マサカリ投法の豪腕で直急にこだわる速球派
1967年ドラフト1位で東京オリオンズ(現ロッテ)に入団。1969年5月先発、完投、完封、安打、打点、得点と異例の初づくし勝利をあげた。1971年プロ入り4年目にまさかり投法を完成し初めて2桁勝利をあげ、1976年には21勝をあげ最優秀防御率投手、奪三振王を獲得。コンスタントに勝数を重ねていったが、1982年右肘痛で検査したが結果は手術以外に治療方法がないと診断され翌年渡米し手術を受けた。その後2年半にも渡るリハビリを経て、1985年シーズン初登板以来3週連続日曜日に完投勝ちし「サンデー兆治」の異名をとるなど話題をふりまきながら開幕から11連勝し不死鳥のごとく蘇り17勝5敗でカムバック賞を受賞。1987年には無死球完封試合達成、2000奪三振(史上13人目)と記録を重ねケガから復活し40才まで投げ続けた投手は他に類を見ない。
”サンデー兆治”の開幕11連勝の記録
4月14日(日)川崎 ロッテ6-2西武
完投 155球 被安打7 奪三振8 自責点2 1勝
4月21日(日)大阪 南海4-7ロッテ
完投 125球 被安打7 奪三振5 自責点5 2勝
4月28日(日)後楽園 日本ハム5-8ロッテ
完投 135球 被安打5 奪三振5 自責点3 3勝
5月5日(日)川崎 ロッテ17-5南海
6回 93球 被安打4 奪三振4 自責点3 4勝
5月12日(日)藤井寺 近鉄3-6ロッテ
7回 102球 被安打4 奪三振4 自責点3 5勝
5月19日(日)川崎 ロッテ6-4南海
6回1/3 139球 被安打10 奪三振1 自責点3 6勝
5月26日(日)西宮 阪急2-6ロッテ
完投 149球 被安打6 奪三振8 自責点2 7勝
日曜日7連勝達成
6月12日(水)大阪 南海1-3ロッテ
完投 137球 被安打6 奪三振6 自責点1 8勝
6月20日(木)川崎 ロッテ7-3近鉄
完投 160球 被安打9 奪三振4 自責点3 9勝
6月27日(木)西武 西武4-5ロッテ
完投 147球 被安打11 奪三振2 自責点4 10勝
7月7日(日)大分 南海2-7ロッテ
完投 109球 被安打7 奪三振4 自責点2 11勝
開幕11連勝達成
1985年成績
24試合 173回2/3 完投10
17勝5敗 防御率4.30 被安打181 被本塁打20 奪三振93 自責点83
完投 155球 被安打7 奪三振8 自責点2 1勝
4月21日(日)大阪 南海4-7ロッテ
完投 125球 被安打7 奪三振5 自責点5 2勝
4月28日(日)後楽園 日本ハム5-8ロッテ
完投 135球 被安打5 奪三振5 自責点3 3勝
5月5日(日)川崎 ロッテ17-5南海
6回 93球 被安打4 奪三振4 自責点3 4勝
5月12日(日)藤井寺 近鉄3-6ロッテ
7回 102球 被安打4 奪三振4 自責点3 5勝
5月19日(日)川崎 ロッテ6-4南海
6回1/3 139球 被安打10 奪三振1 自責点3 6勝
5月26日(日)西宮 阪急2-6ロッテ
完投 149球 被安打6 奪三振8 自責点2 7勝
日曜日7連勝達成
6月12日(水)大阪 南海1-3ロッテ
完投 137球 被安打6 奪三振6 自責点1 8勝
6月20日(木)川崎 ロッテ7-3近鉄
完投 160球 被安打9 奪三振4 自責点3 9勝
6月27日(木)西武 西武4-5ロッテ
完投 147球 被安打11 奪三振2 自責点4 10勝
7月7日(日)大分 南海2-7ロッテ
完投 109球 被安打7 奪三振4 自責点2 11勝
開幕11連勝達成
1985年成績
24試合 173回2/3 完投10
17勝5敗 防御率4.30 被安打181 被本塁打20 奪三振93 自責点83
サンデー兆治、ジョーブ博士の手術で甦った投球映像の巻 - YouTube
説明
via www.youtube.com
「あれだけ村田さんがすごい投球をしているのに、打たないわけにはいかんよ」落合博満
1985年4月14日村田が見事な復活を果たした日、落合博満は2本塁打を放ちバットで応えた。
日曜日の川崎球場。右ひじを痛めてから3年、ロッテ・村田兆治投手が実に1073日ぶりに勝利投手になった復活の瞬間だった。女房役の袴田英利捕手が村田以上の笑顔で抱きついてくる。普段は無愛想な落合博満三塁手が、自分のことでも見せないようなくしゃくしゃの笑顔で走り寄って来たのが印象的だった。
その鬼気迫る表情を試合中横からずっと見ていたのが落合だった。「あれだけ村田さんがすごい投球をしているのに、打たないわけにはいかんよ」。クールに話した落合だったが、6回に右翼席へ3号2点本塁打を放つと、2点を失ったその裏には失点を取り返す4号2点弾を左翼席に打ち込んだ。村田の人生をかけた復活のマウンドを目の当たりにして、その生きざまに感銘して打った2本塁打。口にこそ出さないが、狙って打ったアーチだった。イメージと違い、背番号6は実に熱い男だった。
via iinegoods.com
「村田兆治さんはいろんな意味ですごかった」山本功児
現役時代の後半をロッテで過ごした山本功児。村田の11連勝中に山本は最後の試合を除く10試合でヒットを放った。43打数16安打で打率3割7分2厘の7打点だった。
この村田さんは、いろんな意味ですごかった。自家用車にはいつでも鉄アレイが積まれており、信号待ちの間にも鉄球部分をフォークの握りで挟んだまま上げ下げするなど、トレーニングには一切の妥協がない。
村田さんに関する伝説は多く、キャンプ時の紅白戦の最中にポール間のダッシュを始めて試合が中断したことも。シーズン中には東京・世田谷区の自宅から川崎球場までの移動時間がもったいないとの理由から、登板予定のない日には捕手を呼び出して同区内の砧公園で投球練習をしていたこともあった。いま同じことをしたら「身勝手だ」と言われるだろうが、村田さんは文字通りの求道者だったし、周囲に自分のやり方を認めさせる迫力も実績もあった。
1989 村田兆治 1 - YouTube
via www.youtube.com
”昭和時代の明治男”
夫人からは「昭和時代の明治男」と称された。”時代遅れの男”というのは、無骨で頑固な人間ということだろうか。1982年に肘を故障した際には、宮本武蔵の「五輪書」を愛読し、和歌山県白浜町のお水場十九渕で座禅を組み、滝に打たれる荒行もしたという。
妻は英語や料理に堪能で、村田が手術後もアメリカに長期滞在してリハビリに専念できたのも、夫人のそうした生活面での才能によるところが大きいという。肘の故障を乗り越え、「サンデー兆治」として復活した様子を描いた妻の手記「サンデー兆治の妻」は1986年にテレビ朝日系列土曜ワイド劇場でドラマ化され、放映された。村田役に名高達郎、妻役に星野知子という配役で稲尾和久や落合博満も本人役で出演している。
1990年現役引退
215勝177敗33セーブ
防御率3.24
2363奪三振
最多勝1回(1981)
最優秀防御率3回(1975、76、89)
セーブ王1回(1975)
奪三振王4回(1976、77、79、81)
開幕から11連勝を2回(1981/4/4〜6/7、1985/4/14〜7/7)