安全地帯
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いいとも青年隊(1982年10月4日から1985年3月29日)
いいとも青年隊(1982年10月4日から1985年3月29日)
シングル「恋の爆弾ストリート」「だったらツイスト / ウキウキWATCHING」「哀愁サマーステーション」、アルバム『いいとも気分』を発売した。
1984年途中から2代目に交代するまで、「ウキウキWATCHING」の歌詞の途中一部分を2番のものに差し替えて歌うようになる。
1984年4月30日放送分のテレビ朝日『徹子の部屋』に出演。
久保田篤(アツシ)
野々村真(マコト)
羽賀研二(ケンジ)
渡辺徹(1982年、EPICソニーから『彼〈ライバル〉』で歌手デビュー)
1981年、人気テレビドラマ『太陽にほえろ!』(日本テレビ)の通称名・ラガー(竹本淳二)刑事役でデビュー(1985年まで出演)。
1982年、EPICソニーから『彼〈ライバル〉』で歌手デビュー。同年発売のセカンドシングル『約束』は、グリコ「アーモンドチョコレート」のCMソングとなり大ヒット。また彼の代表曲のひとつでもある。
渡辺徹「約束」 - YouTube
本田恭章(ほんだやすあき)
1981年9月、TBS『2年B組仙八先生』で俳優デビュー。共演したシブガキトリオ(後にシブがき隊に改名)、三田寛子とともに人気を博した。
1982年5月25日にシングル「0909させて(ワクワクさせて)」(日本フォノグラム)で歌手デビュー。
同年、フジテレビの連続ドラマ『ねらわれた学園』に超能力者「京極少年」として出演。共演は原田知世、高柳良一、伊藤かずえ、柳沢慎吾、堀広道、森尾由美。
ドラマ出演の前後にアイドル歌手路線で3枚のシングルと1枚のアルバムを発表するが、本人はロックアーティスト志向だったため、その後しばらくはシングル発売を停止。その後アーティスト性を強調した、当時としては珍しいミニアルバム「Kids Disk」3部作を立て続けに発表する(『1NIGHT KIDS』、『DREAM LIKE FIRE』、『STINGER』)。
1983年デビューの男性アイドル・アーティスト
チェッカーズ
チェッカーズ(1983年)
藤井郁弥(現:藤井フミヤ)(ふじい ふみや、1962年7月11日 - ):リードボーカル
久留米市立南筑高等学校卒業。チェッカーズ結成前は、カルコークというバンドでボーカルをしていた。通称「フミヤ」。
武内享(たけうち とおる、1962年7月21日 - ):ギター、リーダー
福岡県立八女工業高等学校卒業。実家はスナックで、よくメンバーが集まって練習していた。ビートルズマニア。通称「トオル」。
高杢禎彦(たかもく よしひこ、1962年9月9日 - ):サイドボーカル(他パーカッションなども担当)
柳川高等学校卒業。低音のボーカルを得意とする。小さいころからガキ大将。保育園のときから藤井郁弥と遊んでいた仲。高校の頃から、坊主頭にヒゲを生やしていたので、当時はとても高校生には見えなかったらしい。徳永善也をチェッカーズに入れるためにさらった時の、車を運転していたのは高杢である。解散後の2003年に発売された書籍「チェッカーズ」が話題に。通称「モク」。
大土井裕二(おおどい ゆうじ、1962年11月2日 - ):ベース、サブリーダー
福岡県立三井高等学校卒業、第一経済大学中退。矢沢永吉に憧れてベースを始めたらしい。チェッカーズ結成前は、シークレッツというバンドでベースを弾いていた。通称「ユウジ」。
鶴久政治(つるく まさはる、1964年3月31日 - ):サイドボーカル(他キーボードなども担当)
久留米市立南筑高等学校卒業、第一経済大学中退。チェッカーズ結成前は、50'sというバンドでボーカルをしていた。通称「マサハル」。
