風見しんごの曲「涙のtake a chance」(1985年1月27日) - YouTube
尾崎豊
尾崎 豊
1983年12月、シングル「15の夜」とアルバム『十七歳の地図』でデビュー。
破滅的で体当たりなパフォーマンスや自己の内面を抉り出すような赤裸々な歌詞の中で、真実の愛や夢、生きることの意味を追い求め、学校や社会の不条理に立ち向かう心の叫びのようなその音楽の世界が1980年代から1990年代初頭にかけての若者を中心に 多くの人から共感を呼び、カリスマ的存在となる。
その作品と活動と精神性は、日本の音楽シーンに多大なる影響を与え、作品に迸るメッセージは死去から20年以上経過した現在でも多くのファンやミュージシャンに尊敬されている。
1992年、あまりにも若すぎる26歳での突然の死は、当時、社会的にも大きな衝撃を与えた。死後20年を過ぎてもなお、尾崎を慕うものは絶えず、新たなファンを生んでおり、彼が遺した曲の数々は多くのアーティストにカバーされ続けている。
卒業 (尾崎豊の曲) - YouTube
歌詞の一部が過激とされ、「不良」のイメージを植え付けられる一方で、若者に支持されることとなる。実際、当時の全国の中学校・高校で影響を受けた学生が歌詞の通り「夜の校舎 窓ガラス 壊してまわった」という。
尾崎自身はこの曲によってマスメディアから『反抗する若者のカリスマ』、『十代の教祖』と呼ばれるのを嫌い、また影響を受けて窓ガラスを割った若者に対して「そういう風(窓ガラスを割ること)でしか、自分の思いを表現できない人たちに対して、責任も感じている。」と語っている 。
【伝説のRock Singer ☆ 尾崎 豊】 ♪ Scrambling Rock'n Roll [ HD ] - YouTube
杉山清貴&オメガトライブ
杉山清貴&オメガトライブ
この時期には現在芸術音楽の作曲家である千住明がキーボードを担当したが、プロへ直結するポプコン優勝を逃したことから、在籍していた慶応義塾大学から東京芸術大学への受験により音楽家になることを希望し、グループを離れている。キーボード担当には西原俊次が新たに加わり、グループとしてプロデビューを目指した。
1983年4月、プロデューサー藤田の第1弾プロジェクト『杉山清貴&オメガトライブ』としてレコードデビューする。
杉山清貴(ボーカル)
高島信二(ギター)
西原俊次(キーボード)
大島孝夫(ベース)
廣石恵一(ドラムス、現クレイジーケンバンド)
吉田健二(ギター、1985年4月に脱退)
ふたりの夏物語 - YouTube
江端兄弟:江端郁己 (えばた いくみ)兄、江端郁世 (えばた いくよ)弟
江端兄弟:江端郁己 (えばた いくみ)兄、江端郁世 (えばた いくよ)弟
北海道札幌市出身、東京都三多摩育ち、血液型・O型。
江端郁己 (えばた いくみ)兄
当時よく名前を“郁巳”と誤表記される事が多かった。
江端郁世 (えばた いくよ)弟
弟の郁世が中学3年生の時、交際していた女性がジャニーズ事務所に郁世の履歴書を送った。そしてオーディションに呼ばれた際、付き添いで行った兄の郁己も一緒に、事務所の社長・ジャニー喜多川にスカウトされる。
1983年11月4日、月曜ドラマランド『どっきり双子先生・乙女学園男子部』(フジテレビ)にて共にドラマデビュー。
1984年デビューの男性アイドル・アーティスト
吉川晃司
吉川晃司
広島県安芸郡府中町出身。自身設立の所属事務所、株式会社アクセルミュージックエンターテイメント代表取締役社長。身長182cm。既婚。
1984年、シングル「モニカ」で歌手デビュー。「LA VIE EN ROSE」、「KISSに撃たれて眠りたい」、「VENUS 〜迷い子の未来〜」や布袋寅泰とのユニット、COMPLEXでの「BE MY BABY」などのヒット曲で知られる。デビュー当時は映画に多数出演。一時俳優業からは遠ざかっていたが、2000年の『漂流街』出演以降、しばしば取り組むようになった。
作詞:荒木とよひさ、作曲:福島邦子