プロレス総選挙2017  マツド・デラックス的プロレス総選挙!その3 覆面レスラー編
2017年5月14日 更新

プロレス総選挙2017 マツド・デラックス的プロレス総選挙!その3 覆面レスラー編

WBCの延長で放送時間がゴールデンから一気に深夜番組となってしまった「プロレス総選挙2017」!!結果を2回に渡ってお知らせしたけど、もうそれはいいわよね!マツド・デラックス的にあたしの独断でそれぞれの部門のベスト10を作ってみたわ!これはひとそれぞれ好きな人が違うから皆にも投稿してもらいたいわよ!今回は、前回の「日本人ヘビー級レスラー」「外国人ヘビー級レスラー」に続く「覆面レスラー」よ!!

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プロレス総選挙2017の順位結果を発表のおさらいは「日本人ヘビー級レスラー」「外国人ヘビー級レスラー」編で確認を!

前回のまでの「プロレス総選挙2017」の結果、「日本人ヘビー級レスラー」「外国人レスラー」はいかがだったかしら?そこで今回は「覆面レスラー」をピックアップして「マツド・デラックス」的にベスト10を作っていきたいと思うわ!この部門も絶対に忘れてはいけないわよね!でもなんせ「正体不明」のひとたちだからどうなるかしら?そしてどうしても自分の好みに偏ってしまうしわよね。好きなレスラーに順位をつけるなんてと言うかも知れないけどあえてここでも10人選ばせてもらうわね!

第10位 ドス・カラス

ドス・カラス

ドス・カラス

「飛鳥仮面」
via imgur.com
ご存じ「ミル・マスカラス」の弟(実弟)の「ドス・カラス」よ。優秀な兄のおかげで日本のファンには能力が低い弟のイメージが強いのかもしれないけど、名前も影響してるのかしら?「マス・カラス=千の顔」に対し「ドス・カラス=2つの顔」だからかしら?でもメキシコ本国では、「エル・カネック」を破って「ナショナルヘビー級」のチャンピオンにもなっている実力者なのよ!チャンスがあったらもう一度当時の戦いをチェックして欲しいわ!

ドス・カラスのキャリア(Wikipediaより抜粋)

1970年1月にデビュー。リングネームを付けるにあたってプロモーターからいくつかの名前のリストを提示されたところ、人間の二面性(喜びと怒り)を自身のキャラクターに表現すべく、「2つの顔」を意味するドス・カラスを選んだ。1971年夏、兄マスカラスが2回目の日本遠征から帰国した際、日本の専門誌『月刊ゴング』が企画したマスカラスのマスクデザイン・コンクールに寄せられた読者のハガキの束をドス・カラスに渡し、その中から気に入ったものを選ぶよう助言。ドス・カラスはそこから双頭の鷲がデザインされた覆面を選び出し、以降自身のマスクとした。彼はそのハガキを、現在でも大切に保管しているという。1970年代前半は、マスカラスのアメリカでの主戦場でもあったテキサス州サンアントニオに遠征し、ホセ・ロザリオとのタッグで活動。1975年からは、EMLLを脱退したフランシスコ・フローレスが旗揚げしたLLIに参戦。以降メキシコでの主戦場をLLIに移し、1978年6月20日、カネックを破りナショナル・ライトヘビー級王座を獲得した。同年8月、全日本プロレスに初来日。8月24日の田園コロシアム大会において、兄マスカラスとのマスカラス・ブラザーズでジャイアント馬場&ジャンボ鶴田のインターナショナル・タッグ王座に挑戦、好勝負を残した。翌1979年3月は単独で再来日して『第7回チャンピオン・カーニバル』に出場。同年の末にはマスカラス・ブラザーズとして『'79世界最強タッグ決定リーグ戦』に参戦、ザ・ファンクスやアブドーラ・ザ・ブッチャー&ザ・シークと熱戦を展開した。1980年2月の来日時は、大先輩ドクトル・ワグナーとの「UWAメキシコ・ライトヘビー級選手権」と銘打たれた架空のタイトルマッチが実現、技巧戦の末に勝利を収めた。同年8月の来日時にはマスカラスと組んでPWF杯争奪タッグトーナメントの第1回大会に出場し優勝を果たした。翌1981年8月に行われた第2回大会にもマスカラス・ブラザーズとして出場、決勝でリッキー・スティムボート&チャボ・ゲレロを下して2連覇を遂げた。1983年2月25日には愛知県体育館にて、当時大仁田厚が保持していたNWAインターナショナル・ジュニアヘビー級王座に挑戦。同年11月開幕の『'83世界最強タッグ決定リーグ戦』にもマスカラスとの兄弟タッグチームで参加し、スタン・ハンセン&ブルーザー・ブロディのミラクルパワーコンビやタイガー・ジェット・シン&上田馬之助の凶悪コンビとも対戦、これが昭和期の全日本プロレスへの最後の来日となった。1984年2月26日、エンリケ・ベラからUWA世界ヘビー級王座を奪取。1985年1月20日にはUWAの総本山エル・トレオにてスタン・ハンセンとシングルマッチで対戦、同年より新日本プロレスへ転出し、11月開幕の『IWGPタッグ・リーグ戦』にカネックとのコンビで参加。藤波辰巳とのシングルマッチも実現したが、1勝4敗2分けで参加8チーム中6位の戦績で終わった。翌1986年5月の再来日ではザ・コブラとの試合で左腕を負傷、途中帰国を余儀なくされている。1986年はEMLLのリングにも登場し、1月28日にビジャノ3号&ビジャノ5号と組んでロス・ブラソスからナショナル・トリオ王座を奪取。同年12月30日にはカネックを破りUWA世界ヘビー級王座を再び獲得している。1989年にはWWAの世界ヘビー級王者にも認定された。1990年代に入り、日本へはW★ING、ユニバーサル・プロレスリング、WARなどインディー系の団体に参戦。1995年7月にはみちのくプロレスに来日、『第1回ふく面ワールドリーグ戦』でザ・グレート・サスケを破り優勝した。1992年2月2日、カネックからUWA世界ヘビー級王座を奪取して同タイトルへの3度目の戴冠を果たすも、AAAの出現などでLLIは崩壊寸前となり、1994年10月よりCMLLに移籍。1996年3月22日にはCMLL世界トリオ王座を獲得した。しかし、1997年6月にAAAから選手を借り受けて単独興行を主催したことによりCMLLを解雇され、以降は準レギュラーのポジションでAAAに出場。2000年9月にデビューしたドス・カラス・ジュニアとも親子タッグを結成した。2002年7月、全日本プロレスへの約19年ぶりの来日が実現。かつての全日本マットで「夏の風物詩」と謳われたマスカラス・ブラザーズを再結成し、武藤敬司ともタッグを組んだ。セミリタイア後の2010年5月8日には、WWEのメキシコシティでの興行にスペシャルゲストとして登場、チャボ・ゲレロ・ジュニアを相手に凱旋試合を行うドス・カラス・ジュニアをリング上から紹介した。

