ライブ序盤、堺がムッシュの来場を明かしたときだった。
「(体調が)辛かったら、いつでもお帰りいただいて…」と気遣った堺。だが、ムッシュはマイクを手にステージへ。
「あ、あれ!? 出てくるの? なんで最初からマイク持ってるの?」と戸惑った堺が「1曲だけ歌っていく?」と冗談のつもりで提案すると、ムッシュは「(歌わないと)金(=ギャラ)をもらえなくなっちゃうからね」。
堺は「あんた、これ(10月末の)退院後、初仕事? 歌う気満々じゃん!!」と驚きながらも、「元気な証拠だよね」と喜んだ。
かまやつひろしの最愛の妻との最期は...
そんな中で、かまやつさんの容態がよくない方向に向かっていたのは2017年年明けのころからで、入退院を繰り返しています。そしてついに、2017年3月1日に78年の人生の最期を迎えることに...。最後は意識も朦朧とした状態だったようです。
そしてかまやつさんが亡くなる少し前の2月末、夫人が先に亡くなっていたんです。でも、それをかまやつさんに知らせてしまうとショックが大きすぎるという判断で、亡くなるまでかまやつさんには知らせなかったと言います。
夫人が亡くなった日にちは分かりませんが、2月末ということで、もしかすると、夫人の方が、何かを察して、もう苦しまなくていいのよ、と言わんばかりに一緒に連れていかれたのかな?と思ってしまいます。
生前もとても仲が良かったご夫婦の様でしたから。
かまやつさんは若いミュージシャンから先輩まで、幅広い交流があった。堺は「ここまで広く付き合っている人はいない。いつも『年齢は関係ない』とおっしゃていた。自分が前面に出るのではなく、プロデューサーみたいに。許容力や大きさを感じる人。スパイダースとか固定されたものではなく、音楽界では大きく、大事な存在だった」とその存在の大きさに言及。目を閉じると思い出すのは「笑顔です」と即答し、「だからみんな参っちゃう。それが見られなくなるのはショックです」と胸中を明かした。
ゆったりした語り口調と穏やかなその存在感が思い出されます。
まとめ
最後まで音楽を大切にした人生であったこと、最後まで華やかな人間関係に囲まれて慕われていたこと、そして最期は最愛の妻を追うように旅立たれたことを思うと、とても素晴らしい生涯だったのではないでしょうか。
個人的に今、一番聞きたい曲は、かまやつひろしさんが歌う「我が良き友よ」と「シンシア」です。
これがかまやつひろしさんの最後の公の姿で、ステージ、そして歌になってしまいました