2020年1月21日 更新
日本を代表する俳優「エースのジョー」こと宍戸錠!!
昭和を代表する俳優であり、ドラマ・映画だけでなく時にはバラエティでも活躍する大物「宍戸錠」。この記事では、彼の様々なエピソードを交えて半生を振り返ってみたいと思います。
【訃報】宍戸錠さん死去
「エースのジョー」の愛称で知られる俳優の宍戸錠さんが、都内の自宅で倒れ亡くなりました。86歳。本稿では、日活ニューフェイスとしての活躍や役作りの為にシリコン手術したことなど、半生に触れます。
日本を代表する俳優「エースのジョー」こと宍戸錠!!
昭和を代表する俳優であり、ドラマ・映画だけでなく時にはバラエティでも活躍する大物「宍戸錠」。この記事では、彼の様々なエピソードを交えて半生を振り返ってみたいと思います。
日活ニューフェイスとしてデビュー!
宍戸錠は1933年、大阪府生まれ。裕福な家庭に育ち、5歳のときに東京へ移住したのですが、東京大空襲により宮城県へ疎開し、高校卒業まで宮城で育ちました。宍戸の母親はかなりの映画好きであり、宍戸もその影響を受け俳優の道を志します。高校卒業後に大学へ進学した宍戸ですが、1954年に日活ニューフェイス(一期生)に合格したのを機に大学を中退、本格的に俳優への道を歩むこととなります。
ライバルに対抗!?真っ先に行った「シリコン手術」!!
1955年に日活映画「警察日記」で銀幕デビューを飾った宍戸錠。翌1956年に、彼のトレードマークとも言える「頬のシリコン」の手術を受けました。当初は二枚目俳優として売り出された宍戸ですが、石原裕次郎、小林旭といったライバルとの差別化を図るため、“悪役顔”を目指し手術を受けたそうです。後年、本人は「(この手術は)失敗だった」と語るものの、“アクの強いキャラクター”になることに成功した彼は、日活で頭角を現していくこととなります。
「エースのジョー」として日活で頭角を現す!
1959年から公開され、大ヒットを記録していた小林旭の「渡り鳥」シリーズ。悪役顔を手に入れた宍戸錠は、「ギターを持った渡り鳥」の主人公・滝伸次の好敵手である「殺し屋ジョージ」に抜擢されました。以降、「ハジキの政吉」「ラオスの虎」といった役名でライバル役を熱演していきます。
そして「拳銃無頼帖」シリーズのリメイクとして1964年に公開された「抜き射ちの竜 拳銃の歌」にて、「コルトのジョー」を襲名。“エースのジョー”として、日活になくてはならない存在へと駆け上がっていったのです。ちなみに“エース”というのは、宍戸がカードゲーム好きだったのが由来だとか。
テレビドラマやバラエティにも進出!
「拳銃無頼帖」シリーズに続き、「稼業」シリーズ、「探偵事務所23」シリーズ、そして「ハレンチ学園」シリーズなどで好演を続けた宍戸錠ですが、活躍の場は映画だけに留まりませんでした。
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