKI Drums Solo
永遠と名づけてデイドリーム
背徳の瞳〜Eyes of Venus〜
Virginity
via up.gc-img.net
【V2 SPECIAL LIVE "VIRGINITY"】1991年12月5日、東京ベイNKホールにて1度きりのライブを行う
YOSHIKI &小室哲哉 『背徳の瞳』 ライブ V2 - YouTube
YOSHIKI と小室哲哉のユニットV2による曲です。 1991/12/24
via www.youtube.com
1991年12月5日、東京ベイNKホールにて1度きりのライブを行った。
元々は、小室がモーツァルト没後200年を記念して自身のソロライブとしてフジテレビ事業部主催で企画していたものを、小室自身による交渉によりV2としてのライブに変更した。
市川哲史による調査によると、2時間に渡るライブで披露されたのは、シングルに収録された上記2曲と、ピアノ連弾バージョンの「背徳の瞳〜Eyes of Venus〜」、YOSHIKIのドラムと小室のシンセによる即興曲「Space World」、YOSHIKIによるドラムソロとピアノソロ3曲(「ENDLESS RAIN」・「Es Durのピアノ線」・「レクイエム」)、小室によるソロ・アルバム『マドモアゼル・モーツァルト』収録の6曲。
ステージ右側に小室のシンセを載せたリフト、左側にYOSHIKIのドラムセットを載せたリフトが配置され、ステージ奥には生オーケストラ。YOSHIKIのドラムソロでは、スタッフがリフトを上げたまま長い時間降ろさなかったため、Xのコンサートで披露されるものより長いドラムソロとなった。ライブの様子はビデオ『SPECIAL LIVE 1991.12.5 VIRGINITY』に収録されている。
このライブ、観に行った人は貴重な体験となったことでしょうね^^
90年代「小室ブーム」のきっかけとなった小室哲哉の「V2」プロデュース
「V2」の活動でプロデュース業に目覚めた小室哲哉
小室哲哉はV2プロジェクト実現のための舞台裏作業を一手に引き受けました
小室哲哉は、このV2プロジェクト実現のための舞台裏作業を一手に引き受けたが、そのことが彼にプロデュース業の面白さを教えることとなり、後の小室ブームを生み出すきっかけとなった。
小室とYOSHIKIの関係はその後も続き、2002年にはYOSHIKIが小室のユニットであるglobeに加入した(2005年よりYOSHIKIを加えた活動時はglobe extremeを名乗る)。
V2としての活動はその後一切行われていないが、2007年12月16日に小室哲哉が自身のMyspaceのブログで「possibilityとしては0%か100%だけどYOSHIKIと先日TELでV2を必ずやろうと盛り上がりました」と書いている。
「背徳の瞳〜Eyes of Venus〜」は小室哲哉が2011年にリリースしたコンピレーション・アルバム『TK BEST SELECTION IN EPIC DAYS』にリマスターされた音源が収録されているほか、小室哲哉の2012年のリミックス・アルバム『Digitalian is remixing』にピアノ・ソロ・バージョンが収録されている。
2015年2月25日放送の「スカパー! 音楽祭」(BSスカパー)では、小室哲哉のソロで「背徳の瞳~Eyes of Venus~」を披露した。ピアノは武部聡志が担当。小室はショルダーキーボードの演奏に加え、久々となるボーカルも披露した。
小室とYOSHIKIの関係はその後も続き、2002年にはYOSHIKIが小室のユニットであるglobeに加入した(2005年よりYOSHIKIを加えた活動時はglobe extremeを名乗る)。
V2としての活動はその後一切行われていないが、2007年12月16日に小室哲哉が自身のMyspaceのブログで「possibilityとしては0%か100%だけどYOSHIKIと先日TELでV2を必ずやろうと盛り上がりました」と書いている。
「背徳の瞳〜Eyes of Venus〜」は小室哲哉が2011年にリリースしたコンピレーション・アルバム『TK BEST SELECTION IN EPIC DAYS』にリマスターされた音源が収録されているほか、小室哲哉の2012年のリミックス・アルバム『Digitalian is remixing』にピアノ・ソロ・バージョンが収録されている。
2015年2月25日放送の「スカパー! 音楽祭」(BSスカパー)では、小室哲哉のソロで「背徳の瞳~Eyes of Venus~」を披露した。ピアノは武部聡志が担当。小室はショルダーキーボードの演奏に加え、久々となるボーカルも披露した。
2015年10月28日、小室哲哉が自身のInstagramで「小室哲哉&YOSHIKI」のV2ショットを公開
小室哲哉のInstagramより「V2」ショット!
ミュージシャンの小室哲哉が28日、X JAPAN のYOSHIKIとのツーショットを自身のInstagramで公開。伝説の音楽ユニット・V2の二人が再会したとあって、ファンからは「永久保存です V2」「V2、再会記念。2015!」と感激の声が寄せられている。
この日、「蔵出しだね。」というコメントと共に同写真を投稿した小室。YOSHIKIが9月23日に「#Mステ で久しぶりに再会!!」と自身のTwitterで報告したときに掲載したツーショットと同じ衣装であることから、小室の写真もその際に撮影されたものと思われる。
引用:msnニュース
この日、「蔵出しだね。」というコメントと共に同写真を投稿した小室。YOSHIKIが9月23日に「#Mステ で久しぶりに再会!!」と自身のTwitterで報告したときに掲載したツーショットと同じ衣装であることから、小室の写真もその際に撮影されたものと思われる。
引用:msnニュース
小室ブーム最盛期、小室哲哉がMCを務めた「TK MUSIC CLAMP」
小室哲哉が初代MC(2代目:中居正広、3代目:華原朋美)を務めた「TK MUSIC CLAMP」には深夜番組にも関わらず大物ゲストが続々出演していましたね! - Middle Edge(ミドルエッジ)
90年代、日本の音楽シーンは小室哲哉によって席巻されたといっても過言ではない時期がありました。そんな1995~98年に、小室哲哉がMCを務める形で始まった「TK MUSIC CLAMP」は深夜帯にも関わらず続々と大物アーティストが出演し、それは当時の小室哲哉の影響力を物語るようでした。
当時、Xはソニーレコード、TMNはEPICソニーと、別々のレコードレーベル所属で、YOSHIKIと小室がそれぞれ自らのレーベルの社長へ直談判し、日本の音楽シーン史上おそらく初めてのレーベルの垣根を越えた音楽ユニット結成を実現させた(ただし当時は両レーベルともソニー・ミュージックエンタテインメント内の一部門であり、法人格としては同じ会社に所属していたため、ユニット結成への障害は比較的少なかった)。
THE ALFEEの高見沢俊彦も参加する予定があったが、高見沢が当時所属していたレコード会社はポニーキャニオンであったため、実現しなかった。
ユニット名は第二次世界大戦中にドイツが開発したV2ロケットから取られている。