高橋名人もPCエンジンも!ハドソンの軌跡「バーイ ハドソン♪」
2021年5月29日 更新

高橋名人もPCエンジンも!ハドソンの軌跡「バーイ ハドソン♪」

ファミコン世代にとって忘れることのない会社といえばハドソン。ロードランナーやボンバーマン、スターフォースに桃鉄。高橋名人に全国キャラバン、更にはPCエンジンまで。今はコナミに吸収されたハドソンの軌跡についてまとめてみます。

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アニメのスポンサードも!

Bugってハニー( 1986.10 - 1987.9)
DOKI_DOKI_DO!(1987.10 - 1988.3)
魔神英雄伝ワタル(途中でピープルに交代)
上記アニメには筆頭スポンサーで入っていました。

1987年、PCエンジンをリリース

PCエンジンというとPC-88などと同じ「PC」を冠することからも、私たちのイメージではNECのゲーム機というイメージが強いかもしれませんが、こちらも開発にはハドソンが大きく関わっていました。

創業からの系譜で分かる通りハドソンは高い技術力を持った集団であり、ファミコンサードパーティーの立場としての成功に甘んじる事無く、独自のハード作りにも乗り出したのです。

以後、PCエンジン、CD-ROM2、PC-FXなどの後継、拡張ハードにも携わりNEC陣営のファーストパーティー的存在として活躍しました。
1987年に日本電気ホームエレクトロニクス(NEC HE)と共同開発した家庭用ゲーム機PCエンジンは、ハドソンが独自に設計開発したCPU、サウンドチップ、画像処理チップなどC62システムと呼ばれるHuC62シリーズを搭載しており、実質ハドソンが開発したゲーム機であり、当時のライバル機である任天堂のスーパーファミコンやセガのメガドライブと日本を含め世界市場で覇権争いを展開した。全世界累計の販売台数は1000万台を記録している。
PCエンジンにも「PC原人」「天外魔境」といった代表作や「R-TYPE」「イースI・II」などハイクオリティな移植作品を手掛け、「桃太郎電鉄7」ミリオンヒットを達成するなど実質的なファーストパーティーとして存在感を示しました。

【懐かCM】年代不明 HUDSON ハドソン PCエンジン カトちゃんケンちゃん ~Nostalgic CM of Japan~

「エンジョ~イ ハドソン♪」に変わっていますね。

コナミの子会社へ

1990年代末、金融大不況のなかでメインバンクだった北海道拓殖銀行の破綻で資金繰りが悪化します。

以後、i-modeなどの携帯電話向け事業に乗り出すものの厳しい状況が続き、2000年代に入ってコナミの資本が入り2005年にはコナミの子会社となりました。

コナミの完全子会社になった2011年にはあの高橋名人が退社、2012年にコナミデジタルエンタテインメントに吸収合併する形で会社としてのハドソンが消滅しました。

消滅後もハドソンブランドのサービスは継続されていたものの2013年末をもってブランドも消滅し、全てコナミブランドに統一されることとなったのです。
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  • タクカラス 2018/1/7 21:21

    真実は不明ですが、ここには書かれていない任天堂のバーチャルボーイの開発にも深く関わっていたかと思います。

    うどん男@広島 2018/1/7 19:43

    家庭用ゲーム機のソフト会社のイメージより、PCソフト会社というイメージが強い。ハドソンのHu-BASICやHuman68kにはお世話になりました。MZ-2000のソフトが少なかったのでマリオブラザーズスペシャルというゲームが出た時にはうれしかった。最近では国本剛章氏の楽曲(ゲーム音楽)のCDを聴いたり実際に演奏会に出かけたりして楽しんでいます。「PC園児 DECODE」「20世紀ファミコン少年 DECODE」など

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