第9位 ザ・コブラ

ザ・コブラ

ザ・コブラ

「謎のアストロノーツ」
via imgur.com
本当にこのレスラーには「哀愁」が漂うわ。会社の都合や、デビュー戦の「凡戦」がなければ「タイガーマスク(初代)」のようにスーパースターになれたかも知れなかったと思うの。元々、役者にスカウトされていたりした位の人物だったらしので(アステカイザーに出演)運命とは本当に微妙な事で変わるのよね。でも、時折見せたパフォーマンスはやはり「大器」の片鱗はあったと思うわ!

ザ・コブラのキャリア(Wikipediaより抜粋)

ザ・コブラ(The Cobra)は、カナダ・カルガリーマットでデビュー。ニックネームは「謎のアストロノーツ」、入場曲はエイジア「THE HEAT GOES ON」。当初、『ワールドプロレスリング』で日本デビュー前から正体不明の謎のマスクマンとして紹介され、帰国時には成田空港でマスク姿のザ・コブラに突撃インタビューをする等、団体の期待は高かった。しかし、一部マスコミがザ・コブラ誕生の経緯を報じており、少なからず正体は知られていた。日本デビューは、1983年11月3日に蔵前国技館で行われたザ・バンピート戦で、空位となっていたNWA世界ジュニアヘビー級王座が掛けられた。コブラは白いタキシードを身につけ、白煙の中をタイガーマスクやミル・マスカラスなどの有名覆面レスラーのマスクを被った若手選手が担ぐ神輿に乗って入場し、コーナーのトップからバック宙返りでリングインした。ちなみに、青年時代カルガリーでコブラの空中殺法を観て憧れてプロレスラーになったオーエン・ハートが、来日時にこのバック宙リングインを真似している。対戦相手のデイビーボーイ・スミスは試合開始前に新日本プロレスに命じられたギミックに納得しておらず、「ザ・バンピート」なる覆面レスラーのマスクを自ら脱ぎ捨て正体を明かし、そのままコブラをリング下に投げ捨て、攻撃を加えるなど、波乱を予想させる出だしを見せた。田中秀和リングアナによってスミス、コブラのコールがされた後、ようやく試合が開始。しかしグラウンド戦が続くうちにスミスがコブラの技を受けようとしない行為が目立ちはじめ、さらにはコブラが仕掛けたトップロープ越しのノータッチプランチャをスミスがかわしたため、コブラは鉄柵と床へ激突し、両膝に大ダメージを受けた。両者共に決め手を欠く試合展開は長期戦となり、技の失敗もあって結果的にこのデビュー戦は凡戦となる。このことが初代タイガーマスク対ダイナマイト・キッド戦の再来を期待したファンや関係者を落胆させ、いかに初戦のインパクトが重要であるかを示した格好となった。後日のテレビ放映では、試合途中からダイジェストとなっている。またプランチャを仕掛けたところでは、スミスがかわしたところでストップし、鉄柵に衝突する場面がカットされた。またテレビでの録画中継の一部で、このデビュー戦で場内から「高野コール」が起き、必然的に正体が知られることとなった。なお、このザ・コブラの日本デビュー戦は、2012年に放送された『ワールドプロレスリング アンソロジー』の第3回「伝説のマスクマン ザ・コブラ 秘蔵哀愁名勝負選」の中でノーカットで放送された。コブラはその後NWA世界ジュニアヘビー、WWFジュニアヘビー級の二冠王となるが、団体の都合や業務提携の解消から1985年に2本とも返上。それを受け、IWGPジュニアヘビー級王座が創設。リーグ戦が開かれ、1986年2月6日に両国国技館で越中詩郎と初代チャンピオンの座をかけて対戦するが、あえなく敗退。さらに越中を破って第2代チャンピオンとなった高田伸彦とも同年6月17日に愛知県体育館で対戦したが、両者リングアウトでタイトル獲得はならなかった。この試合を最後に、「キング・コブラになって帰ってくる」と言い残し、ザ・コブラは消えた。しかし実際は、結婚を発表し素顔に戻っただけだった。デビュー戦で期待以上のインパクトを残した初代タイガーマスクと、スミスのギミック破りに遭い怪我をしたザ・コブラは常に比較され、アニメも同時放送されメディアミックスが成功した初代タイガーマスクのようなチビッコファンのアイドルにはなれなかった。しかし、その美しい体格と群を抜く運動能力で20代のファンには人気が高かった。また、キッドやスミス、小林邦昭、ヒロ斎藤などの好敵手が相次いで他団体へ移籍していったことによる挑戦者不足や、185cmという長身がジュニア戦士としてはマイナスとなり、キャラクターとしては大成しなかった。なお「スコードロン・サンダー」なる必殺技を持つことがプロレスマスコミによって報道されていたが、その完成形は一度も披露されなかった。

