【霧島】和製ヘラクレスと呼ばれる筋肉を誇った怪力無双の大関
2016年11月25日 更新

【霧島】和製ヘラクレスと呼ばれる筋肉を誇った怪力無双の大関

甘い顔立ちで「相撲界のアラン・ドロン」と呼ばれ、ウエイトトレーニングで鍛え上げた筋肉美で「和製ヘラクレス」とも呼ばれた大関・霧島。遅咲きながら熱心な訓練で大関まで上り詰めた男の土俵人生を徹底解説。

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細い体であっても元々腕力が強かった霧島は、トレーニングにより怪力と呼ばれる域まで到達。
自分より思い力士を高く持ち上げる『吊り出し』に磨きをかけた。

霧島は「吊り出しは気持ちいい」と愛着を持っており、師匠に「腰を痛めやすいし、うっちゃりを食らう可能性があるから」と土俵際で横側に吊り出す方法をアドバイスされても「さらに鍛えて、うっちゃれないぐらい高く持ち上げればいい」と土俵外まで相手を一気に持ち運ぶ形にこだわった。
『吊りの霧島』

『吊りの霧島』

霧島の『吊り出し』は腕力や背筋力を活かし相手を高々と持ち上げるのが特徴。
この方法での吊り出しを霧島のように自分より重い相手に使える力士は稀である。
その怪力は全盛期には「小錦関でも吊れます」と言う程だったが実現の機会はなかった。

また、吊りのイメージが強すぎるため、霧島を怪力だけの不器用な力士であったという印象を持っている人も多いが、相手の勢いを利用したうっちゃり、出し投げなどを得意とする技巧的な面も兼ね備えていた。

磨きをかけた怪力で躍進、大関まで上り詰める

肉体改造の効果もあって1989年3月場所では前頭9枚目ながら10勝5敗の好成績。
さらに5月場所では西前頭筆頭で11日目に全勝の横綱大乃国から2つ目の金星を獲得し8勝7敗で初の殊勲賞を獲得。
7月場所は小結で7勝8敗と負け越して平幕に下がるも9月場所で東前頭筆頭で8勝7敗と勝ち越して三度小結へ復帰。
11月場所では10勝5敗の成績を挙げ3度目の技能賞獲得。
この頃三役で好成績を収めていた琴ヶ梅、水戸泉とともに次期大関候補に名乗りを上げた。

霧島vs安芸ノ島

体重150Kgの安芸ノ島を完全に持ち上げ、土俵外まで豪快に吊り出した霧島らしい相撲。
翌年1990年1月場所は小結に留まるも横綱・北勝海、大関・北天佑を豪快に吊り出すなど11勝4敗の成績を挙げ2度目の殊勲賞を受賞。
19場所ぶりに関脇へ復帰し、初の大関獲りとして迎えた翌3月場所では、6日目に横綱・千代の富士を吊り出して勝ち、千代の富士の通算1000勝達成を阻んだ。

霧島vs千代の富士

互いに筋肉美を誇り、吊り出しを得意とする両者の対戦。
当時前人未到の大相撲史上通算1000勝がかかっていた横綱・千代の富士に対し、関脇だった霧島が吊り出しで勝利し、会場を大いに沸かせた。
その後も連勝し続け成績は13勝2敗となり、優勝同点の好成績を挙げる。
同場所本割の結びの一番の後、横綱北勝海、大関小錦と三力士での優勝決定巴戦に出場。
惜しくも幕内優勝はならなかったが、3月場所後に大関へ昇進が決定した。

大関昇進時の口上は「稽古に精進し、大関の名を汚さぬよう一生懸命頑張ります」であった。

北勝海vs小錦・霧島vs小錦・霧島vs北勝海

1990年3月場所、優勝決定巴戦
霧島はくじで「○」を引いたため1戦目は取組無し(小錦が北勝海に勝利)
2戦目で小錦には勝ったものの、3戦目で北勝海に敗れた。
4戦目で小錦を下した北勝海に優勝が決定した。

