2016年11月25日 更新

【霧島】和製ヘラクレスと呼ばれる筋肉を誇った怪力無双の大関

甘い顔立ちで「相撲界のアラン・ドロン」と呼ばれ、ウエイトトレーニングで鍛え上げた筋肉美で「和製ヘラクレス」とも呼ばれた大関・霧島。遅咲きながら熱心な訓練で大関まで上り詰めた男の土俵人生を徹底解説。

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怪力で大型力士をも吊り出した和製ヘラクレス、元大関『霧島』

霧島 一博(きりしま かずひろ)

霧島 一博(きりしま かずひろ)

本名:吉永一美(よしなが かずみ)
1959年4月3日生まれ
出身:鹿児島県姶良郡牧園町(現在の霧島市)
身長187cm、体重132kg
愛称:和製ヘラクレス、角界のアラン・ドロン
得意技:左四つ、寄り、吊り、出し投げ
生涯戦歴:754勝696敗40休(127場所)
幕内戦歴:518勝507敗40休(71場所)
優勝:幕内最高優勝1回
殊勲賞3回、敢闘賞1回、技能賞4回

『霧島』幼少期から入門まで

霧島は、鹿児島県で農家の長男として生まれた。
幼少時から体を鍛えるのが好きで、小学校では3年生の時から真冬でも頭から水をかぶって登校し、5年生からは重さ3kgもある鉄下駄を履いて坂道を上り下り、自転車のチューブで腕力を鍛えたという。

熱中したサッカーではFWを務め、中学校でも続けたかったがサッカー部が無いので野球部に所属し、 2年生で柔道部に所属した。
真面目で1日も休まず稽古して、中学3年生で姶良郡大会で優勝し鹿児島県大会に出場する活躍で鹿児島実業高校や鹿児島商工高校から熱心に勧誘された。
ラグビー選手を務める中学校の先輩から勧誘されてラグビーを始めようと思っていた時に君ヶ濱親方(元関脇・鶴ヶ嶺、後の井筒親方)の従弟に見出され、連絡を受けて訪ねて来た君ヶ浜から熱心に勧誘された。
しかし全く相撲に興味が無かったので最初は断わったものの、部屋見学だけでもと言われて両親と一緒に行くと雰囲気が良かったので母から勧められ、反対した父も折れたので君ヶ濱部屋に入門した。
両親には「ダメだったら帰ってこい」と言われ、気軽な気持ちでの入門だったという。

1975年3月場所に本名で初土俵、序二段時代の1976年5月場所後に故郷・鹿児島の霧島山にちなんで霧島へ改名した。
入門時は一般人と比べても痩せていた霧島

入門時は一般人と比べても痩せていた霧島

筋肉はあったが、ガリガリに痩せ手足が細くあばらの浮いた体で「割り箸」などと揶揄されることもあったという。

霧島は典型的な『そっぷ型』力士であった。
※『そっぷ』とは、相撲用語で筋肉質・比較的痩せ型の力士のこと。「そっぷ」とは本来オランダ語「soep」、つまり「スープ」の事であり、ダシを取った後の鶏ガラに例えてこう呼ばれる。

軽量ゆえに苦労した幕下・十両時代

三段目から始めたウェイトトレーニングと高蛋白食で次第に上位でも通じる筋肉質の体格を作り上げた。
出し投げで崩して素早く寄る、もしくは左四つからの豪快な吊りが得意であった。
また、足腰が強く鮮やかなうっちゃりを決めていた。

だが、軽量ゆえに速攻タイプの力士や突き押しの力士に苦戦し、出世は大きく遅れてしまう。
1982年5月場所で新十両を果たし、「やっと親孝行ができたかな」と思ったが1場所で幕下へ陥落。
「もうこれで終わりかな」と考えるほど落ち込んだという。
新十両となった頃の霧島

新十両となった頃の霧島

この頃でも霧島の体重は100Kg未満であった。
ごはんは最高でどんぶりに9杯食べたがなかなか体重が増えず、1Kgでも増えると嬉しかったと後に語っている。
幕下陥落のショックから立ち直るもすぐには成績は向上しなかった。
8場所後の1983年11月場所で再十両を果たすと十両を4場所で通過して、ようやく1984年7月場所翌入幕を果たした。
鍛え抜かれた霧島の肉体

鍛え抜かれた霧島の肉体

細身ではあるが、トレーニングによって培われた筋肉は見事に発達し、『和製ヘラクレス』や『角界のヘラクレス』とも呼ばれる。
幕下時代には同じく筋肉質である千代の富士になぞらえ『幕下の千代の富士』と言われることもあったという。

勝ち越しと負け越しを繰り返した入幕以降

新入幕の7月場所では8勝7敗の成績だったが、この場所同時に新入幕を果たした小錦を下すほか、当時大関候補だった大乃国を鮮やかな下手出し投げで下すなどの内容の良さが評価され、新入幕で初の三賞となる敢闘賞を受賞。

小錦vs霧島 (1984年7月場所)

