バブル期に若者を熱狂させた「学園祭の女王」
アーティストの活躍の場の一つである「学園祭」。特にバブル期には、学園祭に引っ張りだこの女性アーティストは「学園祭の女王」などと呼ばれ、その派手なパフォーマンスに注目が集まっていました。この記事では、当時学園祭の女王と呼ばれたアーティストを何人かピックアップした上で、彼女たちの現在についても特集したいと思います。
森高千里
1987年にシングル「NEW SEASON」で歌手デビューした森高千里。1989年に南沙織のカバー「17才」のヒットで一躍人気歌手の仲間入りを果たしました。そして、持ち前の美脚を活かした超ミニスカートのウェイトレス姿や総スパンコールの衣装などでライブを行い、多くの学園祭で男性ファンを熱狂させました。その斬新な衣装から「元祖コスプレクイーン」とも呼ばれています。
via www.amazon.co.jp
女王になったその後は?
その後も人気歌手として1992年には「私がオバさんになっても」、1993年には「渡良瀬橋」などのヒットを連発した森高。プライベートでは1999年に俳優の江口洋介と結婚、一男一女に恵まれました。その後は育児により仕事をセーブしていた時期もあったものの、近年はCMなどのタレント活動や、ライブ活動を積極的に行っています。2019年のツアー「この街 TOUR 2019」では、50歳とは思えない美脚を披露。ニュースなどでも取り上げられました。
こちらが話題となった“アラフィフ”美脚!
田中美奈子
80年代半ばより「モモコクラブ」などでアイドルとして活動し、1989年に安西マリアのカバー「涙の太陽」で歌手デビュ―を果たした田中美奈子。所属事務所が一億円の保険を掛けたという“瞳”と、超ミニスカートの脚線美を活かしバブル期の学園祭を席捲。学園祭の女王の名を欲しいままにしました。
via www.amazon.co.jp
女王になったその後は?
歌手に女優と活躍を続けていた田中ですが、歌手活動については1995年のシングル「Tears」で区切りをつけ、以降は女優としての活動がメインになっていきます。そして1999年には動物愛護団体を設立、2003年には35歳で大学に入学するなど、芸能界以外での活動も活発化させていきました。プライベートでは、2007年に俳優・岡田太郎と結婚。一男一女に恵まれています。
近年の田中美奈子(写真左)
千堂あきほ
1987年に芸能界入りし、1990年に「It's a Melody」で歌手デビューを果たした千堂あきほ。当初は地道なライブハウスでの活動を行っていた千堂ですが、オールナイトフジの司会で人気が爆発すると“学園祭のアイドル”として日本全国を飛び回りました。彼女のソバージュヘアとバブル期を象徴するボディコンファッションは記憶に新しいことと思います。
via www.amazon.co.jp
女王になったその後は?
バラエティ番組などでも人気を博した千堂ですが、2000年にはスキューバダイビング指導者の男性と結婚。その後は北海道などに活動の拠点を移し、二人の娘にも恵まれました。現在は北海道を中心にテレビ出演を続ける傍ら、夫の実家がある札幌市内で生活しているとのことです。