1960年代末デビュー:フォーリーブス
フォーリーブス(1968年9月5日レコードデビュー)
青山孝史:1951年8月10日 - 2009年1月28日(満57歳没)、A型
江木俊夫:1952年6月4日(64歳)
おりも政夫:1953年7月4日(62歳)、B型
1970年デビュー:錦野 旦・野村 真樹・草刈 正雄・石橋 正次
錦野 旦(にしきの あきら、1948年12月14日 - )
1970年5月1日に芸名「にしきのあきら」としてCBSソニーより「もう恋なのか」でデビュー。デビュー後は世田谷区駒沢の今村マネージャー宅の4畳半で下宿生活を始める。ちなみにキャッチフレーズは「ソニー演歌の騎士(ナイト)」であった、同曲は第12回日本レコード大賞最優秀新人賞を受賞。
同年、NHK紅白歌合戦に初出場。ブロマイド年間売上実績で第1位を獲得。翌年に「空に太陽がある限り」がオリコン3位の大ヒット。デビュー当時はレコード会社と所属芸能事務所の方針により昭和26年(1951年)生まれとされていた。
以後も高いアイドル人気を保持しヒット曲を放つものの、1976年にそれまで連続出場していた紅白歌合戦に落選。
翌1977年10月15日、ポルノ女優から大麻を譲り受けた疑いによって大麻取締法違反で逮捕された。さらにマネージャーが勝手ににしきの名義で多額の借金を作り失踪。一転して波乱の芸能生活となる。
野村 真樹(現、野村 将希)
1970年、RCAレコードと契約、同年4月に『ひるのプレゼント』(NHK総合テレビジョン)の新人コーナーに出演し、『涙をかついで行こうよ』(デビュー曲『一度だけなら』のB面収録曲)を歌い注目を集めた。
1970年6月5日に『一度だけなら』をリリースし、正式に歌手デビューを果たす。抜群の歌唱力で演歌界の若獅子と言われた。同年『野良猫ロック ワイルド・ジャンボ』にスリーNの一人として映画初出演(残りの2人はにしきのあきら、夏夕介)し、第12回日本レコード大賞新人賞を受賞、第21回NHK紅白歌合戦に初出場を果たす。
その後修行のため2年間海外に渡り、帰国後の1982年、芸名を現在の野村将希に改名した。
その一方で役者としても才能を開花させ、1987年に登場した『水戸黄門』の柘植の飛猿役は当たり役となった。
草刈 正雄(くさかり まさお、1952年9月5日 - )
福岡県小倉市(現在の北九州市)出身。身長185cm、血液型はO型。左利き。バービィオフィス所属。東京都立青山高等学校定時制卒業、放送大学教養学部修了。
1970年にCMディレクター・杉山登志に起用される形で資生堂専属モデルとなり、MG5のCMで団次郎の弟分としてデビューし売れっ子モデルとなる。
デビュー当初から甘いルックスと軽快な語り口で人気を得る。2年余りのファッションモデル時代を経て、野中マリ子の俳優養成所「野中塾」で演技を学び、俳優へ転向する。
1974年に『卑弥呼』で映画デビューし、1975年にはエランドール賞・新人賞を受賞。映画『沖田総司』、テレビドラマ『新選組始末記』で新選組の沖田総司を演じた。同年のテレビドラマ『華麗なる刑事』でロサンゼルス帰りの凄腕刑事という主人公に扮し、主題歌も歌っており、1977年にはマルベル堂のプロマイド年間ランキング俳優部門1位を獲得した。
一方で1970年代後半の草刈は、1977年の漫画『すすめ!!パイレーツ』では草刈と総司を合わせた「稲刈真青(いねかり まさお)」、1978年の漫画『ゴリポン君』で「正刈草雄(まさかりくさお)」とパロディにもされていた。
石橋 正次(いしばし しょうじ、1948年11月12日 - )
1970年に日活の映画『非行少年 若者の砦』で俳優として、クラウンレコードから『明日の俺は』で歌手としてもデビュー。
翌71年には最高視聴率は55.2%、平均視聴率は47.4%という驚異的な人気を誇ったNHK連続テレビ小説『繭子ひとり』に主人公繭子の生き別れの弟役で出演し、国民的人気となった。
歌手としても『夜明けの停車場』はオリコン3週連続1位、1972年度の年間ランキングでも第11位で49.3万枚を売り上げた大ヒットとなった。同曲で第23回紅白歌合戦に出場している。
学園ドラマの不良少年役から特撮、時代劇、テレビドラマ助演男優、刑事ドラマの刑事役、舞台俳優など多種多様の活躍を見せるバイプレーヤーであり、映画では名匠・中川信夫監督の『怪異談 生きてゐる小平次』やテレビドラマ『飛び出せ!青春』などが代表作。現在は舞台に主な活躍の場を移している。
1971年デビュー:野口 五郎・PYG(沢田研二・萩原健一ほか)・仲 雅美
野口 五郎(のぐち ごろう、1956年2月23日 - )
岐阜県美濃市出身。オフィス・ジー所属。身長174cm。
新御三家の一人として、1970年代の日本を代表する男性アイドルである。妻はタレントの三井ゆり。子供は一女一男。実兄は作曲家の佐藤寛。
1971年5月1日、当初は演歌歌手としてシングル曲「博多みれん」で15歳2か月の若さでデビュー。キャッチフレーズは「青い木の芽の、はだざわり」で売り出した、が、同曲のセールスは全く振るわなかった。しかし2曲目の「青いリンゴ」からポップス歌手に転向してスマッシュ・ヒット、若い女性ファンの人気を獲得。
1972年12月31日、第23回NHK紅白歌合戦において当時としては最年少(16歳10か月)となる初出場歌手に抜擢されて、「めぐり逢う青春」を歌う。