新入幕同士の小錦との対戦。
小錦の強烈な突っ張りをくぐり抜けてまわしを取り、自分の倍以上である体重270Kgの小錦を豪快な下手投げで下した。
以後、引退まで小錦とのライバル関係は続いていく。
しかし、入幕前からの課題は克服できず、上位陣相手には立ち合いであたり負けし、自分の形に持ち込めることは少なかった。

しばらくは8勝や9勝がやっと、上位になれば2桁負けなどで平幕を上下していた。
端正な顔立ちから女性を中心に人気が高く、1986年のパリ公演での紹介から『角界のアラン・ドロン』と呼ばれる。

1986年11月場所は前頭7枚目で初の2桁勝利となり、12勝3敗で技能賞を獲得し、翌1987年1月場所は新三役として小結を通り越して関脇に昇進するも3勝12敗に終わる。

その後も平幕を上下していたが、翌1988年9月場所では西前頭2枚目で5勝10敗の成績ながら横綱大乃国から初金星。
さらに翌11月場所では10勝5敗で2度目の技能賞を獲得し翌場所小結へ昇進する。

だが、小結へ昇進した1989年1月場所では、好調な上位陣に全く歯が立たず1勝14敗という無残な成績に終わってしまう。

屈辱をバネに徹底した肉体改造に着手。

1勝14敗の惨敗を払拭すべく霧島は鍛え方を徹底的に見直す。
ウエイトトレーニングによる肉体改造に取り組み、食事の量もそれまでの倍に。
さらに夫人特製のプロテインジュースも摂取するようになった。

あまりの過酷さに夜中に何度も目が覚めて、戻してしまうほどだったと後に霧島本人が語っている。
積極的に取り組んだウエイトトレーニング

積極的に取り組んだウエイトトレーニング

当時はまだ敬遠されることも多かったウエイトトレーニングを積極的に取り入れ、ベンチプレス200kg、スクワット300kg以上の体を作り上げた。
特製プロテインジュースを飲み干す霧島

特製プロテインジュースを飲み干す霧島

プロテインに生卵20個、バナナ2本、ヨーグルト、蜂蜜を加えたもの。
これを一日あたり4リットル飲んでいたという。
苦労の甲斐あり、体は見違えるように大きくなり、霧島の体重は110kg台から一気に130kg前後まで増加。
見事にビルドアップされた筋肉は、横綱・千代の富士に匹敵するとも言われた。

筋力トレーニングの効果について聞かれることも多いが、霧島は筋力トレーニングも大事だが日々の稽古が何よりも大事であると語っている。

剛腕が生み出すこだわりの『吊り出し』

細い体であっても元々腕力が強かった霧島は、トレーニングにより怪力と呼ばれる域まで到達。
自分より思い力士を高く持ち上げる『吊り出し』に磨きをかけた。

霧島は「吊り出しは気持ちいい」と愛着を持っており、師匠に「腰を痛めやすいし、うっちゃりを食らう可能性があるから」と土俵際で横側に吊り出す方法をアドバイスされても「さらに鍛えて、うっちゃれないぐらい高く持ち上げればいい」と土俵外まで相手を一気に持ち運ぶ形にこだわった。
『吊りの霧島』

『吊りの霧島』

霧島の『吊り出し』は腕力や背筋力を活かし相手を高々と持ち上げるのが特徴。
この方法での吊り出しを霧島のように自分より重い相手に使える力士は稀である。
その怪力は全盛期には「小錦関でも吊れます」と言う程だったが実現の機会はなかった。

また、吊りのイメージが強すぎるため、霧島を怪力だけの不器用な力士であったという印象を持っている人も多いが、相手の勢いを利用したうっちゃり、出し投げなどを得意とする技巧的な面も兼ね備えていた。

磨きをかけた怪力で躍進、大関まで上り詰める

肉体改造の効果もあって1989年3月場所では前頭9枚目ながら10勝5敗の好成績。
さらに5月場所では西前頭筆頭で11日目に全勝の横綱大乃国から2つ目の金星を獲得し8勝7敗で初の殊勲賞を獲得。
7月場所は小結で7勝8敗と負け越して平幕に下がるも9月場所で東前頭筆頭で8勝7敗と勝ち越して三度小結へ復帰。
11月場所では10勝5敗の成績を挙げ3度目の技能賞獲得。
この頃三役で好成績を収めていた琴ヶ梅、水戸泉とともに次期大関候補に名乗りを上げた。

霧島vs安芸ノ島

体重150Kgの安芸ノ島を完全に持ち上げ、土俵外まで豪快に吊り出した霧島らしい相撲。
翌年1990年1月場所は小結に留まるも横綱・北勝海、大関・北天佑を豪快に吊り出すなど11勝4敗の成績を挙げ2度目の殊勲賞を受賞。
19場所ぶりに関脇へ復帰し、初の大関獲りとして迎えた翌3月場所では、6日目に横綱・千代の富士を吊り出して勝ち、千代の富士の通算1000勝達成を阻んだ。

