山本譲二「みちのくひとり旅」
作詞:市場馨、作曲:三島大輔、編曲:斉藤恒夫
1980年8月5日に発売され、山本譲二さんの初ヒット曲でミリオンセラーとなりました。(最終的なレコード売り上げは130万枚)
1980年8月5日に発売され、山本譲二さんの初ヒット曲でミリオンセラーとなりました。(最終的なレコード売り上げは130万枚)
山本譲二/みちのくひとり旅
30代前半の頃の譲二さん。歌声が若々しいですね。
via www.youtube.com
山本譲二 みちのくひとり旅
最近の譲二さん。歌に重みがあって渋いですね。
via www.youtube.com
「ここでいっしょに死ねたらいいと すがる涙のいじらしさ
その場しのぎのなぐさめ云って みちのくひとり旅」
発売当時は30歳でしたが、それにしては大人っぽい歌詞ですよね!
その頃の譲二さんはどんな気持ちで歌っていたのでしょうか。
その場しのぎのなぐさめ云って みちのくひとり旅」
発売当時は30歳でしたが、それにしては大人っぽい歌詞ですよね!
その頃の譲二さんはどんな気持ちで歌っていたのでしょうか。
発売から1年でようやくオリコンベスト8に!
多くの人が知る名曲ですが、発売当初はまったく売れず、ヒットし始めたのはなんと10ヶ月後だったそうです。
じわりじわりと人々の心を掴んでいったのですね。
じわりじわりと人々の心を掴んでいったのですね。
発売から2か月以上が経過した1980年10月31日放送分の日本テレビ系『カックラキン大放送!!』にて披露したが、その時点では特に大きな話題とはならなかった。
発売から4か月後にようやく関西の有線放送で話題になり、発売から10か月が経過した1981年6月29日放送のフジテレビ系『夜のヒットスタジオ』にて披露したことで一気に人気に火がついた。
発売から9か月経過した1981年5月4日付のオリコンチャートにて96位に初登場、その約4か月後の8月31日付けで8位とベストテン入り。
山本譲二さんといえど、華々しくデビューして当たり前のようにヒット曲に恵まれたわけではなかったようです。
サブちゃんに『これが売れなかったら、もう歌は辞めろ』と言われていた!!
師匠であるサブちゃんこと北島三郎さんに言われたそうです。こんなこと言われたら、もうやるしかないですよね!
──北島氏の付き人として下積み時代が続き、2年後、正式に(北島氏の)事務所に所属するもレコードは2枚続けて不発。そして背水の陣でリリースしたのが「みちのく」(80年8月リリース)でしたね。
「オヤジに『これが売れなかったら、もう歌は辞めろ』とハッパをかけられた。もうあとはないと思った」
──どのあたりから、売れると確信しましたか?
「当初、全国をキャンペーンで回った時は、売れている手応えはなかった。けど、翌81年6月に『夜のヒットスタジオ』(フジテレビ系)に出たあと、キャンペーン先の福岡でタクシーを降りたら、俺の周りがもうすごい人だかりで、どうしたんだろう思ったら、みんな俺を待っていた。このあたりから手応えを感じるようになったね」
この曲で念願の紅白初出場!
via www.nhk.or.jp
ようやくオリコンベスト8にランクインした1981年、山本譲二さんはこの曲で『第32回紅白歌合戦』に出場。
鳴かず飛ばずで苦労してきましたが、念願だった紅白に初めての出場となりました。
鳴かず飛ばずで苦労してきましたが、念願だった紅白に初めての出場となりました。
サブちゃんからの祝儀がすごい!
──81年に「NHK紅白歌合戦」に初出場。その時にうれしいサプライズがあったとか?
「オヤジから1000万円の小遣いをいただいて、それを持って故郷に帰り、おふくろに渡したら、肩を震わせ泣いてね。『もっともっといい思いをさせるから』と言ったのを覚えている。親孝行って気持ちがいいものだって、しみじみ思ったよ」