1973年4月9日、「オレンジの雨」がオリコン週間チャートで初のベストテン入り。続く「君が美しすぎて」は第3位にランクされ、第24回NHK紅白歌合戦も同曲で出場。西城秀樹・郷ひろみと共に新御三家と呼ばれて、一躍トップアイドルの仲間入りを果たす。
1974年11月25日、「甘い生活」で初のオリコン週間チャートの第1位を獲得。最大のヒット曲となり、第25回NHK紅白歌合戦も同曲で出場。この作品で筒美京平は第16回日本レコード大賞・作曲賞を受賞。
1975年2月10日、実兄 (佐藤寛)作曲による「私鉄沿線」が有線放送をきっかけに大ヒットし、「甘い生活」から2作品連続してオリコン週間チャートの第1位を獲得する。
また年末の第8回日本有線大賞・グランプリ、第17回日本レコード大賞・歌唱賞、第6回日本歌謡大賞・放送音楽賞など、多くの音楽賞を受賞し第26回NHK紅白歌合戦も同曲で出場。さらに第3回FNS歌謡祭(1975年上半期)では「哀しみの終るとき」で最優秀歌唱賞を受賞。『再会』で映画初主演。
1975年4月4日 - 1983年3月、日本テレビ系のバラエティー番組『カックラキン大放送!!』にメイン・タレントとしてレギュラー出演、視聴者にコミカルな面をアピールして広く一般大衆の人気を獲得した。
PYG(ピッグ)は、1971年に結成され、当時はニューロックと呼ばれた日本のロックバンド。
萩原健一(はぎわら けんいち、1950年7月26日-):ボーカル
大野克夫(おおの かつお、1939年9月12日-):オルガン
井上堯之(いのうえ たかゆき、1941年3月5日-):ギター
岸部一徳(きしべ いっとく、当時の芸名は「岸部修三 きしべ おさみ」1947年1月9日-):ベース
大口広司(おおぐち ひろし、1950年11月28日 - 2009年1月25日):ドラムス( - 1971年9月)
原田裕臣(はらだ ゆうじん、1944年2月14日 - ):ドラムス(1971年9月 - )
「ジュリーとショーケン2大アイドルスターによるツインボーカル」というコンセプトは大きく話題となり、それなりにコンサートも盛り上がったものの、実際の客席においては、それぞれのファンでの熾烈な争いが勃発。沢田がボーカルを取っている時に萩原のファンがタンバリンなどを叩いて妨害したり(実際2枚組ライブアルバム『FREE with PYG』の『アイ・ゴナ・リーヴ・ユー』の曲中、沢田が萩原のファンに対して「タンバリンやめて!」と呼びかける模様が収録されている。)、また萩原が歌っている時に沢田のファンが大声でおしゃべりをするなど、嫌がらせの応酬が繰り広げられることも多々あった。
1971年9月にドラムスの大口が脱退し、また萩原の活動がTV・映画中心となってゆくにつれ、ザ・テンプターズ時代からのファンは徐々に姿を消し始め、1972年には客席のほとんどが沢田のファンで占められるようになった。
また、日比谷野音をはじめ各種ロックフェスティバルにも出演するが当時の硬派なロック・ファンには ロック=反体制の音楽 という図式があり、芸能業界最大手(当時)である渡辺プロダクション所属のPYGは、体制的商業主義と見なされて受け入れられず、その嫌悪感から猛烈な非難を受浴び、「GSの残党」「商業主義」と徹底的に嫌われ、空き缶やトマトが投げつけられることがあった。
しかしながら、井上堯之、大野克夫、岸部一徳といったGS時代から演奏能力を高く評価されていたメンバーがバックを固めていたこともあり、ミュージシャンの間では一目置かれる存在であったほか、オリジナル曲が後年になって再評価されることも多いバンドである。
ベースの岸部一徳が作詞をしたデビュー曲「花・太陽・雨」は、『帰ってきたウルトラマン』の劇中歌にも採用されるなど、楽曲面でもとても影響力が高かった(シングルバージョンとアルバムバージョンの2種類が存在)。またシングル曲ではないが『PYG』に収録のナンバー『戻れない道』は2009年『潜在異色』のオープニング曲として採用された。
PYG(ピッグ)
萩原健一(はぎわら けんいち、1950年7月26日-):ボーカル
大野克夫(おおの かつお、1939年9月12日-):オルガン
井上堯之(いのうえ たかゆき、1941年3月5日-):ギター
岸部一徳(きしべ いっとく、当時の芸名は「岸部修三 きしべ おさみ」1947年1月9日-):ベース
大口広司(おおぐち ひろし、1950年11月28日 - 2009年1月25日):ドラムス( - 1971年9月)
原田裕臣(はらだ ゆうじん、1944年2月14日 - ):ドラムス(1971年9月 - )
PYG(ピッグ)
萩原健一(はぎわら けんいち、1950年7月26日-):ボーカル
大野克夫(おおの かつお、1939年9月12日-):オルガン
井上堯之(いのうえ たかゆき、1941年3月5日-):ギター
岸部一徳(きしべ いっとく、当時の芸名は「岸部修三 きしべ おさみ」1947年1月9日-):ベース
大口広司(おおぐち ひろし、1950年11月28日 - 2009年1月25日):ドラムス( - 1971年9月)
原田裕臣(はらだ ゆうじん、1944年2月14日 - ):ドラムス(1971年9月 - )
北公次:1949年1月20日 - 2012年2月22日(満63歳没)、A型
青山孝史:1951年8月10日 - 2009年1月28日(満57歳没)、A型
江木俊夫:1952年6月4日(64歳)
おりも政夫:1953年7月4日(62歳)、B型