霧島vs千代の富士

互いに筋肉美を誇り、吊り出しを得意とする両者の対戦。
当時前人未到の大相撲史上通算1000勝がかかっていた横綱・千代の富士に対し、関脇だった霧島が吊り出しで勝利し、会場を大いに沸かせた。
その後も連勝し続け成績は13勝2敗となり、優勝同点の好成績を挙げる。
同場所本割の結びの一番の後、横綱北勝海、大関小錦と三力士での優勝決定巴戦に出場。
惜しくも幕内優勝はならなかったが、3月場所後に大関へ昇進が決定した。

大関昇進時の口上は「稽古に精進し、大関の名を汚さぬよう一生懸命頑張ります」であった。

北勝海vs小錦・霧島vs小錦・霧島vs北勝海

1990年3月場所、優勝決定巴戦
霧島はくじで「○」を引いたため1戦目は取組無し(小錦が北勝海に勝利)
2戦目で小錦には勝ったものの、3戦目で北勝海に敗れた。
4戦目で小錦を下した北勝海に優勝が決定した。

大相撲史上1位のスロー出世最長記録

初土俵から91場所での新大関は、現在も大相撲史上1位のスロー出世最長記録であり、また30歳11か月での新大関も当時二代目増位山に次ぐ、史上2位(現在は琴光喜の31歳3か月、増位山の31歳2か月に次いで3位)の年長記録だった。

史上No1のスロー出世大関・霧島は「関取になれるとも思ってなかった自分が大関にまでなるとは信じられなかった。」、「大関だというプライドはなかった。(自分が来れたのだから)誰でも頑張れば来れる位置なのではないか。」と苦労人らしい感想を後に述べている。

悲願の幕内初優勝

新大関となり迎えた1990年5月場所では初日から8連勝するも、後半に大きく崩れて9勝6敗に終わる。
7月場所では7日目の安芸ノ島戦で故障、左大腿筋筋膜一部断裂の疑いで途中休場。

初の大関角番だった9月場所では13日目に新横綱旭富士の連勝を24で止め、旭富士、北勝海の両横綱と優勝を争い13勝2敗の好成績を挙げ見事復活。
11月場所では序盤で連敗するなど10勝5敗に終わるが、この場所優勝の横綱千代の富士に黒星をつけた。

翌年1991年1月場所では、3日目に安芸ノ島に敗れたものの、1敗を保持して単独トップで千秋楽へ。
そして千秋楽では横綱北勝海を得意の吊り出しで下して14勝1敗、ついに自身念願の幕内初優勝を果たした。

序の口から十両までのいずれにおいても優勝したことがなかった霧島にとって『正真正銘の初優勝』であった。

霧島の天皇賜杯 - YouTube

角界のヘラクレス、大関・霧島が1991年初場所に果たした最初で最後の優勝。
千秋楽の北勝海戦は霧島がもっとも思い出深いと語っている一番である。
賜杯を手に愛娘と喜ぶ霧島

賜杯を手に愛娘と喜ぶ霧島

「まさか自分が優勝できるとは思っておらず頭の中が真っ白になった」と後に語っている。
真面目な霧島は優勝直後から「優勝力士が次の場所で勝てなかったら格好悪い」とプレッシャーと不安に襲われたいう。

綱取りに失敗。怪我に苦しみ大関陥落

翌1991年3月場所は初の綱取りとなったが、優勝祝賀会など相撲以外の行事への出席による稽古不足や綱とりに対するプレッシャーにより、5勝10敗とまさかの大敗に終わる。
その後も夏場所から九州場所にかけては二桁勝利を重ね、62勝28敗で年間最多勝になったがあと一歩で優勝には届かず横綱の夢は果せなかった。

1991年5月場所に横綱千代の富士、7月場所に大乃国が引退し、旭富士・北勝海の両横綱が休場が続く中、霧島は最大のライバルだった小錦と共に横綱昇進を争っていたが、翌1992年から肘の故障等に苦しむようになる。
怪我の影響で90Kg以上あった握力は30Kg台まで落ち込んでしまい、まわしを握ってもすぐに切られてしまうことが増える。

3月場所と7月場所は小錦らと終盤まで優勝争いに加わる活躍を見せたが、9月場所では7勝4敗から終盤3連敗の後、勝ち越しをかけた小錦との楽日対決に敗れ、7勝8敗と負け越して4度目の大関角番へ。

自慢の怪力を発揮できなくなった霧島の相撲には、三杉里を網打ちで倒したり、貴乃花(当時・貴花田)を内掛けで下すなど、技を活かしたものが多くなっていた。

肘の怪我でほとんど握力の無いまま挑んだ翌11月場所は、初日から4連敗が続くなど精彩を欠き、更に7日目の関脇水戸泉戦で右足首の靱帯断裂の大怪我により途中休場、2場所連続負け越しにより16場所守った大関から関脇へ陥落が決まった。

大関陥落後も奮闘を続けたが…

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