「ハドソン」と聞いて何を思い浮かべますか?
私たちの世代にはあまりにも有名な同社ですが、ハドソンと聞いて皆さんが思い浮かべるのは何ですか?
個人的にはロードランナーですが、高橋名人にスターフォース。桃伝、桃鉄。ボンバーマンに全国キャラバン。さらにはPCエンジンと、イメージするのは人それぞれかもしれません。
ひとつ言えるのは、とくに1980~90年代に一世風靡したゲームメーカーであったということ。
この先、ハドソンの名を聞く機会は少なくなると思うと寂しくなり、ここにその軌跡をまとめたいと思います。
「バーイ ハドソン♪」のハチ助はハドソンの社章
初期CMに登場した「バーイ ハドソン♪」とハチ助
社章は蜂で、「ハチ助」とも呼ばれている。ハドソンのゲームソフトにボーナスキャラ・隠れキャラとして古くから数多く登場している。由来は、北海道のアマチュア無線のエリア番号が「8(はち)」であるため、同音である「蜂」を採用したと言われている。
1973年、アマチュア無線ショップとして創業
1970年代後半にはパソコン向けのソフトウェア制作を手掛け始め、1980年代になると高い技術力でパソコンソフトメーカーの大手となりました。
1979年、ハドソンが扱っていたパソコンの販売元シャープの勧めで、「月刊マイコン」(電波新聞社)昭和54年7月号にオリジナルソフトウェアの通信販売広告を掲載すると一転、郵便局員が毎日のように現金書留の詰まった白い袋を担いで来る状況になり、莫大な利益を得ることになった。
しかし当時は主にシャープのMZシリーズ、X1シリーズ用のBASICを手掛ける一方「8it時代の圧倒的覇者」NEC向けのソフトを開発していなかったため、ハドソンの名前は当時のパソコンのライトユーザーには浸透しませんでした。
あのソフトバンク台頭のきっかけにも!
これはソフトバンク社にとっても創業期の大きな出来事として認識されているそうです(ソフトバンク台頭にハドソンの存在は必要不可欠だった)。
1984年、ファミコン初のサードパーティーとして参入
ロードランナーCM 1984年
ファミコン初期にヒット作を量産!
また連射ブームを巻き起こし「シュウォッチ」を販売したりと、初期のファミコンゲーム界をリードする存在でした。
事実上、初のサードパーティーとなったことで、初期参入会社と同様に、任天堂からソフトの年間発売制限数の緩和やロイヤリティのなど優遇措置を受けることになり、ハドソンはファミコン黎明期にヒット作を連発しファミコンのソフトメーカーとして一躍名を馳せる。他会社と決定的に違ったのは、社内に自由な空気があり、積極的に独自の企画を生み出したことである。全国各地を巡業するゲーム大会「ハドソン全国キャラバン」や、16連打でスイカを割る「高橋名人」は小学館のコロコロコミックを筆頭に児童誌でも大々的に取り上げられ、高橋を題材にした『高橋名人の冒険島』の他にも『忍者ハットリくん』や『ドラえもん』『ロードランナー』『桃太郎伝説』などが100万本以上のミリオンセラーを記録するなど、ファミコン人気を決定的なものにした。
「ハドソン全国キャラバン」
筆者も1986年に「スターソルジャー」で挑戦しました(笑
このキャラバンでハドソンは北海道から沖縄まで全国各地を巡業、各都道府県の政令指定都市にとどまらず他の都市でも行われました。
毎年のキャラバン公式ソフトはコチラ
1985年:スターフォース
1986年:スターソルジャー
1987年:ヘクター'87
1988年:パワーリーグ
1989年:ガンヘッド
1990年:スーパースターソルジャー
1991年:ファイナルソルジャー
1992年:ソルジャーブレイド