8位 フィッシュマン

フィッシュマン

フィッシュマン

「怪魚仮面」
via imgur.com
この方を覚えている方は何人いるかしら?あたしが個人的に好きなレスラーなのよ。「初代タイガー」「2代目タイガー」「ザ・コブラ」等とも戦ったことがあるのよ。ただ、キャラ立ちがしなかったせいか「かませ犬」的な役割が日本では多かったけど5個の世界王者を11回も獲得する実力者だったのよ!

フィッシュマンのキャリア(Wikipediaより抜粋)

1974年(1971年説もあり)、メキシコのプロレス雑誌『ルチャ・リブレ』が行ったミル・マスカラスのマスクデザイン・コンテストの中から覆面のデザインを選び、同年よりフィッシュマン(Fishman)に変身。10月3日にはエル・マルケスからナショナル・ウェルター級王座を奪取、以降、同王座を通算3回獲得した。1976年4月9日には古豪ブルー・デモンを破り、NWA世界ウェルター級王座にも戴冠している。1978年5月よりLLIに移籍。1980年12月12日、ペロ・アグアヨを下してUWA世界ライトヘビー級王者となる。1981年3月に新日本プロレスに初来日し、WWFライトヘビー級王座の争奪リーグ戦に出場。優勝を逸し戴冠は果たせなかったものの、9月25日にカリフォルニア州ロサンゼルスにてアグアヨから同王座を奪取した。アメリカにはロサンゼルスをはじめ、メキシカン人口の多いテキサスにも時折遠征しており、フリッツ・フォン・エリックが主宰していたダラスのWCCWでは、悪徳マネージャーのスカンドル・アクバ率いるヒール軍団に加入。1983年6月17日に行われたビッグイベント "Star Wars" にはワイルド・ビル・アーウィン&ザ・モンゴルと組んで6人タッグマッチに出場、クリス・アダムス、チャボ・ゲレロ、ホセ・ロザリオのトリオと対戦している。その5日前の1983年6月12日、当時空位だったWWFジュニアヘビー級王座をメキシコシティにて初代タイガーマスクと争い、翌1984年8月には全日本プロレスに参戦して二代目タイガーマスクとも対戦した。1985年10月には新日本プロレスにUターンしてザ・コブラのWWFジュニアヘビー級王座に挑戦している。1986年8月24日、ビジャノ3号を破りWWFライトヘビー級王座を再び獲得。1988年よりティフアナのWWAに移籍し、1990年2月18日にWWA世界ジュニア・ライトヘビー級王座をレイ・ミステリオ・ジュニアから奪取した。1991年8月にはW★INGの旗揚げシリーズに来日している。以降、1990年代はAAAを主戦場に活動したが、2000年8月27日にマスカラ・サグラダとのマスカラ・コントラ・マスカラに敗れて覆面を失い、素顔となって引退した。2011年12月25日、『覆面MANIA20』に息子のエル・イホ・デ・フィッシュマンと共に来日。久々の試合出場を果たし、初代タイガーマスクと約30年ぶりにタッグマッチで対戦した。

7位 ストロング・マシーン(魔神1号)

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