【プロ野球】1970年代の第一次長嶋巨人!活躍した希少な外国人選手たち
2023年8月16日 更新

【プロ野球】1970年代の第一次長嶋巨人!活躍した希少な外国人選手たち

V9時代には助っ人外国人は雇わず、日本人選手のみだった川上巨人。川上監督が勇退し、長嶋監督に代わると、早速就任1年目から、巨人初のMLB選手デービー・ジョンソンを獲得します。その後は、クライド・ライトやジョン・シピンなども入団。外国人選手の活躍ぶりはどうだったのでしょうか?長嶋巨人V2に貢献した選手は?

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リック・クルーガー(1979)

前年退団したクライド・ライトに代わる投手として、新たに獲得したのがリック・クルーガー。MLB時代は、ボストン・レッドソックス、クリーブランド・インディアンスに在籍しましたが、登板はわずか17試合でした。

1979年4月途中に巨人に入団。小林繁がつけていた背番号19をつけ、ライトのようにローテーションの一角を担うことを期待されます。5月1日の阪神戦のリリーフで初勝利を挙げますが、5月10日の中日戦は先発で3回途中4失点ノックアウト。以後、先発登板することはなく、中継ぎや敗戦処理が中心の登板となります。最終成績は2勝1敗と勝ち越すも、わずか18試合の登板で防御率は4.66。一年限りでの退団が決定しました。

退団後は、AAAやプエルトリコのリーグでプレーした後、現役引退。引退後は、学生野球のコーチや、孤児院、刑務所への慰問などに携わっています。

デニス・バーフィールド(1979)

巨人で "バーフィールド" というと、1993年に在籍したジェシー・バーフィールドを思い出す人が多いかもしれません。一方、その10年以上前、巨人に別のバーフィールド選手がいたことを知る人はほとんどいないでしょう。それもそのはず。1979年に巨人に入団したデニス・バーフィールドは、1軍での試合出場はなく、その年限りで退団した選手です。

1979年当時の外国人枠は、支配下登録、出場選手登録いずれも2人までという人数制限がありました。巨人は、ジョン・シピンとリック・クルーガーで枠はいっぱい。翌1980年も、リック・クルーガーは退団するもロイ・ホワイトが入団することになり、出場機会は見込まれず退団となった模様です。
“初代”バーフィールドは、カリフォルニア大時代に2年連続ベストナインに選ばれながら、足を痛めたため、米大リーグのドラフトにかからず、卒業後、ロスのクラブチームでプレーを続けていた。遠い縁戚にあたる与那嶺要2軍外野守備・走塁コーチが紹介し、球団も日米の紳士協定に触れないことを確認したうえで日本に呼び、1978年11月24、25日の2日間、多摩川でテストを行った。

 正二塁手・土井正三が引退したばかりの巨人は、二塁、または三塁を守らせるつもりだったが、中越えに2本運んだ打撃はともかく、守備に難があった。そこで、1年間練習生として鍛えることになり、背番号も「37」に決まった。

 翌79年2月の宮崎キャンプで、紅白戦に出場したバーフィールドは右中間に三塁打を放ち、ベース1周14秒60の俊足も披露。「福本(豊)より速いよ。デニスは日本一の俊足だぞ」と長嶋茂雄監督もぞっこんだった。

 だが、“デニスのハンバーガー”の愛称でミスターに可愛がられた25歳の練習生も、外国人2人制に泣き、2軍戦にも出場できないまま、シーズン終了。本人は「試合にさえ出られれば、来季も巨人でプレーしたい」と希望したが、翌80年も出場できる見込みがないため、11月18日に寂しく退団帰国した。
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