宮本和知のプロフィール
via twitter.com
宮本 和知(みやもと かずとも)
生年月日:1964年2月13日
出身地 :山口県下関市
身長 :178cm
ポジション:投手
利き腕 :左投げ左打ち
山口県立下関工業高等学校
↓
川崎製鉄水島
↓
読売ジャイアンツ
↓
ホリプロ所属タレント
生年月日:1964年2月13日
出身地 :山口県下関市
身長 :178cm
ポジション:投手
利き腕 :左投げ左打ち
山口県立下関工業高等学校
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川崎製鉄水島
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読売ジャイアンツ
↓
ホリプロ所属タレント
宮本和知~野球を始めたきっかけからプロ入りまで~
宮本和知さんは、読売ジャイアンツの左腕投手として1985年~1997年まで活躍したプロ野球選手です。
巨人一筋で長く投手陣を支えた選手なので、記憶に残っている方も多い選手ではないでしょうか。
そんな宮本さんですが、実はプロ入りまでの道のりは決して順風満帆ではありませんでした。
まずは、宮本和知さんが野球を始めたきっかけからプロ入りまでの道のりを簡単に紹介していきます。
巨人一筋で長く投手陣を支えた選手なので、記憶に残っている方も多い選手ではないでしょうか。
そんな宮本さんですが、実はプロ入りまでの道のりは決して順風満帆ではありませんでした。
まずは、宮本和知さんが野球を始めたきっかけからプロ入りまでの道のりを簡単に紹介していきます。
野球を始めたのは意外にも遅かった
プロ野球選手と聞けば、大抵の選手が小学校など小さい頃から野球をやっていた人が多いですが、宮本さんが野球を始めたのは中学校からとかなり遅いタイミングでした。
幼少期はサッカー少年だったそうで、中学校入学時もサッカー部へ入部。
しかし、すぐにサッカー部をやめて野球に興味を持ち始めたのがきっかけになったそうです。
サッカーをやめて野球を始めた経緯については語られていませんが、サッカーが嫌いになった訳ではなく、学生時代はサッカーと野球のどちらも好きで両立して楽しんでいたようです。
高校に進学すると野球部へと入部。野手として練習に励んでいましたが、高校2年生の時に投手へと転向。
つまり、宮本和知という投手が産声を上げたのは高校2年生の時と、かなり遅い時期から投手人生を歩み始めています。
投手として下関工業高等学校を引っ張り甲子園を目指した宮本さんですが、残念ながら2年・3年ともに地方大会で惜敗し、甲子園の土を踏む事は出来ませんでした。
幼少期はサッカー少年だったそうで、中学校入学時もサッカー部へ入部。
しかし、すぐにサッカー部をやめて野球に興味を持ち始めたのがきっかけになったそうです。
サッカーをやめて野球を始めた経緯については語られていませんが、サッカーが嫌いになった訳ではなく、学生時代はサッカーと野球のどちらも好きで両立して楽しんでいたようです。
高校に進学すると野球部へと入部。野手として練習に励んでいましたが、高校2年生の時に投手へと転向。
つまり、宮本和知という投手が産声を上げたのは高校2年生の時と、かなり遅い時期から投手人生を歩み始めています。
投手として下関工業高等学校を引っ張り甲子園を目指した宮本さんですが、残念ながら2年・3年ともに地方大会で惜敗し、甲子園の土を踏む事は出来ませんでした。
プロ入りまでの道のり
甲子園が全てでは無いとはいえ、プロ入りを目指す高校球児にとって各球団のスカウトに最大限アピールできる大会であることもまた事実です。
プロへのアピールの場でもある甲子園へと行けなかった宮本さんは、社会人野球の道へと進むべく川嶋製鉄水島製鉄所野球部へと入団します。
社会人野球の世界で川崎製鉄水島のエースとして活躍し、チームを都市対抗初出場へと導き1983年に初開催されたロス五輪の野球競技で日本代表メンバーに選出されます。
同大会での金メダルに貢献した活躍がプロスカウトの目に留まり、同年のドラフト会議で読売ジャイアンツから3位指名を受けてプロ入りを果たしました。
プロへのアピールの場でもある甲子園へと行けなかった宮本さんは、社会人野球の道へと進むべく川嶋製鉄水島製鉄所野球部へと入団します。
社会人野球の世界で川崎製鉄水島のエースとして活躍し、チームを都市対抗初出場へと導き1983年に初開催されたロス五輪の野球競技で日本代表メンバーに選出されます。
同大会での金メダルに貢献した活躍がプロスカウトの目に留まり、同年のドラフト会議で読売ジャイアンツから3位指名を受けてプロ入りを果たしました。
入団発表を欠席した驚きの理由
via pixabay.com
念願のプロ入りを決めた宮本さんは、入団発表を欠席しています。
理由は足首の怪我によるもので、普通にここだけを聞けばそれほどおかしな理由ではありません。
しかし
足首の怪我は、【入団発表前日】に遊びでサッカーをやっている最中に引き起こされたものでした。
