97年 インテル移籍
1900万ポンドという破格の移籍金でイタリアのインテル・ミラノへ移籍。
決勝戦でゴールを決め、UEFAカップのタイトルに獲得に貢献した。
移籍初年度に25ゴールを挙げ、同リーグにおいて1年目の外国人選手によるものとしての最多ゴール記録を樹立した。この記録は未だに破られていない。
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99年~2002年 右膝の大怪我
1999年11月21日のUSレッチェ戦で右膝靭帯部分断裂の大怪我を負い、手術とリハビリのため長期の欠場を余儀なくされる。
ロナウドが再び00年4月にニュースとなる。12日のコッパイタリア決勝で交代出場し、6分後にまた再びヒザの腱を損傷したというのである。
ローマのオリンピコ・スタジアムでのラツィオ対インテル第1戦、ロナウドは自分でフェイントをかけたあと、グラウンドに倒れてしまう。誰も彼と接触していた者はいなかった。5ヶ月の離脱のあと、万全ということでようやく登場したのに――。
2002年 日韓W杯
ロナウドは奇跡的な復活を果たす!
全盛期のようなスピードや運動量は見られないものの、類稀な得点感覚とテクニック、センスを武器に、見事に得点を量産。
リヴァウド、ロナウヂーニョと共に“3R”の一角として、セレソンを牽引。
4年前、悲劇の始まりともなったW杯決勝へ再び進出する。
決戦の相手は、当時「世界最高のゴールキーパー」と言われたオリバー・カーン擁する、鉄壁の守備を誇る強国ドイツ。
ロナウドはかつての悪夢を払拭する2得点をあげ、セレソンの5度目の優勝に貢献。大会8得点をあげ、得点王になる。
via stat.ameba.jp
2002年の日韓W杯後は、レアル・マドリードに移籍し活躍。また、自身4度目のドイツW杯では、W杯通算15得点(当時の新記録)を記録します。2011年2月に引退。
怪我後も素晴らしい活躍をしましたが、それでも「怪我がなければ」と言われてしまう程、90年代のロナウドは凄かったですね。
世界のサッカー史に残る偉大なプレーヤーの特集でした。
怪我後も素晴らしい活躍をしましたが、それでも「怪我がなければ」と言われてしまう程、90年代のロナウドは凄かったですね。
世界のサッカー史に残る偉大なプレーヤーの特集でした。