徳永善也(とくなが よしや、1964年6月7日 - 2004年8月17日):ドラムス
筑紫工業高等学校(現・筑紫台高等学校)卒業。チェッカーズ加入前からドラマーとしての評判が知れ渡っており、たくさんのバンドから勧誘されていた。通称「クロベエ」。
藤井尚之(ふじい なおゆき、1964年12月27日 - ):サックス(他ギター、フルートも担当)
九州産業大学付属九州産業高等学校卒業。藤井郁弥の実弟。元々ベースを担当していたが、大土井の加入により、サックスに転向。通称「ナオユキ」。
1983年3月29日、上京。目黒区のヤマハ音楽振興会の寮で生活をはじめる。9月21日、「ギザギザハートの子守唄」でデビュー。
THE CHECKERS 涙のリクエスト HD - YouTube
チェッカーズ 【ジュリアに傷心】 - YouTube
風見慎吾(現、風見しんご)
風見慎吾(現、風見しんご)
広島県広島市西区己斐(こい)出身。成蹊大学工学部中退。当初の芸名は「風見慎吾」。芸名の由来は『仮面ライダーV3』の主人公・風見志郎(仮面ライダーV3)からである。
1982年、TBS『欽ちゃんの週刊欽曜日』オーディションに合格してデビュー(当時は「風見慎吾」という芸名だった)。合格した理由も、この時のオーディションで萩本欽一に会った時に大きな声であいさつし「有名人を前に萎縮することもなくて、バカでかい声であいさつして。合格!」と言われたという単純なことだった。
風見自身は元々母親から大きな声であいさつするように言われて育ち、声が大きくなったことで友達も出来易く「いいことがたくさんあった」という。こういったことから、自分の娘たちにも大きな声であいさつすることを教えているという。なお、娘たちには自分たち両親のことを「チチ」「ハハ」と呼ばせている。
この番組で欽ちゃんファミリーの若きメンバーとして存在感を放つ。その傍らで劇男一世風靡が分裂する前の劇男零心会のメンバーとして活躍していた(劇男零心会に参加していたが劇男一世風靡には参加していない)。
デビュー日(1982年10月8日)以来、現在まで一度もレギュラー番組が途切れることなく34年目。(2016年4月現在でレギュラー番組94本)
1983年には「僕笑っちゃいます」でレコードデビューを果たし、第16回日本有線大賞最優秀新人賞、第16回日本レコードセールス大賞新人賞(男性部門)をそれぞれ受賞した。
4曲目の「涙のtake a chance」(1984年12月リリース)は、自らニューヨークに出向き猛特訓でブレイクダンスを修得。振り付けに取り入れ話題を呼ぶ。これをテレビで見てブレイクダンスを始めた者も少なくない(1985年放送のフジテレビのドラマ『スタア誕生』、『ヤヌスの鏡』に出演の際にも一部踊っているシーンがある)。日本におけるブレイクダンスの先駆者であり、テレビを通して日本中にブレイクダンスを広めた人物の1人である。
出典:wikipedia/風見しんご
1982年、シングル「萠黄色のスナップ」でデビュー。4月、キティレコード(現・ユニバーサルミュージック)と正式契約。
1983年
1月25日、1stアルバム『安全地帯I Remember to Remember』を発表する。その後、サントリーから発売された「赤玉パンチ」のCMソングに起用された4thシングル「ワインレッドの心」が大ヒット。一躍全国にその名が知れ渡る。
1984年
「恋の予感」、「熱視線」等の楽曲を立て続けにヒットさせる。
1985年
「悲しみにさよなら」が大ヒット。TBSの『ザ・ベストテン』、日本テレビ『ザ・トップテン』年間第1位に輝き、同年のNHK紅白歌合戦出場を果たした。また、FNS歌謡祭では史上初で唯一となる2年連続で最優秀歌唱賞を受賞した。