変形学生服の歴史
1960年代~中高生は学生服を変形し始めたようです。
1960年代には「ラッパズボン」と呼ばれる裾が大きく広がったズボンや、「マンボズボン」、「スカマン」と呼ばれる逆に裾を細く絞り込んだズボンが一部不良の間で着用されていました。
「学ラン長ラン大混ラン」by金八先生
生徒の側もまた、自らが不良であることを誇示するように変形学生服を着るようになったのです。
1980年代後半より急速にブーム終焉に
・ブレザー型への制服のモデルチェンジ
・不良文化の衰退、流行の変遷
・中高生のファッション観や嗜好の変化
といった理由による変形学生服の種類の減少や、変形学生服を取り扱う販売店の減少などの理由により、変形学生服を着用する学生も減少して標準型を着用する学生が大多数となったとされています。
主なメーカーやブランドについて
変形学生服の主なメーカー・ブランドを当時のカタログなどで振り返る。 - Middle Edge(ミドルエッジ)
学生服着こなしの文化と流行
戦前のバンカラから戦後のラッパズボン・マンボズボン・スカマン
これは当時のエリート階級だった高校生が「人間の価値は外見ではなく中身である」という主張をするために行ったデモンストレーションの一種とされました。
また、そもそも昭和30年代以前の学生服に既製品は少なく、基本的に全てオーダーメイドだったために個人の好みによって標準の学生服のデザインにある程度の個性的なデザインを追加することも行われていたようでした。
遡ること戦前、こういったファッション傾向は職業軍人たちの間にも見られ、大正から昭和初期の青年将校文化華やかりし時代には、軍規に抵触しない範囲内で服地の色調や品質、ディテールやシルエットの優美さなどを競い合っていたといわれています。