大相撲史上1位のスロー出世最長記録

初土俵から91場所での新大関は、現在も大相撲史上1位のスロー出世最長記録であり、また30歳11か月での新大関も当時二代目増位山に次ぐ、史上2位(現在は琴光喜の31歳3か月、増位山の31歳2か月に次いで3位)の年長記録だった。

史上No1のスロー出世大関・霧島は「関取になれるとも思ってなかった自分が大関にまでなるとは信じられなかった。」、「大関だというプライドはなかった。(自分が来れたのだから)誰でも頑張れば来れる位置なのではないか。」と苦労人らしい感想を後に述べている。

悲願の幕内初優勝

新大関となり迎えた1990年5月場所では初日から8連勝するも、後半に大きく崩れて9勝6敗に終わる。
7月場所では7日目の安芸ノ島戦で故障、左大腿筋筋膜一部断裂の疑いで途中休場。

初の大関角番だった9月場所では13日目に新横綱旭富士の連勝を24で止め、旭富士、北勝海の両横綱と優勝を争い13勝2敗の好成績を挙げ見事復活。
11月場所では序盤で連敗するなど10勝5敗に終わるが、この場所優勝の横綱千代の富士に黒星をつけた。

翌年1991年1月場所では、3日目に安芸ノ島に敗れたものの、1敗を保持して単独トップで千秋楽へ。
そして千秋楽では横綱北勝海を得意の吊り出しで下して14勝1敗、ついに自身念願の幕内初優勝を果たした。

序の口から十両までのいずれにおいても優勝したことがなかった霧島にとって『正真正銘の初優勝』であった。

霧島の天皇賜杯 - YouTube

角界のヘラクレス、大関・霧島が1991年初場所に果たした最初で最後の優勝。
千秋楽の北勝海戦は霧島がもっとも思い出深いと語っている一番である。
賜杯を手に愛娘と喜ぶ霧島

賜杯を手に愛娘と喜ぶ霧島

「まさか自分が優勝できるとは思っておらず頭の中が真っ白になった」と後に語っている。
真面目な霧島は優勝直後から「優勝力士が次の場所で勝てなかったら格好悪い」とプレッシャーと不安に襲われたいう。

綱取りに失敗。怪我に苦しみ大関陥落

翌1991年3月場所は初の綱取りとなったが、優勝祝賀会など相撲以外の行事への出席による稽古不足や綱とりに対するプレッシャーにより、5勝10敗とまさかの大敗に終わる。
その後も夏場所から九州場所にかけては二桁勝利を重ね、62勝28敗で年間最多勝になったがあと一歩で優勝には届かず横綱の夢は果せなかった。

1991年5月場所に横綱千代の富士、7月場所に大乃国が引退し、旭富士・北勝海の両横綱が休場が続く中、霧島は最大のライバルだった小錦と共に横綱昇進を争っていたが、翌1992年から肘の故障等に苦しむようになる。
怪我の影響で90Kg以上あった握力は30Kg台まで落ち込んでしまい、まわしを握ってもすぐに切られてしまうことが増える。

3月場所と7月場所は小錦らと終盤まで優勝争いに加わる活躍を見せたが、9月場所では7勝4敗から終盤3連敗の後、勝ち越しをかけた小錦との楽日対決に敗れ、7勝8敗と負け越して4度目の大関角番へ。

自慢の怪力を発揮できなくなった霧島の相撲には、三杉里を網打ちで倒したり、貴乃花(当時・貴花田)を内掛けで下すなど、技を活かしたものが多くなっていた。

肘の怪我でほとんど握力の無いまま挑んだ翌11月場所は、初日から4連敗が続くなど精彩を欠き、更に7日目の関脇水戸泉戦で右足首の靱帯断裂の大怪我により途中休場、2場所連続負け越しにより16場所守った大関から関脇へ陥落が決まった。

大関陥落後も奮闘を続けたが…

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