村上 寛のプロフィール|Ameba (アメーバ)
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大出 元信-el-b
「ネイティブ・サン」ののメンバーはジャズからのミュージシャンたちだ。
ロックバンド出身のミュージシャンがいない。
ロックバンド出身のミュージシャンがいない。
「ネイティブ・サン」の軌跡と ディスコグラフィー
本田竹広が命名したバンド名の意味
「ネイティブ・サン」は、黒人作家リチャード・ライト1940年に出版した『Native Son』(邦題:『アメリカの息子』)から由来している。この小説は1986年にマッド・ディロン主演で映画化されている、
「ネイティブ・サン」は、黒人作家リチャード・ライト1940年に出版した『Native Son』(邦題:『アメリカの息子』)から由来している。この小説は1986年にマッド・ディロン主演で映画化されている、
1979年マクセルカセットテープTVCM YouTube動画
1979年にマクセルカセットテープのCMに使われた曲が大ヒットして「ネイティブ・サン」は一躍有名になった。
1979年のアルバム「NATIVE SON」は30万枚の売り上げを記録して、ジャズ界では異例のレコードセールスとなった。
1979年のアルバム「NATIVE SON」は30万枚の売り上げを記録して、ジャズ界では異例のレコードセールスとなった。
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デビュー・アルバム『NATIVE SON』のあとに発売したアルバム『SAVANNA HOT-LINE』。
3枚目はニューヨークのライブハウス「ボトムライン」で録音されたライブアルバム『COAST TO COAST』をリリース。
この頃に「ネイティブ・サン」のメンバーが少しかわり、1980年よりトロンボーンの福村博が加わった。
3枚目はニューヨークのライブハウス「ボトムライン」で録音されたライブアルバム『COAST TO COAST』をリリース。
この頃に「ネイティブ・サン」のメンバーが少しかわり、1980年よりトロンボーンの福村博が加わった。
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パイオニア ステレオ音楽館・ネイティブサンinヨロン NATIVE SON in YORON YouTube動画
1981年8月12日、与論島・ヨロン海中公園センターでの「ネイティブ・サン」ライブ
出演:ネイティブサン NATIVE SON
本田竹曠(keyboard) HONDA TAKEHIRO
峰厚介(sax) MINE KOHSUKE
村上寛(DRUM) MURAKAMI HIROSHI
大出元信(GUITER) OHDE MOTONOBU
福村博(TB) FUKUMURA HIROSHI
ロミー・木下(BASS) ROMY KINOSHITA
出演:ネイティブサン NATIVE SON
本田竹曠(keyboard) HONDA TAKEHIRO
峰厚介(sax) MINE KOHSUKE
村上寛(DRUM) MURAKAMI HIROSHI
大出元信(GUITER) OHDE MOTONOBU
福村博(TB) FUKUMURA HIROSHI
ロミー・木下(BASS) ROMY KINOSHITA
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番外「The Quartet (ザ・カルテット)」
1981年に『SQUARE GAME』というアルバムが発表された。
バンド名は「ネイティブ・サン」ではなく「The Quartet (ザ・カルテット)」参加ミュージシャンは「ネイティブ・サン」の峰厚介、本田広、村上寛の3人と鈴木良雄。
バンド名は「ネイティブ・サン」ではなく「The Quartet (ザ・カルテット)」参加ミュージシャンは「ネイティブ・サン」の峰厚介、本田広、村上寛の3人と鈴木良雄。
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1983年4枚目のアルバム『SHINING』は、ラテンミュージックにレゲエのリズムを取り入れた作品を発表。同時にネイティブサンは、マネージメントカンパニーを設立した。
1983年ポリドール移籍第1弾。
バハマ収録が行われた5枚目のLPアルバム『RESORT』は、「ネイティブ・サン」がレゲエに挑戦したアルバムだった。しかし、売り上げは伸び悩み、結果的には失敗に終わった。
1984年6枚目アルバム『GUMBO』はフュージョンバンドであるネイティブ・サンが原点のジャズに回帰し取り組んだ作品集。
1983年ポリドール移籍第1弾。
バハマ収録が行われた5枚目のLPアルバム『RESORT』は、「ネイティブ・サン」がレゲエに挑戦したアルバムだった。しかし、売り上げは伸び悩み、結果的には失敗に終わった。
1984年6枚目アルバム『GUMBO』はフュージョンバンドであるネイティブ・サンが原点のジャズに回帰し取り組んだ作品集。
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1983年7月にスイスで開催された、モントルー・ジャズ・フェスティバルのライブ盤アルバム『CARNIVAL~Live at Montreux』を発売。
かつてのフュージョンバンド「ネイティブ・サン」の輝きは失われつつあった。
かつてのフュージョンバンド「ネイティブ・サン」の輝きは失われつつあった。
峰厚介の脱
1985年7枚目アルバム『DAY BREAK』は米木康志と本田竹広の息子、珠也をリズム・セクショに迎えポップなアルバムに仕上がっている。
そしてこのアルバムが峰厚介最後の「ネイティブ・サン」参加となった。
また峰厚介の後には、サックスに藤原幹典を迎え「ネイティブ・サン」を再結成、ポップ路線に向かっていく。
1986年8枚目アルバム『VEER』は、サックス奏者の藤原幹典を迎えた。
ネイティブ・サンらしいポップ作品が出来上がった。
そしてこのアルバムが峰厚介最後の「ネイティブ・サン」参加となった。
また峰厚介の後には、サックスに藤原幹典を迎え「ネイティブ・サン」を再結成、ポップ路線に向かっていく。
1986年8枚目アルバム『VEER』は、サックス奏者の藤原幹典を迎えた。
ネイティブ・サンらしいポップ作品が出来上がった。
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フュージョンバンド「ネイティブ・サン」終焉を迎えつつあった。
ネイティブ・サンの解散
1987年9枚目伸して最後のアルバム『Aguncha』AKEHIRO HONDA/ネイティブ・サン
ネイティブ・サンは別に本田竹広とクレジットされている。
この時フュージョン・ブームも終わりに差し掛かっていた。
9年間活動したフュージョンバンド「ネイティブ・サン」は、解散した。
ネイティブ・サンは別に本田竹広とクレジットされている。
この時フュージョン・ブームも終わりに差し掛かっていた。
9年間活動したフュージョンバンド「ネイティブ・サン」は、解散した。
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1970年代後半から1980年代初めまで、当時日本の音楽シーンでブレイクしたフュージョン。
そのフュージョン・ブームの中で、ネイティブ・サンは、マクセルカセットテープのCMとのタイアップなど華々しい売り込みの結果、成功をおさめた。
しかし、その後バンドのコンセプトはフュージョンゆえに迷走していった。
そのフュージョン・ブームの中で、ネイティブ・サンは、マクセルカセットテープのCMとのタイアップなど華々しい売り込みの結果、成功をおさめた。
しかし、その後バンドのコンセプトはフュージョンゆえに迷走していった。
ネイティブ・サン Limited Edition CD
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¥1,998
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1954年?-2008年7月11日に54歳で死去
大出元信は、古澤良治郎バンドに参加していたギタリスト。
ネイティブ・サン結成した時に加入、解散までバンドの演奏に携わっている。