プロ入りを正式に発表する場に、別のスポーツを楽しんだ結果引き起こした怪我で欠席したのは、後にも先にも宮本和知さんただ一人です。
学生時代に辞めたとはいえ、サッカーも好きな事が判るエピソードではありますが、時と場合を考えられなかったのは若気の至り・・・だったのかもしれませんね。
理由は足首の怪我によるもので、普通にここだけを聞けばそれほどおかしな理由ではありません。
しかし
足首の怪我は、【入団発表前日】に遊びでサッカーをやっている最中に引き起こされたものでした。
プロ入りを正式に発表する場に、別のスポーツを楽しんだ結果引き起こした怪我で欠席したのは、後にも先にも宮本和知さんただ一人です。
学生時代に辞めたとはいえ、サッカーも好きな事が判るエピソードではありますが、時と場合を考えられなかったのは若気の至り・・・だったのかもしれませんね。
宮本和知~現役時代の成績や役割~
当時最も人気があった球団と言える読売巨人軍に入団した宮本さんですが、プロ入りから数年は1軍で登板する機会は与えられていたものの、その成績はパッとしないものでした。
筆者の個人的なイメージですが、大事な場面で打たれる投手という印象があったような気がします。
宮本さんが頭角を現し始めたのは、名将藤田監督が巨人軍を率いるようになってからでしょう。
それまで中継ぎとして起用されていた宮本さんを、先発ローテの一角を任せた藤田采配がハマり勝利投手になる事が増えていき、1989年にリーグ優勝を決めた試合でも胴上げ投手になっています。
ベテランとなってからは、先発も中継ぎも出来る使い勝手の良い投手として巨人の投手陣を支え、貴重な左腕投手として引退までの12年間を過ごしました。
投手としての宮本和知さんは、150km/h近い速球と縦のカーブを武器にしたいわゆる本格派のピッチャーで、晩年にはチェンジアップやスライダーなども駆使して、硬軟織り交ぜた投球術を見せてくれた選手です。
球界史に残るような記録や成績は残していませんが、明るいキャラクターとチームメイトからの厚い信頼で印象が強い選手で、記録よりも記憶に残るタイプのプロ野球選手だったと言えます。
筆者の個人的なイメージですが、大事な場面で打たれる投手という印象があったような気がします。
宮本さんが頭角を現し始めたのは、名将藤田監督が巨人軍を率いるようになってからでしょう。
それまで中継ぎとして起用されていた宮本さんを、先発ローテの一角を任せた藤田采配がハマり勝利投手になる事が増えていき、1989年にリーグ優勝を決めた試合でも胴上げ投手になっています。
ベテランとなってからは、先発も中継ぎも出来る使い勝手の良い投手として巨人の投手陣を支え、貴重な左腕投手として引退までの12年間を過ごしました。
投手としての宮本和知さんは、150km/h近い速球と縦のカーブを武器にしたいわゆる本格派のピッチャーで、晩年にはチェンジアップやスライダーなども駆使して、硬軟織り交ぜた投球術を見せてくれた選手です。
球界史に残るような記録や成績は残していませんが、明るいキャラクターとチームメイトからの厚い信頼で印象が強い選手で、記録よりも記憶に残るタイプのプロ野球選手だったと言えます。
宮本和知~引退後はタレント活動でブレイク~
via pixabay.com
現役時代から、巨人のムードメーカー的な立ち位置に居た宮本さんは引退後すぐにメディアで顔を見るようになりました。
その明るいキャラクターから、ズムサタ(ズームイン!サタデー)のコメンテーターに抜擢された事を足掛かりに、様々な分野でキャスターやMCを務めるなど精力的にタレント活動を行っていました。
タレント活動だけでなく、野球解説者や地方の野球チーム活性化にも貢献したりと幅広い分野で活動し、引退後もスムーズに第二の人生を歩めたプロ野球選手の一人と言えます。
その明るいキャラクターから、ズムサタ(ズームイン!サタデー)のコメンテーターに抜擢された事を足掛かりに、様々な分野でキャスターやMCを務めるなど精力的にタレント活動を行っていました。
タレント活動だけでなく、野球解説者や地方の野球チーム活性化にも貢献したりと幅広い分野で活動し、引退後もスムーズに第二の人生を歩めたプロ野球選手の一人と言えます。
宮本和知~現在の職業は?~
タレント・野球解説者・コメンテーターなど、引退後に様々な肩書きを持ち活躍してきた宮本和知さんですが、現在は【読売巨人軍一軍投手チーフコーチ】としてご活躍中です。
2019年に読売ジャイアンツの一軍投手総合コーチに就任し、今年はチーフコーチとして古巣ジャイアンツの投手陣をコーチングしています。
宮本コーチの下、ジャイアンツの新たなスターたちが野球界を活性化させてくれることを願うばかりです。
2019年に読売ジャイアンツの一軍投手総合コーチに就任し、今年はチーフコーチとして古巣ジャイアンツの投手陣をコーチングしています。
宮本コーチの下、ジャイアンツの新たなスターたちが野球界を活性化させてくれることを願うばかりです。